不道徳な見えざる手

 花嫁の生涯でもっとも重要な一日のための準備においては、予算や価格は検討事項としては二の次にしか思えない。

 

2010年のアメリカの勤労年齢世帯は、現金や当座預金貯蓄預金普通預金に1カ月の所得分すら保有していないという。さらに驚くことではないが、株式や債券の直接保有額のメジアン値はずばりゼロだった。イギリスの家計簿を使った支出調査を見ると、多くの世帯は単に次月の支払いをやりくりするので精一杯だという。月給を貰っている世帯の支出を見ると、給料日前の1週間では、給料日直後の1週間に比べて、丸18%も低下する。

 

ソローの計算までは、経済学者は経済成長を二つの要因の間でどう仕分けすべきか分からずにいた。労働生産性の上昇は新しい発明(技術変化)のおかげかもしれない。あるいは資本が増えたせいかもしれない。資本の稼ぎ分が算出への貢献を表すという単純な想定を使って、ソローは資本成長に分配できる生産性成長の割合を計算できた。そしてかれは(1909年から1949年にかけてのアメリカでは)資本成長の分が8分の1でしかないのを発見した。残りの8分の7は、他の容疑者のせいであるはずだ。これは新しいアイデアとなる。ソローは、この残差が技術変化によるものだと述べた。

間違った解釈・・・進歩は新しいアイデアによるというだけでなく、新しいアイデアは全て間違いなく経済進歩につながるというものだ。アイデアというのが技術的なものとしてのみ理解されるのであれば、これは自然な結論となる。でも私達の思考が全てモノについてではないのと同じように、あらゆるアイデアがモノについてではない。・・・こっちの特になるよう人々をおびき寄せるにはどうすればいいかも考案できるということだ。・・・ラスベガスの中毒性スロットマシン・・・ソロー残差が技術進歩を表したものだというのは当時の習慣的な思考パターンの反映でしかない。今や私たちは経済成長をもっと慎重に、もっと広い観点から見る必要がある。選択を広げてくれるあらゆる発明が最善とは限らない。

 

 私たちは自由市場が生み出した豊穣はわかっている。でもあらゆるコインには両面があるのと同じく、自由市場にも裏面がある。豊穣を生み出すのと同じ人間の創意工夫は、セールスマンの技能にも向けられる。自由市場は、お互いに利益があるものを作り出す。でも、相手を犠牲にして自分が儲かるものも作り出すのだ。利潤が得られる限り、どちらもやる。自由市場は人類最強のツールかもしれない。でも、あらゆる強力なツールと同じく、これも諸刃の剣なのだ。

 

2014年にSECは、50兆ドル近い資産を監督したが、その予算はたった14億ドルだ。・・・SECが一部監督しているたった一つの銀行であるバンク・オブ・アメリカは、マーケティングに賭ける費用だけでもSEC予算総額よりもずっと多い。ミューチュアルファンドの費用は、平均で手持ち資産1ドルあたり1.02セント、つまりSECの監督する金額1ドルあたりの予算の400倍だ。

マドフ事件・・・クォンツ分析化ハリー・マーコポロスは(マドフのファンドの資産価値に関する計算書)を追跡し、疑念をSECボストン地方局に提示した。彼は、マドフの高いなめらかな集積はファイナンスの法則から見てありえないと主張したのだった。マドフは、このなめらかな成長を、「カラー」という投資戦略で実現したのだと述べた。過大な損失を切り捨てるためのオプションを購入し、過大な利益を減らすオプションの販売でそれを釣り合わせたのだという。

確かにこうした戦略は収益を滑らかにしたかもしれないけれど、マーコポロスはマドフが投資家に与えている高い収益を稼ぎ出すには、あまりに高くつきすぎることに気がついた。・・・カラーを実施するには、マドフはアメリカ市場全体よりもたくさんオプション取引をしなければならないはずだからだ。

説得力にもかかわらず、マーコポロスの疑念はSECで抵抗にあった。・・・標的であるマドフよりも、訴え出たマーコポロスの方をずっと怪しく思っていたようだ。・・・マーコポロスの訴えは理屈でしかないというのだ。・・・そしてやがてこの一件は閉じられた。

捜査チームはマーコポロスの不服申立てや動機についてほとんど理解を示さなかった。この誤解は、そこにファイナンスの知識を持った人物がいればすぐに解けたのかもしれない。・・・業務に見合うだけの給料と業務量が与えられていたら、マーコポロスの不服申立てやマドフの弁明が、別の見方をされたかもしれない・もっと予算が豊富なら話が本当に違ったかどうかは、分かるはずもない。

 

 競争的な自由市場は、単に人々が求め欲しがるものを供給するための競技場にとどまらないものとなる。そこはまた、カモ釣りの競技場ともなるのだ。それは釣り均衡につかまることになる。

経済的病理学は、単に外部性や所得分配のせいだけであるかのように描くのはよくないと考えている。私たちは、経済はこの標準的な見方よりもっと複雑だと思っているーそしてもっとおもしろいと思っている。・・・現代経済学が内在的に、欺瞞と詐術を扱うのに失敗するからだ。・・・経済学者たちの市場理解が、系統的にそれ(市場におけるごまかしと詐術の役割)を排除しているからだ。・・・主に「外部性」によるものだと見られている。でもそれは競争市場が、まさにその性質そのものにより詐術とごまかしを生み出すことを見損ねている。それは、繁栄を与えてくれるのとまったく同じ利潤動機の結果として生じるものだ。

 

人々が本当に求めるものと、人々が自分がほしいと思っているもの(肩の上のサルの嗜好)のちがいという私達の概念と真っ向から対立するものだ。行動経済学の特殊性ー個別心理的バイアス(たとえば現在バイアス)の基盤とそうしたバイアスを特殊な市場条件(たとえば独占競争)に埋め込むことーは、人々が欲しがるものと肩の上のサルの嗜好がずれるのは決して一般的なことではないという概念を強化した。

 

これまでの顕示選好はすべて正しいという均衡概念に対して、釣り均衡、つまりは詐欺によって生じる需要と今日キュという概念を導入し、それが目新しいのだと主張している。ただし、その釣り均衡の中身については、ほとんど記述がない。

不道徳な見えざる手

不道徳な見えざる手

 
  •  原題は Phishing for Phools だ。Fishing for Fools と言いなおしてみればわかりやすい。「カモを釣る」というわけだ。 Phool は造語だが、Phishing はすでに英語でも日本語でも定着している。すなわちフィッシング。ネット詐欺でおなじみの手法だ。

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