グーグル ネット覇者の真実 追われる立場から追う立場へ

ペイジ「たとえ失敗したとしても、完全に失敗するようなことはめったにない」・・・必ず何らかの成果を得られるはずだと。「皆、それが分かっていないんだ」。

 会話の中でペイジはこの本によく言及した。この書物は、彼が信奉するユーザビリティという名の「宗教」の聖典であり、最大の戒律は「ユーザーは常に正しい」だった。

誰のためのデザイン? 増補・改訂版 ―認知科学者のデザイン原論

誰のためのデザイン? 増補・改訂版 ―認知科学者のデザイン原論

 

 ペイジに影響を与えた本はもう1冊ある。才気あふれるセルビア人の発明家ニコラ・テスラの伝記である・・・・偉大な発明者だったはずなので、なんという悲劇だろうと思った・・・手元に資金さえあれば、もっと偉大な業績を残せたはずだ。が、商品化するのに苦労した。僕はこの教訓から学びたい。発明をするだけで終わりたくない。より良い世界をつくるためには、発明以外にも多くのことに手を染める必要がある。 

「百万年くらい飛び級している感じだった」と、ブリンの1年後にスタンフォードに入学し、やがてグーグルの最初の社員になるクレイグ・シルバースタインは語っている。・・・クヌースは・・・ブリンが複雑な問題に関して示した理解力に大いに感銘を受けたという。

ペイジの指導教官を勤めたテリー・ウィノグラッドは、コンピュータ科学研究科に進学した超秀才たちの間にも明らかな能力の差が見られることに気づき、やがて誰がどのへんに位置するか簡単に見分けられるようになった。学部時代の成績は全てAプラスで、GREのスコアがほとんど満点に近くても、院に進むと「どんなテーマの論文に取り組めばいいのでしょうか?」と聞いてくる学生もいた。

ウェブサイトのランク付けシステムを名付ける際に、ペイジは虚栄心を満たすためにちょっとしたいたずらをした。たくさんリンクを貼られているサイトを高く評価するそのシステムを、「ページランク」と呼んだのだ。ウェブページを指しているのだろうと考えた人が多いが、実は彼の名字を表していたのである。

ペイジは決して世界で最高級のプログラマーというわけではなかったので、ある友人に協力を仰ぐことにした。彼の名はスコット・ハッサン・・・ハッサンによれば、ペイジのプログラムは「笑えないくらいバグだらけだった」・・・この野心的なプロジェクトに、当時はまだ比較的新しいプログラミング言語だった「JAVA」を使っていたことも問題の一部だった。プログラムがhクラッシュし続けたので、「ジャバ自体のバグを治そうと試みたが、10回ほど繰り返した後で、時間の無駄だと気づいた」・・・「自分がもっとよく知っていて、バグのない言語で全面的に書き直すことにした」・・・ハッサンが使用した言語「Python」は、ウェブ上のプログラム開発言語としてすでにその柔軟性が重宝されるようになっていた。

 robot.txtというファイルをサイトに設置するだけでクローラのアクセスを簡単に制限できるのだが、起こったサイト運営社たちはその解決策を受入れようとしなかった。「レリーとセルゲイは、robot.txtを理解できない人間がいることに苛ついていたけれども、最終的にはクローラの除外リストを作成することで一件落着した。彼らにとってはまったく心外な結果だった。」・・・ペイジ・・・「僕の専門は人間とコンピュータの相互作用なのだが、この分野では次のように教えている。ユーザーは決して間違いを侵さないとね。システムで間違いを犯すのは消してユーザーの方ではない。」それまでは、大学のリストを作成してランク付けする仕事は複雑で、高度に知的で、労働集約型の作業だと考えられていた。・・・・一方バックラブは、統計や数字とは全く無関係に結果を導き出した。・・・「この分野の人間は皆目隠しをしているも同然だった」と、当時ベル研究所に勤務していたコンピュータ科学者のアミット・シンガルは語る。・・・「こうした大変革が起きるためには、私のような人間の考えに汚染されることのない2人の人間が必要だったのだ」

当時、700億ドル台の収益を上げていたIBMにとって、ワールドワイドウェブのリンクに関する研究プロジェクトをどう使おうが、大勢に影響を与えられるとは思えなかったのだ。クラインバーグ自身は気にもかけなかった。コーネル大学でコンピュータ科学を教えるつもりでいたからだ。・・・「学会では、誰もが解決したいと思っている困難な課題に挑戦するということは、同様にそれに取り組んでいる他の人々と暗黙のうちに競争関係になることになる」

ペイジとクラインバーグと同じ発想をした第三の人物・・・李彦宏(後の百度の創業者兼CEO)・・・1996年4月のある日、学会に出席していた李は退屈しのぎに検索エンジンの改善方法について考えを巡らせた。そして例の科学引用インデックスの手法をネットに応用することを思いついた。・・・ダウ・ジョーンズの上司たちにこの発明の内容を説明し特許を申請すべきだと進言すると、最初は好感触を得たものの、その後は全くなしのつぶてだった。失望した李は「数カ月後に自分で申請することを決意」。マニュアル本で特許出願の仕方を勉強し、1996年6月に自分で申請に踏み切った。ところが、そのことを上司に告げた途端に会社側が介入し、特許内容を審査した上で翌年2月に再申請した(どの組織も似たようなもので、スタンフォード大学も1998年1月になるまでページランクの特許を出願しなかった)。・・・「重要性を理解してもらおうとしたが、会社のビジネスがウェブ検索と何の関わりもなかったので、関心を持たれなかった」

スタンフォード大学のコンピュータ科学研究科は、学問を究める場であると同時に、起業支援の場でもある。デビッド・チェリントン教授はこんなふうに言ったことがある。「スタンフォードが宇宙のどんな場所と比べても、不公平なほど恵まれている理由は、周囲をシリコンバレーに囲まれていることにある」・・・教員は起業するまで就寝在職権を得られないというのがスタンフォードではもはや定番のジョークだった。

当時のブリンとペイジは起業に乗り気ではなかった。2人がスタンフォードに来た目的は、自分たちの父親のように博士号を取得することにあった。・・・取引が暗礁に乗り上げた瞬間はある重要な会合で訪れた可能性がある・・・出資をするベンチャーキャピタリスト体は、エキサイトには「大人の監督」が必要だと主張した。それは、天才肌の若者たちを脇に押しのけて、スーツの似合う年長の経営者をトップに据える際によく用いられる、人を見下したような婉曲表現だった。・・・ベルは明らかに気分を害していた。バックラブは完璧すぎると考えたのだ。ユーザーのニーズを瞬時に満たす検索エンジンを採用したら、彼らの滞在時間は非常に短いものになってしまう、と彼は主張した。・・・当時のウェブサイトがもっとも重視したのは、ユーザーをサイト上に引き留める「スティッキネス(粘着度)」と呼ばれる特性だった・・・「エキサイトの検索エンジンの品質は、他の検索エンジンの80%に抑えるべきだと彼は僕らに告げた」・・・ハッサン「なんてこった。こいつら、肝心なことを何も分かっていないんだなって思ったよ」

契約を申し出る企業もないわけではなかったが、いつもはした金だった。それで僕らも投げやりになり、大学に戻って研究を続けた。大金は欲しいわけではなかったが、作ったものを多くの人に本当に使ってもらえるようにしたかった。でも話をした企業は僕達に就職するように言ったので、僕らは『本当にこの会社で働きたいか』と自問しなければならなかった。これらの企業は、検索に集中的に取り組んでいるわけではなかった。彼らが目指していたのはポータルサイトだった。技術畑の人間ではないので、検索に対する理解が欠けていたのだ。

ミニマムなデザインになったのは、プロのウェブマスターがいなくて、全部自分たちでやらなくてはならなかったからさ・・・どうして秘密にするんだ?学術的なプロジェクトなら、内容を公開すべきだという声が多くなっていたと、テリー・ウィノグラッドは当時の状況について回想する。

 Writing a paper wasn't as interesting to them as building something. "Inherently, Larry and Sergey aren't paper-oriented--they're product-oriented," says Winograd. "If they have another ten minutes, they want to make something better. They don't want to take ten minutes to tell you something they did." (「本来、ラリーとセルゲイは論文志向ではなく、製品志向なのだ」とウィノグラドは言う。「余分な時間が10分あれば、その時間を製品改善のために使う。自分たちがしたことを説明するために費やしたりはしない」)

ペイジとブリンは、ネットへのアクセスが完備したチェリントン家のポーチで、検索エンジンのデモをしてみせた。ベクトルシャイムはその性能に感銘を受けたが、出勤を急いていたこともあって、その場で10万ドルの小切手を切ろうと申し出た。「まだ(会社の)銀行口座を持っていないのですが」とブリンは言った。「講座を開いたら預ければいいだろう」とベクトルシャイムは言い残すと、愛車のポルシェでその場を走り去った。こうして彼は、出勤途中にカフェラテでもテイクアウトするかのような気軽さで、世界が情報にアクセスする方法を変えてしまうことになる有望企業に出資したのだ。

「グーグルには人間と同じくらい賢くなってほしい。ユーザーが質問を思いつくのと同時に答えが戻ってくるのが理想だ」「それこそ、究極の検索エンジンだ」とペイジは言う。

ペイジとブリンは、グーグルを成功に導くには、世界でトップレベルのエンジニアや科学者を結集させる必要があるという強い信念を共有していた。・・・ところで、カレラの採用方針には大きな除外項目があった。「嫌なやつら」は会社に入れるな、だ。彼らはすでにグーグルにふさわしい企業文化についても考え始めていた。親友社員には、極めつけの優れた技術力、ユーザー視点を最優先する姿勢、現実離れしているほどの理想主義を求めた。

「自分たちみたいなに人間を雇っただけだ」

マリッサ・メイヤーもその一人。彼女は数学的能力に秀でた努力家で、高校時代にはバレエを踊り、スタンフォードに進学すると、人工知能の分野で才能を発揮した(シルバースタインの面接を受けた彼女は、「グーグルを改善できる点を3つ挙げて下さい」という質問に2つしか答えられず、10年たった今でもそれを悔いていた。)

ascii.jp

最初の快挙は、カリフォルニア大学サンタバーバラ校のウルス・ヘルツル教授の引き抜きに成功したことだ。・・・ヘルツルに続き、彼よりも大胆にキャリア変更を決心し、前職を完全に離れたコンピュータ科学者たちが続々とグーグルに入社してきた。その中には、DEC(ディジタル・イクイップメント・コーポレーション)の研究部門に在籍していたエンジニアたちのちょっとした民族大移動も含まれていた。

絶好のチャンスをみすみす逃してきたという点では、DECのウェスタン研究所はほとんど伝説的だ。1998年、つまりアップルがiPodの開発に着手する2年も前から、DEC、のエンジニアたちは、個人の音楽コレクションをまるごと保存できるポケットサイズのデジタルオーディオプレーヤーを開発していた。DECにはインターネットの創始者と呼べるような人物や、ネットワーク理論に関する先駆的な論文を書いた科学者たちも何人かいた。

DECにエンジニアたちのアイデアを後押しする先見の明があれば、アルタビスタはグーグルになれたかもしれないが、そうはならなかった。・・・「DECからグーグルに移った科学者の数には肝をつぶした」と2004年にDECからからグーグルに移ったビル・ワイルは言う。

その中の1人に、すでに独力で検索におけるリンクの利用価値を発見していた人物がいた。ジェフ・ディーンだ。・・・ディーンはもともと情報検索にあまり関心を持っていなかったが、何か革命的なことが起きようとしていることに気づくと、急速にのめり込んだ。社内のある単ビスタのチームに加わろうと手を尽くしたが、屈辱的な思いをしただけだった。「アルタビスタ・チームはあっという間に大所帯になったが、採用されたのは、技術的に物足りないレベルの人間ばかりだった」と彼は語る。この時点でディーンは「潮時だ」と感じていた。・・・グーグルには知人が多かったので働きやすいだろうと思った。技術面でも彼らのほうが優れているように思えた。グーグルに転職することにすっかり舞い上がっていたディーンは、正式な出社日はまだ先立ったにも関わらず、マイサイモンでの仕事が終わったあとでグーグルに顔を出すようになった。

いつもの貼っておこう(笑 

 

 ジェフ・ディーンがグーグルに移ったというニュースを聞き、バラットは衝撃を受けた。プロバスケットボールリーグのNBAで先発メンバーになるほどの逸材を、どこかのマイナーリーグのチームが引き抜いたようなものだ。あの連中の決意は本物だ、彼はそう確信した。

ヘルツルの元同僚で、カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授のアヌラグ・アチャリア。彼はカーネギーメロン大学で博士号を取得して以来、学界の外に出ることはなかったが、36際の時に自分のキャリアに疑問を感じるようになった。対象が限定された課題に取り組み、解決し、結果を論文にまとめて、次の課題に移るというルーティンの繰り返しにうんざりしていた

シャーディング・・・パーティショニングと呼ばれることもあるが、ディーンによれば「シャーディングのほうがクールに聞こえるから、グーグルでは皆そう呼んでいる」(shardは破片の意)

 グーグルがユーザーから支持された理由の一つに、検索エンジンスパムを効果的に遮断してきたことがある。しかし、ネットユーザーの大多数がグーグルで検索を行い、アクセス数が一極集中するようになると、検索ランキングで上位に食い込めるキーワードさえ見つければ、数百万ドル規模のビジネスをウェブサイトで展開できる。サイトの運営者たちはグーグルのプロセスを分解し、そのメカニズムを分析することで、人工的にページランクを押し上げるために大量の時間とエネルギーとコンピュータの専門知識を駆使するようになっていた。その工程はSEO検索エンジン最適化)と呼ばれた。・・・スパムを阻止するために全力をつくすべき・・・まっとうな企業も怪しげな連中と同様、SEO対策に励んでいるからだ。高額の報酬で雇われたコンサルタントたちはページランクアルゴリズムを始めとするグーグルの検索テクノロジーをリバースエンジニアリングしようと試みた。・・・SEOのテクニックにはウェブ全般の品質改善に役立つものもあるというのがグーグルの見解だった。。。。ウェブサイトがランキング改善のために外部の手を借りる必要があるなら、それはグーグルの検索機能が完璧に機能していないからではないのか?・・・本当は、誰にもSEOを学ぶ必要のない世界が理想なんだ。でも存在していることは事実だし、自分のサイトを目立たせたいとい考える人々は後を絶たない。だから僕らに出来るのは、積極的にかかわって『これは倫理的に問題がないのでやるべきだ。こっちはリスクが高いのでやめておいた方がいい』と言った意見を述べることだと思う。カッツ自身は、誰もがSEOの専門知識を持っているわけではないので、価値のあるサイトが過小評価されていまうケースもあると認めている。

グーグルは検索結果の公平性を証明するためのデータを公開しようとはしなかった。世間がグーグルを信頼してくれるはずだと踏んでいたのだ。グーグルを信頼できないというのは、同社がアクセス可能にした世界全体を信頼できないのと同じことになるのだから。

 ベイリーは自分で仕事の目標を決められるという恵まれたポジションを与えられた。シンガル、カッツ、ゴメスらと同じオフィスに配属された彼は、かわされる会話の知的レベルの高さに驚嘆した。「天才坊やばかりが集められた部屋だった」と彼は言う。

A/Bテスト・・・グーグルで検索すると、ユーザーは自動的に複数のコントロールグループと被験グループに参加していることになる。基本的にすべての検索は何らかのテストに関わっていると考えてもらっていい。

ペイジとブリンは、言語のような人工的な障壁が人々の情報へのアクセスを妨げるべきではないと考えていた。・・・世界のすべての情報を整理してアクセス可能にすることがグーグルの使命であり、その実現には翻訳機能はなくてはならない要素なのだと主張した。

ユーザーが何かを見つけられなかった場合、落ち度は私たちにある。これは重大な責任だ。人命を守る医師の重責に近い。

2人はこんなふうに言っていた。『確かに資金は必要だよ。だけど、僕らはそういうことに多くの時間を割きたくないんだ。ビジネスプランって何だい?』

グーグル社内でマーケティングは常に異端児扱いされていた。ラリーとセルゲイが企業運営にそれが必要だと認めなかったから

問題を突き詰めるとこういうことになる・・・限られた予算を技術開発やインフラや本当に優秀な社員の雇用に注ぎ込みたいのか?それとも効果を測定することすら出来ないマーケティングに使って台無しにしたいのか?

 ペイジとブリンは、アップルのスティーブ・ジョブズインテルアンディ・グローブ、インテュイット(会計ソフトの世界大手)のスコット・クック、アマゾンのジェフ・ベゾスといったIT業界の帝王たちと魔法のような時間を過ごすことになった。彼らとの会談を終えた2人はドーアに言った。「意外かもしれませんが、僕らもあなたの意見に賛成です」。ついに彼らもCEOを雇う気になったのだ。そういう意味で彼らの「お眼鏡にかなう」人間は1人しかいなかった。スティーブ・ジョブズだ。

広告部門に配属された。・・・広告嫌いのヴィーチにとっては最悪の転職となったが、伝統的な広告に対する嫌悪感は、創業者の2人だけでなく、グーグルという企業全体に充満していた。・・・2人は自分たちが掲載する広告がどういう形になるかまだ明確なアイデアは持っていなかったが、従来と同じやり方だけは踏襲するまいと決心していた。

彼はブリンとの朝食面接で、中身のない広告をユーザーに押し付けるのではなく、広告であってもユーザーが必要とする重要な情報を提供すべきだというブリンの主張に強く感銘を受けた。

ゴートゥの生みの親で天才肌の起業家でもあるビル・グロスは、イエローページ(業種別電話帳)の広告を参考にそのビジネスモデルを考案した。・・・グロスの革新性は、その(検索結果)位置を獲得するために広告主に入札を行わせたことにある。

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ミルグロム「グーグルは広告オークションを従来では考えられないレベルにまで単純化した」・・・・「グーグルの広告はすぐにオーバーチュアよりも高値をつけるようになった」・・・最大の変化の一つは、またしてもオーバーチュアからヒントを得たペイパークリック(実際にクリックされた回数に応じて広告料金を払う)方式の採用だった。

グーグルの広告システムは、長年の常識を根本から覆した。具体的成果(クリック数)にだけ料金を支払えばいいので、もはや広告費を無駄にする必要はなかった。

 広告営業担当がノルマを遥かに超える売上を達成しても、コンピュータ科学の学位を持っていて日がな一日コードを書いている社員より優遇されることはなかった。・・・うちと違って、連中にはゴルフ接待をするぐらいしか能がないのさ。

2001年、CEOに就任したばかりのエリック・シュミットがアスペン研究所(企業幹部向けにリーダーシップセミナーなどを主催する団体)でバリアンに偶然会ったことがある。そのとき、ペイジと一緒に行動しているシュミットを見て、バリアンは不思議に思ったことを覚えている。エリックはどうして高校生の甥っ子をこんなところに連れてきたんだろう?

いずれにせよ、父親がバリアンと同じエコノミストだったシュミットは、週に1日か2日グーグルに来てくれないかと彼に持ちかけた。・・・バリアンほど、グーグルのオンラインビジネスを精査する資格のある人間は他にいなかった。彼は12歳の時からエコノミストのように考える習慣を身に着けていた。きっかけは、SF作家アイザック・アシモフの『ファウンデーション』を読んで、人間の社会行動を数学的モデルを用いて説明せている登場人物に完全に魅了されたことにあった。

MITOSISの学部生だった頃、このテーマを追求できる場所を探し回ったものだった・・・最初は心理学科社会学だろうと考えていたのだが、答えは経済学にあった。同時にMITOSISではコンピュータ・プログラミングも習得。・・・経済的観点からインターネットのトポロジー(ネットワーク構成)を研究し始めた。
ウェブは「コントロールに失敗した実験のように混沌としていて、全くビジネス向きではない」とバリアンは考えていたが、それに興味をかき立てられていた。

バリアンは自分の部下たちを計量経済学者と呼んでいた。統計学者とエコノミストを足して2で割ったようなものだ。ベル研究所でトップレベルの科学者として23年勤めた後、2004年に入社した統計学者のダリル・プレギボンはそう語る。私たちは、ノイズの中からシグナルを見分けるために、豊富な手段を持つ数学者の一段を必要としていた。大体の目安としては100人のコンピュータ科学者ごとに1人の統計学者がいればいい。

 

メイヤー「ラリーとセルゲイが2人とも幼少時代にモンテッソーリ教育を受けたことを知らなくては、グーグルを理解することは出来ない」・・・「だから彼らは自分で考えた質問への答えを求め、自分できめたようん行動する。彼らは権威を軽視することを学び、何かをするときに偉い人に言われたからではなく、道理にかなっているからそうする習慣を身に着けたのです。・・・彼らはいつも『どうしてそうじゃなきゃいけないんだ?』と尋ねる。」・・・なぜ職場におもちゃがないんだ?なぜ軽食やおやつは無料じゃないんだ?なぜ?なぜ?なぜ?

規律は自由な環境で習得されなくてはならない・・・。規律を学んだ個人とは、まるで言葉が不自由な人のように口を閉ざすことを強制されたり、全身が麻痺した人のように自ら動く医師を封じられた人間のことではない。そうした個人は、規律を施されたのではなく、破壊されたのだ。規律を知る個人とは完全に自らの意思に従って行動できる人間のことだ。

社員に無料で食事を出すグーグルの伝統は、ウォイッキが注文した冷蔵庫が家に届けられた日に始まったと彼女は考えている。配達されたらキッチンに設置するように指示するつもりで、彼女はその日は終日家にいた。ところがトラックが到着した時、彼女はたまたまシャワーを浴びている最中だった。セルゲイとラリーはドアを開けると『お、新しい冷蔵庫じゃないか!個々に設置してくれ。このガレージの中に』・・・何が起きたのかウォイッキが気づいた頃には、グーグルで最初の無料軽食サービスをスタートさせる功労者になっていた。・・・当時ウォイッキが勤務していたインテルでは、ミーティング中に注目すべき新興企業としてグーグルの名前が挙がることがあった。「私、その会社の大家なんです」と彼女が言うと、誰もがびっくりして彼女の顔を凝視した。・・・数度にわたって深夜までペイジとブリンが語る夢に耳を傾けた後、彼女はインテルを辞めてグーグルに転職した。その後、ブリンは彼女の妹のアンと付き合い始め、2人は2007年に結婚した。

グーグルという企業組織は、社員が学生気分のまま働くことを前提にして築かれている部分が大きい

私たちが採用試験で候補者の面接を行う差には質問への解答を4点満点で評価して、平均点が3点以下なら不採用にする。これは大学で採用されている成績評価システム(GPA)とまったく同じだ。グーグル製品戦略会議の進行も博士課程の口頭試問と同じような形で執り行われる。

グーグルが職場における生産性の阻害要因を取り除くためにたゆまぬ努力を続けていることだった。

グーグルは社員の採用を非常に重視していた。ペイジとブリンは、会社が成果を出せるかどうかは、トップクラスの知性や能力を持つ人材を採用できるかどうかにかかっていると考えていた。ペイジはある時、グーグルに採用されるほど優秀な人間なら、出張中に空港で待ち時間ができたときに、彼に興味深い話題を提供して飽きさせない程度の知識や利発さがあって然るべきだと語ったことがある。・・・社員が会社に来ることを楽しみにするような知的刺激に満ちた環境をつくり出すことにあった。たとえばジョー・クラウスは入社してから半年後に、社内でこれまで「頭が悪い」人間に1人も会ったことがないことにはたと気づいた。「血の巡りが悪いやつが1人もいないんだ」と彼は言う。「これだけの規模の会社なのに、ちょっとすごすぎる」

これらの成績(SATやGPA)と入社後のパフォーマンスに何の相関関係もないことが社内調査で明らかになった後でも、グーグルは候補者たちにそうした情報の提出を求め続けた。また入社してある程度の期間が経ったあとで、社員のポジションを決める際にも大学時代の成績が参考にされることがあった。・・・実際に計測された重要な数値であることは確かなので、見ておきたい

グーグルの統計学者ボー・カウギル・・・は「毎日の株価の動きが社員の気分、努力レベル、及び意思決定に影響する」ことを発見した。案の定、社員は株価が上昇すると幸せで楽観的な気分になったが、革新的なアイデアには慎重な態度を示すようになった。つまり、グーグラーたちは裕福になるに連れて保守化していったのだ。これこそまさに、創業者たちが恐れたIPOの弊害だった。

グーグルは社員のモチベーションを維持するために、自分たちがプロジェクトの責任者であることを実感できるくらい小規模なチーム編成にこだわってきた・・・チームの肥大化が目立ち始めると、プロジェクトを分解し、複数のより小さなチームに分散させた。社員たちがまるでデータセンターのサーバーであるかのように調整する、このプロセスを「ロードバランシング(負荷分散)」と呼んだ。

役に立つ人間になるには、・・・自発的な行動を抑圧したり、恣意的な理由で作業に従事させたりするような環境から徹底的に自由になる必要がある

最先端の技術情報に精通しているにもかかわらず、ビル・ゲイツの発想は明らかに、ストレージ資源はなるべく節約して使う必要があるという旧来のパラダイムに縛られたままだった。・・・たとえ2004年に2GBという度肝を抜く用な大容量を無料で提供しても、ほんの数カ月後にはそのコストは取るに足りないものになることを見抜いていたいたのだ。

グーグル社内の研究者が1年後の課題に取り組んでいると、ラリー・ペイジにそれより10年後の課題に取り組めとはっぱをかけられることがあった。あるいは、SF小説にしか出てこないような問題に今から取り組んでもいいかもしれないと言われることもあった。・・・誰が見ても馬鹿馬鹿しいほど時期尚早だと考えるような進んだ技術を開発すれば、最早誰にも追いつかれる心配はないというのがペイジの考えらしかった。

当初は各資源の現行価格が表示され、グーグル社内で競合するプロジェクトの担当エンジニアらはその価格で資源を調達できる。理想は、誰もがその価格で十分な資源を得られることで、それが可能な場合は入札は行われない。そうでない場合は、自動化されたオークションシステムが次の「タイムスロット」の価格を上げ、それらの資源をめぐって競合するエンジニアたちはもっと高い入札額を提示すべきかどうか決める必要がある。

ジョブズはとりわけブリンと馬が合った。2人ともパロアルトに自宅があったので、一緒に町中を歩き回ったり、丘を一緒に登ったりしながら長時間の散歩を楽しんだ。

グーグルのモバイル部門を率いるのは、マイクロソフトの上級幹部まで務めたビック・ガンドトラだった。・・・情報化時代に絶頂期を支えるのはマイクロソフトではないことに気づいた。・・・最早全ての机の上にコンピュータを、というビル・ゲイツのビジョンの時代じゃない。重要なのは、世界中の情報にアクセスして使えるようにするという(グーグルの)ビジョンだ。

無害なライバルにすぎないとみなしていたプラットフォームが実はiPhoneと完全に代替可能であることに気づくと、ジョブズは次第に不機嫌になっていった。それでも、グーグルとの縁切りに踏み切るまでには、数ヶ月かかった。

陳はペイジのことを、技術革新に関しては素晴らしい才能の持ち主だが、プロダクトデザインについてはそうでもないと感じていた。「ラリーに製品設計に口を出させたらとんでもないことになる。彼はとても頭の良い人間だが、決して平均的なユーザーではない」・・・彼は最悪の事態を防ぐためにある戦略を思いついた。「ピカピカ光るおもちゃをあてがって遊ばせておく」ことだ。グーグルボイスの最初のレビュー会議の冒頭で、彼はペイジとブリンに新サービスで使うために彼ら自身の電話番号を決めてくれないかと持ちかけた。次の一時間ほどの間、2人は数学的ジョークを電話番号に盛り込むためにはどういう順番で数字を並べるべきか夢中で話し合っていた。その間に、グーグルボイスは第一回目のレビューを難なく通過した。

 ブリンとペイジは実のところ景気悪化を歓迎していた。グーグルが新興企業時代に持っていたハングリーさを取り戻すチャンスと見ていたのだ。彼ら自身はグーグルにはハングリーさが残っているとずっと主張し続けているが、成長するに連れて、変化に取り残された淀んだ僻地のような場所が社内にできていた。官僚制と保身主義がいつの間にか忍び込み、座席を仕切るパーティションに企業の官僚主義を皮肉る漫画「ディルバート」の切り抜きが貼ってあるのを見かけるようにさえなった。

ディルバート - Wikipedia

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最初は元気な社員の危害を表す行動だったものが、繰り返されるうちに、周囲や上司への計算ずくのアピールにしか見えなくなってしまう。

人間の思考回路には、より高い等級の仲間の決定には従うべきだと考える傾向が組み込まれている。このバイアスは、アフリカのサバンナや大企業では役に立つかもしれないが、グーグルでは全く用をなさないとボックは言う。「エリックとラリーは、すべての社員が誰に対しても『あなたは間違っている』と面と向かって言い、その理由を10個並べられるような組織を望んでいる」。お互いの等級を知ってしまうとそれがやりにくくなることは確かだった。

グーグル ネット覇者の真実 追われる立場から追う立場へ

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