ヒラノ教授の論文必勝法

 お金を払って掲載してもらうのが研究業績で、原稿料をもらうものはアルバイト

人文社会群時代にお付き合いした文系研究者は、論文よりも著者にウェイトを置いていた。研究所だけでなく海外で出版された教科書の翻訳、一般読者向け読み物や新書、また中央公論文藝春秋などの商業誌に発表した文章を、研究業績としてカウントしていた。

エンジニアの要諦は、短時間の集中的作業、・・・拙速で、たくさんの役に立つ論文を書くことである。細かい間違いが含まれていても、役に立つ内容の論文は、レフェリーのアドバイスを参考にして修正すれば掲載してもらえる。

経済学者は、時間をかけて完璧な論文を書こうとする。そうしなければ、厳格なレフェリーに撃沈されてしまうからである。工学部出身ながら、有力国立大学の経済学部教授を務めたORの専門家は、経済学部では、3年に1編のジャーナル論文を書けば十分だ。

トムソン・ロイター社が、2013年に日本の経済学者は、アメリカの経済学者に比べて論文数が少ないというレポートを発表した時、・・・国友直人教授は、日本の大学には、ほとんど論文を書かない教授が大勢いるとコメントしている。・・・なぜ彼らは論文を書かないのか。それは、経済学者は他人が書いた論文に対して、必要以上に厳しい審査を行うため、論文の投稿を諦めてしまう研究者が多いからではなかろうか。・・・彼らが論文を描かないもう一つの理由は、(日本には)レフェリー付きジャーナルが少ないことである。・・・一度拒絶査定を受けると行き場がないので、霊安室送りになってしまうのである。

どの分野でも審査は厳しいものだが、・・・経済学者の厳しさは突出している。厳しい審査を受けた研究者は、審査委員になった時に厳しい審査をする傾向がある。この結果、厳しい審査は自己増殖していくのである。

フィッシャー・ブラック教授・・・MITの教授ポストを捨てた理由・・・給料の違いと、レフェリーがごちゃごちゃ言ってくるので、論文を書くのが嫌になったから・・・論文書きは習慣のようなもので、書き出せば次々とかけるが、一度書かなくなると書けなくなる。

工学部の研究者(エンジニア)の特徴は、短期的視点で仕事をすること・・・長くても5年先のことしか考えない。ある東大工学部教授は、一流エンジニアは、与えられた問題をいかにうまく解くか、つまりHOWだけを考えればいい。君のようにWHATを考えるエンジニアは二流だと言い放って、ヒラノ助教授に衝撃を与えた。

数学者は、一年で古くなるような問題には関心を示さない。・・・ ある高名な数学者は、論文書きまくりのエンジニアを揶揄して言った。論文をたくさんお書きになるそうですが、10年後、100年後に残るものはどれだけありますかと。エンジニアが書く論文で10年後に残るものは、たかだか10に1つである。100年後に残るものは間違いなくゼロである。100年後を視野に入れて研究している人にとって、PP(Publish or Perish)カルチャーはただの馬鹿騒ぎにすぎない。

ここに集まった諸君は全員がライバルだから、たとえ親しい友人であっても、個人的にアイデアを漏らしてはいけない。私はアイデアを盗まれたという事件をたくさん見てきたが、盗まれた側が盗まれたことを立証できたケースはほとんどなかった。・・・ギスギスしたアメリカの競争・ドロボー社会と穏やかな日本のなあなあ・協調社会

ダンツィク教授の教え

  1. イデアを思いついた時、論文に書く前にそれを偉い研究者に話さないこと
  2. 何らかの成果を導いたら、直ちにメモを作って大勢の研究者が集まる会合で配布し、研究成果の優先権を確保すること
  3. 論文は可能な限り速やかに、しかるべきジャーナルに投稿すること
  4. たとえつまらないと思われる結果でも、論文の形にまとめて投稿すること
  5. 論文を書き続けること
  6. 論文を書けないときでも、研究集会に参加して(つまらないことでもいいから)何か発表すること

 ダンツィクが線形計画問題について説明しようとしたところ、フォン・ノイマンは早く結論を述べよと一括。偉い先生だとは言うものの、あまりに横柄さにムッとしたダンツィクが、黒板に数式を書き始めたところ、フォン・ノイマンは「あっ、それだ!」と言って立ち上がり、驚くダンツィクからチョークをもぎ取って、90分に渡って線形計画問題の数学的構造について語ったという。

ゲーム理論を完成させたばかりだったフォン・ノイマンは、線形計画法ゼロサムゲームの均衡解の計算に使えることを指摘すると同時に、一般の線形計画問題に対して双対定理が成り立つことを予想したという。

その後まもなく、その予想が正しいことを証明したダンツィクは、短いレポートを作成して研究仲間に配布した。しかし、フォン・ノイマン先生が知っていた当たり前の定理なので、論文としてジャーナルに投稿することを見合わせた。

ところがその3年後、デビッドゲール、ハロルドキューン、アルバートタッカーという三人の数学者が、双対定理とその証明を記した論文を発表した。そしてその後まもなく、この定理が後に大発展する最適化理論の基礎となる大定理であることが明らかになるのである。 

 

既に掘り尽くされた鉱山で落ち穂拾いをせずに、積極的に新しい分野に参入して、創業者利益を手に入れること。その際すべてを自分だけでやろうとせずに、学生や同僚を巻き込むこと。

新しい分野に参入するときは、出来る限りそれまでに築いた人間関係を害(そこな)わないようにすること。

 一つの論文にあまり多くのことを盛り込まないこと。(ダンツィク教授)

優れた研究者が蝟集(いしゅう)する領域で研究するより、未開の鉱脈で身の丈に合った問題に取り組むこと(バラス教授)

40歳を過ぎても、2-3年単位で臨時ポストを渡り歩く研究者が大勢いるのである。そのようなことを知った上で、なお研究者になりたいという学生でなければ、博士課程には受け入れないほうが賢明である。

研究という営みは運に支配される部分が多い・・・成果が出ないときも、それに耐えて努力する強靭な意志がない人は、研究者にはならないほうがハッピーな人生を送ることができる

博士課程に進もうと考える学生は、学部生のうちに、指導を受けるべき教員に関して十分な情報を手に入れておくことが大事

指導教員に選ぶべきは、新しくて面白そうなテーマを研究している教員、学内外での評判がいい(人柄がいい)教員、学生の面倒見がいい教員、学生に過度に干渉しない教員である。この全ての条件を満たす人はめったにいないが、これとは反対の人、すなわち古くてつまらなそうなことをやっている人、評判(人柄)が悪い人、忙しすぎて面倒見が悪い人、過度に干渉する人は避けるべきだ(このような人を指導教授に選んで不幸な目にあったら、責任の半分は学生側にある)

論文を書かない人は、著者の苦労がわからないから、審査は厳しくなりがちである。

話の内容が分からなくても、偉い研究者の講演会があったらなるべく聴きに行くように・・・謦咳(けいがい)に接する

知名度が高い研究者の論文を審査する時、レフェリーはいい加減なレポートは書けない。

数理科学者・ソフトウェア科学の研究者には、研究業績を特許で保護してもらいたいという発想がないことである。自分の業績は先人の膨大な業績の上に成り立っている。特許を取って新しい知見を囲い込むより、多くの人に自由に利用してもらうほうがいいと考える人が多いのである。