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工学部ヒラノ名誉教授の告白 エンジニアが「物書き」になったワケ

 名誉教授号とは、バレンタインデーの義理チョコのようなものだ。その心は、もらっても大して嬉しくないが、もらわないと(みんながもらっているので)かなり傷つく

「君は、理工系人間は恵まれなかったと思っているようだが、エンジニアは好きなことをやったのだから幸せだったはずだ。(数学が不得手な)我々は、仕方なしにつまらない仕事に就いたのだ。同等の能力を持つ2人の人間の一方が好きな仕事をやり、もう一方が好きでない仕事をやった場合、後者がより良い待遇を受けるのは当然ではなかろうか」というお叱りの手紙を頂戴した。

  • (個人メモ)個人的には、同等の能力を持つ人間が同じ仕事をやった時には、その仕事が好きな人間のほうが意欲や創造力の面で相対的に優位なのだから、長期的なパフォーマンスも高くなるだろうし、待遇の面で報いるのは当然なように思われる。日本はとかく「我慢することが偉い」という風潮があり、仕事を楽しんでいる欧米企業にパフォーマンスでボロ負けしているような気がするのだが・・・。いやいや仕事をしていてイノベーションが起こせるとはとても思えない。

本来であれば別の分野に進んだほうが良かった多くの学生が、理工系ブームの中で理工系大学に迷い込んだのである。道を間違ったことに気づいた何人もの学生が文系領域に転身した。・・・野口悠紀雄植田和男、梅沢豊、今田高俊、柳井晴夫、・・・

数学的手法の応用なら、数学科に進んだほうがいいと思う読者もいるだろう。しかし、当時の数学科の教授たちは、代数学幾何学解析学・確率論以外は数学ではないと考えていた。(今も大勢いる)・・・数学者の、数学者による、数学者のための数学と言われていた所以である。

第二次大戦後、アメリカを中心に工学や経済学上の問題に数学を応用する数理科学(工学)が大発展を遂げていた。サイバネティクス、制御工学、数理統計学、OR(オペレーションズ・リサーチ)、数理経済学、計算機数学などである。ところが日本の数学者は、これらの分野に全く関心を示さなかった。

数理工学コース・・・東京大学工学部30年に1人の大秀才と呼ばれた森口教授・・・ペアを組む伊里正夫助教授も、森口教授以来16年ぶりの秀才で、この人と対抗できるのは、経済学部の天才竹内啓助教授だけだと言われていた。

人間は才能が80%で努力が20%だと考えていた・・・ところがこれは大間違いだった。人間は才能が20%、努力が20%、運が60%なのである・・・

実績がない若者が取るべき戦略は、有力な研究者に頭を下げて、仲間に加えてもらうことである。研究資金のおこぼれを頂戴して研究を行い、そこで得た成果を踏み台にして、独自の研究費を申請するのである。・・・実績がない男の申請はなぜ合格したのか。一つ目の理由は、筑波大学助教授ではなく、東京工業大学教授だったこと。二つ目は、線形計画法の父にして、後に20世紀のラグランジュと呼ばれることになるジョージ・ダンツィク教授の弟子だったこと。3つめは、有り余る時間を使って、説得力がある申請書をきれいな字で書いたこと。四つ目の、そして最大の理由は、運が良かったことである。

1970年代までの金融理論は、経済学部・商学部・法学部の不可侵の領土だった。金融ビジネスに必要な数理的素養は、四則演算くらいだから、理工系スタッフが手がけるべき仕事は、計算機のお守りだけだった。ところが80年代に入ると状況はがらりと変わった。

研究者は、二つの研究テーマを持っている時にもっとも生産性が上がる。研究者は優秀な仲間と協力すると生産性が上がる。

理工系研究者の独創性は20歳がピークで、70歳でゼロになる。一方、分析力は20歳ではゼロだが、以後単調に増大する。研究能力が最大になるのは、この両者の積が最大になる45歳であるという江崎玲於奈理論には説得力がある。

白川浩氏を始めとする優秀な仲間と巡り会えたのは、とても幸運なことだった。このような幸運に巡り会えたのは、勤め先が一流大学だったからである。学生と分業して研究を行う工学部教授が研究業績を上げる上で、優秀な学生に恵まれるか否かがカギを握っている。東大、京大などの一流大学教授は、プロ野球で言えば、二勝のハンディをもらってプレーオフ7連戦を戦うようなものである。

 バブルがはじける前の(文系)大学は、たしかにレジャーランドそのものだった。例えば、東大経済学部の学生の中には、11枚つづりの地下鉄回数券を余らせてしまう人がいたという。有効期間二ヶ月の間に、五日しか大学に行かないということである。あまり勉強しなかったにもかかわらず、大銀行に採用された彼らは高給をエンジョイしていた。

 尊敬する小川洋子氏・・・「もの書きを目指す人が心がけるべきことは、必ず必ず毎日机(PC)の前に座ること、そして一度書き始めたものは、必ず最後まで書くことである」

工学部教授が 国際競争で勝利するためには、海外の研究集会に参加して、一流の研究者と情報交換を行うことが必須である。海外に出かけなくても、一流ジャーナルに発表される一流論文を読めば十分ではないかという人は、研究競争の実態を知らない人である。

論文を数で評価する時代であれば、何か書きさえすれば業績になった。ところが21世紀に入って、論文は数ではなく質で勝負する時代がやってきた。・・・大学教員には研究以外に教育、管理業務、社会的貢献などの重要な任務がある。・・・すべての教員が、適性があるなしにかかわらず、管理業務を均等に負担するのが原則になっている。世界的な研究者が、ローテーションで学科主任(雑用係)やキャンパス美化委員、交通問題検討委員などをやらされているのである。

一方アメリカの大学では、優れたジム管理能力を持つ教員が学科主任を引き受ける。たとえばスタンフォード大学では、計算機科学科もOR学科も、ジョージ・フォーサイス、ジェラルド・リーバーマンというスーパーマネージャーが、10年近くにわたって学科主任を務めていた。・・・アメリカの大学では強力な権限を与えられた学科主任学科内における細々した問題を自分の責任で処理する。・・・日本の学科主任は権限がないので、些細な事でも会議に諮ったうえで決めようとする。この結果、すべての教員が会議に忙殺される。

主任になると教員の生産性はガクンと落ちる。・・・事務能力が乏しい教授にとって、5年に1回の学科主任はまさに苦役である。誰が考えても、アメリカの大学のやり方のほうが、日本より効率的であることは明らかである。

またアメリカでは、すべての教員が論文書きに血道を上げているのかと言えば、そうでもない。ひとたびテニュアを獲得した人は、論文を書かなくても解雇される心配はない。従って、特別に優れた教育能力を持つ教員は、論文書きより教育活動に集中することが出来るのである。アメリカでは、それぞれの分野に定番教科書があって、教育上極めて重要な役割を果たしているが、これらは知識吸収能力と解説能力に長けた教授が何年もかけて書いたものである。

一方日本の大学では、建前上すべての教員の能力は同等だということになっている。また理工系大学では、研究が教育や社会的貢献の上位に置かれる傾向があるため、教員は論文生産競争に血道をあげる。しかしジャンク論文を量産するより、学生に良質な教育を施すほうが、大学人にとって遥かに有意義である。我が国の理工系大学が、世界的競争に伍していくためには、各教員が自分の適性にあった役割分担を行うことが必要ではないだろうか。