超越の棋士 羽生善治との対話

  • 「ソフトに影響されて将棋が変わってきたことの一つに、あまり手損を気にしなくなっている傾向があるんです。というのは、ソフトは時系列でものごとを考えないんですね。時系列で考えなければ、手損という概念自体がなくなるんですよ。そのときごとに、その局面ごとに、一番良い手を指そうとするので、損も何もないという。でも、人間は基本的に時系列で考えるので、AIの指し手に違和感も感じるわけです」
  • 「千田さんは、ソフトの評価値をかなりの確率で当てられるらしいんですよ。それは私、凄い職人芸だと思っています」「いや、凄いことです。だって、ソフトの形勢判断に用いているパラメータ(評価関数) って1万くらいあるんですよ。そんな膨大な数のものを、人間が読んでわかるわけがないから、直感的な判断と照らし合わせて、これくらいの数値が出てくると予測できるということですよね。そこにはやっぱり、人間の適応力の高さを感じます」
  • 確かに羽生はかつて、「勝ち負けを決めるだけならジャンケンでもすればいい」と公言したことがある。だがそれも、考えてみれば奇妙な話だった。羽生は将棋史上に残る勝ち星を積み重ねてきた棋士の一人である。格闘技で言えば、最も多くの対戦相手をマットに沈めてきたボクサーのような無敵のチャンピオンだ。その羽生が、勝つことより楽しむことを優先するなどということがあり得るのだろうか。勝負を超越した境地に達しているということなのだろうか。
  • 「そうですね。もちろん結果も大事ですけど、結果と内容が伴って、初めて本当に価値のあるものになるとは思っています」

 

  • 「ええ。また、その頃からいろいろ新しい形や戦法が出てきたということもあるんです。それこそ、最近の久保さんが得意にしている石田流とか、もう、ふざけてるとしか思えないような指し方があるんですよぉ」突然、呆れたような口調になったため、私は思わず噴き出してしまった。だが、羽生の表情は真剣そのもので、一段と声のトーンも高くなっていく。
  • 「いや、ホントに!最初に見たときは、これは初心者の将棋か?本当にふざけてるんじゃないのか?と言いたくなるような新手が、実は真面目に『可能性がある』とされて……あれには本当に呆れましたね。ええ。一昔前の棋士たちがそういう今の将棋を見たら、たぶん怒ると思います。噴飯物ってやつです(笑)」
  • 「変わりました、変わりました。噴飯物と言いたくなるくらい、変わりました(笑)。昔の人からは、違う将棋を見ているようだと思いますね」
    将棋には『王様は動かして囲え』と『王様と飛車は近づけるな』という二つのセオリーがあるんですけど、藤井システムは両方に反しているんですよ。王様を囲わずに、飛車に近づけるという・・・これも噴飯物なんですけど、でも可能性があることがわかって。いやぁ、そうですねぇ……」

 

  • 「大山先生のような(大局観を中心にした)アプローチをする人って、今、いないんですよ。大山先生の場合は棋譜だけ見てもわからないところがあって、私も10代のとき実際に対局してみて、その独特の強さを窺い知れたんですね」
  • 「プロ同士の対局では、単に自分が指したい手を指せばいいわけではないんです。『相手に上手に手を渡す』ことが重要で、実は手を渡され、手番を持たされて、何かやってみろと言われると、凄くキツいんです。先に何かやらなきゃいけないけれど、先に踏み込むと隙ができて、相手にそこを突かれてしまう。そこは非常に難しい部分ですね」

 

  • 「そうですね。この手はダメとか、この手は可能性があるとか、そういう見切り方は・・・まあでも、それはある意味、後から来た人の特権でもあるんですよ。つまり、長く将棋をやっていると、指し手や戦型に対してこだわりが生まれて、『捨てるのがもったいない』と思うようになるんです。自身が一生懸命に蓄積してきた知識を活かしたいと思うから、それを切り捨てることがだんだ
    んできなくなってくるんですね。>サンクコスト
  • でも若い人は『この手はダメだから』とか『時代遅れで使えない』という風に、未練なくバッサリ切り捨てられる。そう見切ることができるのは、若さの強みだと思います」

 

  • 久保「普段の研究が仕事で、対局は趣味だ』とも思うようにしました。対局で盤の前に座ったら、縁台将棋のおじさんたちのように楽しもう、と。好きなことをしているときは、時間が経つのが早いですよね。それを心理学では『ベルグソン時間』というそうですけど、将棋を自分のベルグソン時間にしたかった。指していて、気がついたら夜中になっていて、気がついたら終局を迎えている。でも、まだ終わりたくない……そんな気持ちでやっていこうと考えました」
  •  オンとオフのスイッチはどうやって切り替えていますか。
    「どうやって? まあ、特に意識してやっているわけではないですね。どこまで将棋のことを考えて、どこから考えないかという線引きは、基本的になかなかできません。会社員の人なら、『会社にいるときは仕事で外に出たら仕事は終わり』となるかもしれないですけど、棋士はそういう生活ではないので。ええ。自分なりに、『今は休むとき』とか『今は考えるとき』とか、その時々に合わせて調整している感じですね。凄く疲れていたら休むことを優先するし、元気だったら考えることを優先する、というふうに」
  • 今の将棋は、データを重視する情報戦の側面が非常に強いですが、そのために行き詰まってしまう感覚はありませんか。情報をひたすら頭に詰め込む一方になって、かえって斬新なアイディアや発想、閃きが生まれにくくなる、そんなジレンマを感じることは?「ありますね。ええ、ありますね・・・。創造性もだいじですけど、ただやっぱり、今はデータや情報が非常に重要なので、どちらもやらなければいけないですね」・・・「ただ、必要な情報やデータは入れた上で、その最先端のさらに先に、創造性のあるものを見つけていくという感じですよね」
  • 七冠制覇前後の羽生さんはよく、「将棋と人生は関係ない」「将棋は理論で割り切れる技術のゲーム」と強調していましたね。「あ、それはですね。実はその先があって・・・。私がそう言っていたのは、『甘えになるから』という続きがあるんです」
    なるほど。「将棋が強くなるには人生経験が必要」というのは、逆に遊びを正当化する言い訳にもなる、と。「言い訳にするために、そういう話が出ているんです。だから私は、技術論だと言っていました。言い訳にしてはいけないということも含めて話していたんですけど、毎回、その部分は(報道される際)カットされちゃうんで・・・。誤解を生んでいる可能性はあるかもしれません」
  • よく『プロの将棋は観ていて難しい』と言われますよね。それは一理あるんですけど、違う面もあって、『将棋を覚えたての人のほうが難しい将棋を指している』ということもあるわけです。うん。覚えたての人はメチヤクチャなことを
    やるから、メチャクチャな局面になるんですよ。そこにミスも重なるから、さらにメチャクチャな局面になるんですけど。
    そうなった将棋を途中からプロの棋士が任されて、正しい手を瞬時に選ぶのは、かなり難しいと思います。何というか、綻び(ほころび)だらけだから、どこから手をつけていいかわからないということが必ずあるはずなんです。ある意味、プロはそういう種類の局面に出会わないようにしているからこそ、正しい手を選べるということもあるので......。人間が将棋をよくわかっていないというのは、
    そういう意味でもあるわけです」
  • 「チェスでは(取った相手の駒を持ち駒として再使用できないので)ゲームが進むにつれて、盤上の駒の数が少なくなりますよね。で、終盤のデータベースがあって、確か、残った駒の数が6個になったときの局面は、すべてデータベースとしてできているんです。終盤、駒が6個になった瞬間に、もう、勝ちか負けか引き分けか、オートマチックに出る。7個では難しいらしいんですけど、とにかく今、そういう状況にはなっていますね」
  • その席で羽生が漏らした言葉が、島の脳裏に刻まれている。「タイトル戦って、修学旅行みたいに楽しいものだったんですね」初めて大勝負に挑んだ初々しさが伝わってくるが、これは同時にまた、島がいかにフェアで潔いスタンスで羽生と対していたかを示す発言でもあるだろう。盤外戦や心理戦が駆使され、ときに挑
    発的な言葉が飛び交うなど、対局以外でもピリピリと緊張した雰囲気になる従来の戦い方は、島とは無縁だった。なりふり構わず羽生を倒そうとするのではなく、むしろ羽生が力を出せるように気を遣っていたような節さえ窺える。
  • 実力の世界において、曲者なのは人間関係です。プロは皆、凄腕ですから、不用意な言葉を口にして恨まれたり、『こいつには絶対に負けられん』と思われたりしたら、最後まで頑張られてしまってなかなか勝てません。羽生さんは若い頃から、そんな言葉の怖さを十分に知り尽くしていたと思います。格を決め合う世界では、『この人には負けてもしょうがない』と思わせる相手を一人でも増やすことが大事ですよね。短期的に勝つことにほとんど意味を見出さず、長く勝ち続けるためにどうするかということを、打算ではなく、自然と身に着けていったのではないでしょうか」
  • 森内「若いときは、自力で勝ちたい気持ちが強く、直接的な手を指したがるものです。手を渡す手は、相手が迷って間違えやすくなる効果がありますが、相手か任せのような面もあり変化球的な要素が強いので、しかたなく使う感覚がある。私は豪速球で勝つことに憧れていたので、相手に選択肢を与えたくなかった。でも、いつもそうはいかないので、年令とともに手渡しの重要性を理解して身につけてはいきました。それを15歳の少年(藤井)が前向きに取り入れている。将棋をよく知っているんでしょうね」