ゲーム理論入門の入門 (岩波新書)

  • ビューティフル・マインドという映画をご存知だろうか。ゲーム理論の基礎を築いた数学者の一人、ジョン・ナッシュの半生を描いた作品だ。内容はまだ観ていない読者のために書かないでおくが、このナッシュという人が、1950年、ゲーム理論で今でも盛んに使われる概念、その名も「ナッシュ均衡」を発明した。<ビューティフル・マインド>の劇場版ポスターには「彼は誰も想像できなかったやり方で世界を見た(He saw the world in a way no one could have imagined)」と書いてあるのだが、この「誰も想像しなかったやり方」こそがまさに、ナッシュ均衡なのだ。
  • ジレンマがあるというところがゲーム理論らしい、らしい。この点を理解するには、少し経済学の歴史を紐解かなければならない。ゲーム理論が経済学者に盛んに研究されるようになる以前から,「人々がそれぞれにとってベストな選択をすれば、社会全体が幸せになる」ということが知られていた。これを、「厚生経済学の第一基本定理」と呼ぶ。18世紀にアダム・スミスが唱えた「神の見えざるチによって市場が効率的に機能するという理論を、後の経済学者たちが数学的に証明した定理だ。
  • しかし、囚人のジレンマの予測によれば、ルパンと次元は二人ともそれぞれベストな選択をした結果長いこと獄中にいなくてはいけないし、牛飼いたちは草地を荒らしてしまうし、二酸化炭素は過度に排出されてしまう。なぜ予測に違いが起きるかというと、べつに厚生経済学の第一基本定理の証明が間違っているのではない。実はその定理を正しくさせている仮定が、囚人のジレンマでは成り立っていないのだ。具体的には、厚生経済学の第一基本定理では、各消費者が選ぶ購買行動やその結果もたらされる幸福度は市場価格にのみ依存し、他の消費者がどのような購買行動を取るかには一切影響を受けないということが仮定されている。翻って囚人のジレンマでは、ルパンの刑期は次元が白状するかしないかで大幅に変わってくる。つまり囚人のジレンマでは、厚生経済学の第一基本定理の背後にある仮定が満たされていないのだ。これが「囚人のジレンマ」がゲーム理論を語るのに適している第二の理由だ。
  • ちなみにこの第二の点は、ちょっと読者の皆さんには伝わりづらいかもしれない。実は僕も、あまりしっくりきていない。いま書いたような説明がしっくりくるというのは、しばらく経済学を勉強してきて厚生経済学の第一基本定理に慣れ親しんだ人が、初めてゲーム理論に触れて持つ感覚だろう。ちょうど、ゲーム理論が経済学で盛んに使われ始めた1980年代の経済学者にぴったりの説明なのだ。僕の場合は、経済学で厚生経済学の第一基本定理を学ぶ前にゲーム理論を学んだので、どちらかというと厚生経済学の第一基本定理の方が驚きの結果である。皆さんもそう思ったとしたら、それはそれで構わない。
  • 混合戦略ナッシュ均衡の説明:今までナッシュ均衡だと思っていた状態はやはりナッシュ均衡だけれども、他の状態もナッシュ均衡だと思えるようにナッシュ均衡の定義を変えることで、どんな問題が出てきてもナッシュ均衡が存在するようにしよう。
  • この(ゲーム理論を用いたじゃんけんの分析の)結果は結局、我々に何を教えてくれているのだろう。結果だけ見ると「結局二人がどんな手を出してくるか分からないし、どちらが勝つかも分からない」ということになっている。でも、実は我々は、ただ単に「分からない」と言うよりはもう少し高尚な予測をしている。なぜかというと、我々は「分からない」の意味をはっきりさせたからだ。我々の予測は、「どの手も等確率で出てくる」ということと、「勝率は50 %しかありえない」ということだ。
  • 第2章の初めに、映画<ビューティフル・マインド>を紹介した。この2001年に公開された映画は、アカデミー賞およびゴールデングローブ賞を多部門にわたって受賞した。僕も観たが、なかなかいい映画だと思う。しかしゲーム理論家として、この映画については一つ言っておかなければならないことがある。それは、映画中に出てくるナッシュ均衡の説明がちんぷんかんぷんだ、ということだ。