ペンローズのねじれた四次元 : 時空をつくるツイスターの不思議

ようするに、「場」という考えをもとにしたマックスウェルの電磁気学が、ニュートン力学と相容れない、という困った状況だ。

  • マックスウェルの電磁気学=近接作用
  • ニュートン古典力学=遠隔作用 マックスウェルの理論では、力は、光速で伝わる。ところが、ニュートンの力学では、宇宙の果ての星からの重力が、一瞬にして伝わるのである。だから遠隔作用という名前が付いている。・・・伝播速度が無限大なのだ。

物理学というのは、ようするに宇宙の森羅万象の統一的な描像を得ようという試みにほかならない。一方では、力が有限の速度で徐々に伝わって、他方、無限の速度で瞬時に伝わるのでは、とてもじゃないが統一的な描像とは言い難い。そこで、登場したのがローレンツでありフィッツジェラルドである。

ローレンツフィッツジェラルドの考え

剛体が動くと、千里の彼方まで瞬時に力が伝わって光速を超えるのがまずいのだ。だから、力の伝わり方が光速以下になるように、動いている棒が縮めばいい。絶対空間に対して静止しているエーテルを基準に考えよう。エーテルに対して速度\nuで動いている棒は、\sqrt{1-(\nu/c)2}倍に縮むと考えればマックスウェルの考えと矛盾しない。(ここでcは光速)

アインシュタインの考え

剛体なんてそもそも存在しない。動いている棒は縮めばいい。絶対空間も、それに対して静止しているエーテルもいらない。速度\nuで動いている棒は、\sqrt{1-(\nu/c)2}倍に縮むと考えればマックスウェルの考えと矛盾しない。ただし、その/nuは、物と物同士の相対速度にすぎない。

初等力学では、とりあえず、ニュートンの絶対空間を認めて、その絶対空間に対する力が本物で、そうでない加速系から見える力を見かけの力と呼ぶのである。フーコーの振り子は、絶対空間から見れば一定方向に触れている。だが、回転している加速系の地球からは、コリオリの力という見かけ上の力を受けてフーコーの振り子は回転して見える。・・・フーコーの振り子コリオリの力で、バケツは遠心力だが、こういった見かけの力が生ずることから、逆に、見かけの力の生じない絶対空間の存在がわかるというのである。

マッハの批判が、その本質においていかに健全であるかは、次の類推から特にはっきり理解することが出来る。アインシュタイン

物体は空間内でその運動方向と速さを保存するという時、それは宇宙全体に関係づけよ、という命令の完結な表現なのである。マッハ力学

ニュートンのバケツは、エーテルの中でどこにあるかわからない絶対空間(基準点)に対して回転しているのではなく、宇宙全体の星や星間ガスなどの質量の分布によって決まる重心に対して回転しているのであって、その分布が変われば、回転の様子も変わるというのである。そう、マイケルソンとモーレーの実験によって、エーテルに対する速度が無意味なことはわかっていた。それならば、いっそのこと「エーテルなんかいらない!」と言ってしまえばよかったのだ。フーコーの振り子ニュートンのバケツも、宇宙全体の具体的な星たちの質量分布に対して「相対的」に動いていると考えればよかったのだ。だって、重さもなくて目にも見えない上に速度にも影響を与えないエーテルを仮定する意味なんかないではないか?

  • 天動説=惑星の数だけパラメータが必要
  • 地動説=パラメータは一つ という大きな差があるのだ。つまり、余計な仮定を必要としない地動説のほうが明らかにベターなのである。

  • ローレンツフィッツジェラルドの説=絶対空間を仮定するため光速は不変ではない

  • アインシュタインの説=光速を不変にしたので絶対空間はいらない

特殊相対論にはエーテルも絶対空間もない。あるのは相対速度だけ。・・・観測者たちは、誰が特別なわけでもない。みんな相対的なのだ。・・・ある物体を基準として選ぶと、その基準物体に対して動いているのものは何でも縮むのである。

(特殊)相対論では、もはや、本当と見かけの区別は無意味となる。

ニュートン力学・・・カントの認識論・・・万人に共通の絶対的な真相の認識がある。・・・・アインシュタイン相対性理論の哲学的な基礎づけは、例えばエルンスト・カッシーラや廣松渉によって行われている。その基本的な立場は、個々人の相対的な「真相」の認識しかないというものだ。・・・ここではもはや、系S内部での測定値LやTと系S'からの測定値L'やT'とのどちらが本当の客観値であるのかという設問そのものがナンセンスと化するような事態になっている。・・・哲学的にはニュートンの客観的世界観からアインシュタインの共同主観的世界観へという事態なのだ。

物理学者たちは、1905年に特殊相対性理論ができてから、54年間も、次郎の体型がどう太郎の目に映るのか、突き詰めて考えたことがなかった。それは、暗黙のうちに、「認識=見え方」と思い込んでいたからだ。でも、ペンローズは違った。彼は、この一件、当たり前の「縮んで見える」ことを実際に計算して確かめてみた。すると、驚いたことに、計算結果は、「縮んで見えない」ことを示していたのである。確かに、目の前を左から右に通過する次郎は、前後に縮んでいる。だが、それを見ている太郎の目には、次郎の身体は縮んで見えずに、回転して見えるのである。

  1. 動いているサイコロはローレンツ収縮で\sqrt{1-(\nu/c)2}倍に縮んでいる。
  2. 光は光速で飛ぶ

ブラックホールの真ん中と宇宙のはじめには何があるか。そこには、時空鳴らぬ時空、全ての物理量が無限の大きさと化す「特異点」が存在する。この奇妙な数学的産物が、アインシュタインの時空に必然的に存在することを初めて証明したのがペンローズであった。

特殊相対性理論のポイントは、光の速度が誰から見ても一定なこと。

  • 特殊相対論=方程式の形が速度の変換によって不変
  • 一般相対論=方程式の形が一般座標変換によって不変

たとえば電磁場の方程式(マックスウェルの方程式)は誰が書いても同じ形をしている。・・・電磁場の方程式は、電場と磁場の変化を記述する。・・・電場や磁場は、絶対的な存在ではなく、観測者によって見え方の違う、相対的な存在なのである。だが、電場と磁場をまとめて記述する方程式の形については、意見が一致する。速度が違う立場の変換は、ローレンツ変換と呼ばれている。マックスウェルの方程式は、ローレンツ変換で形を変えない(つまり不変(共変))・・・大事なのは、速度が違っても意見が一致するのは何か?ということであり、そこに理論の本質が隠れている。

特殊相対論と違って、一般相対論では、速度の違う立場ではなく、もっと一般的で包括的な変換を扱う。よく、一般相対論では加速度が違う場合も扱うことが出来る、という解説を見かけるが、正確に言うと、一般相対論の変換は、加速度の違いよりも、更に広い範囲の変換になっている。それを、「一般座標変換」と呼ぶ。

一般相対論のもう一つの柱は、等価原理とよばれるもので、これは重力と加速度は等価であるというもの。・・・重力が加速度と等価ということは、重力と同じ加速度で落ちれば、重力の効果は消えるのだろろうか?つまり、エレベーターが重力加速度gと同じ加速度で下に落下すれば、重力が無くなって、バネ秤の目盛りはゼロになるのか?答えはイエスである。重力は消し去ることが可能だ。ただし、条件がつく。その条件とは、局所的にというものだ。・・・広い範囲で大域的に重力の効果は消し去ることは出来ない。・・・重力が消えるということは、局所的に特殊相対論が成り立つということか?再び、答えはイエスである。

一般相対性原理と等価原理が一般相対論の二本柱だが、その具体的な計算は、アインシュタイン方程式と呼ばれる美しい方程式によって行われる。・・・E=mc2という方程式は、左辺のエネルギーと右辺お質量に光速に二乗をかけた量がイコールだという意味で、質量をエネルギーに変換できることを意味している。・・・アインシュタイン方程式は時空の歪み=物質の存在というような方程式だ。 R{mn}=8\pi T{mn} Rが時空の曲がり方を表す量で、Tが物質の量を表す。添字のmとnは、t, x, y, zの値を取る。・・・アインシュタインの世界観というのは、時空がグニューっとゴムのように柔らかくて、そこに重い物質が乗るとたわんでしまうのだ。逆にそのたわみ方が大きいことを、物質がたくさんあると言う。

局所的に重力を消すことが出来る、というのは、時空のたわみをなくすということなのか?それは、ちょっと違って、たわみはなくならないが、曲がった時空の一点で、曲線に沿って接線を引く様に、「接平面」を考えることに相当する。平面はたわんでいないから、特殊相対論が成り立つのだ。

一般的な座標変換・・・座標xを滑らかな関数f(x)に変換すること 特殊相対論では、座標をローレンツ変換しても方程式の形は不変だった。今度は、ローレンツ変換よりも広くて一般的な座標変換をしても方程式が不変になる。

ブラックホールにはシュバルツシルト半径と呼ばれる入口がある。・・・入ったら出られないというのが黒いゆえん・・・大きさであるが、ブラックホールの質量をMとして、 シュバルツシルト半径=2Mである、つまり重さの2倍である。

事象の地平線の一例として、ブラックホールのシュバルツシルト半径があるのだ。 事象の地平線=無限の未来までかかっても見ることの出来ない領域

見るというのは、光が飛んできて目に入るということ。つまり、事象の地平線とは、何らかの理由で光が遮断されてしまって、その先が観測できないような宇宙の領域のことなのだ。例えば、宇宙が急激に膨張しているとしよう。すると、遠くにある星は超高速で遠ざかっているので、星の光は、我々の方に向かって進むことが出来ない。だから、観測することも出来ない。このような星は、事象の地平線の彼方にあるわけである。ドジッター宇宙という指数関数的に膨張する宇宙モデルでは、このような事象の地平線が存在する。現在、標準的な宇宙モデルとして採用されているフリードマン宇宙では、このような事象の地平線は存在しない。・・・ブラックホールの周囲の事象の地平線は、重力場が強すぎて、光速でも引力圏から脱出できないような状況になっている。

ペンローズの名前を数理物理界で不朽のものにしたのが、かの有名な特異点定理だ。1965年のことである。・・・特異点というのは、温度無限大、圧力無限大、大きさゼロの地点のことである。・・・そこに足を踏み込んだ人間は、無限大の温度に焼かれ、無限大の圧力に押しつぶされ、身体はばらばらになり、分子も分解して、原子さえも分解して、単なるエネルギーの塊と化するからである。・・・一般相対論では、空間が曲がっていることと質量が存在することは同じである。太陽は重いから、太陽のある場所は空間が凹んでいる。その曲がり方のことを曲率というわけだが、特異点は、重すぎて、その曲率が無限大のような点のことを言うのである。・・・ホーキングは、ペンローズの一般的な定理を、宇宙論という特定の分野に当てはめてみた。そして、宇宙が透明になる前の状況を計算して、宇宙の始まりにおいて、特異点が存在する、という結論に到達した。・・・宇宙には始まりがあったということ。・・・宇宙は、初めは熱くて物質がバラバラになって溶けていてい光が直進できなかった。時間が経って、だんだんと冷えてくると、物質が固まって、光がその横をすり抜けて直進できるようになった。そんなイメージですよ。・・・今の宇宙は冷たいから透明です。・・・だいたい宇宙が誕生してから10万年経った頃

ペンローズ実在論(realism)、ホーキングは実証論(positivism)・・・実在論は、物理学は実在するものを扱うという立場だ。・・・実証論では、月を見ていない時は、それが存在するかどうかを論ずることは意味を成さない。・・・実験や観察で実証できることだけに意味がある、という立場なのだ。・・・量子力学が関係してくると、簡単に割り切ることはできなくなってしまう。量子力学では、物質は、粒子の性質を持つと同時に波の性質を持つ。量子力学にしたがう素粒子の運動では、ある地点から別の地点に飛んでいった素粒子に決まった道筋はない、と考える。・・・実証論の立場では、素粒子に道筋はないというのである。実在論の立場の人々は、このような実証主義者たちのクールな割り切り方が気に入らない。そこで、経路が実在するような理論を考えようと四苦八苦した。・・・隠れた変数の理論・・・神はx(t)の真の値を知っているのだが、人間は、それを知らないので、確率的な予言しか出来ない、というもの。

ペンローズは一般相対論の業績があまりにも多く、他人が思いつかないような図を描くので、どれもこれもペンローズ図になってしまう。・・・ペンローズ図というのは、無限に遠いところを有限のところに持ってきた図のことを言う。

観測とは見ることであり、見るためには光が必要だということだ。光というのは、物理学では光子と呼んでいるが、やはり、電子のように小さな粒なのだ。だから、電子を観測するために光を当てるというのは、要するに、小さな電子に小さな光子を衝突させて、跳ね返ってきた光子をフィルムが捉えるのである。・・・何しろ、観測に使った光子が原因で、観測されていた物体(電子)の位置が変わってしまうのだから、このように、観測によって、観測されていたものの状態が乱れるのが、量子論の特徴なのだ。・・・理論には、観測による乱れも含まれていないと困る。もちろん、吹っ飛ばされた電子が正確にどの方角に飛ぶかはわからないので、量子論の理論予測は、どうしても確率的にならざるをえない。

光子は、2つの穴のどちらを通ってきたのか?・・・ボーアに代表される実証論では、電灯から出た瞬間に、光子の実在云々は無意味となり、光センサーでとらえた瞬間に、また実在が意味を持つ。でも、途中を飛んでいる間は、実在という概念が意味を成さない。そして、光子も波の性質を持っており(電磁波!)、2つの穴の両方を波が通り抜けて、通り抜けた後に干渉したような観測結果になるため、光子は2つの穴を同時に通り抜けた、と結論付けるのである。・・・ボーアの立場が定説・・・コペンハーゲン解釈

量子力学の対象は波または粒子・・・電子や光子は、いったん測定すると、粒子のように振る舞うか、または、波のように振る舞う。この2つの性質は相補うため、これを量子力学では相補性と呼んでいる。・・・2つのスリットを通り抜けた光子は、やがて写真のフィルムにぶつかって記録される。1つの光子は、フィルム上に、ポツッと1点が白くなって記録される。これは、紛れも無い粒子性である。ところが、同じように光子を1つずつ送り続けると、やがてフィルムには白い点がたくさん移るようになる。そして、驚くなかれ、そこには、紛れも無い干渉パターンが現れるのである。これは、光子の波の性質である。

量子力学は、通常は、波動関数で記述される。波動関数は、波なのだから、重ね合わせが可能だ。波の山と山が重なれば振幅は大きくなるし、山と谷が重なれば、打ち消し合って振幅は小さくなる。この波は、通常の解釈では、3次元空間の実在はではなく、確率の波である。波動関数は、重ね合わせが可能である。言い換えると、干渉が可能なのだ。鑑賞可能なことを山門用語でコヒーレント(coherent)と呼ぶ。・・・振幅の他に位相という性質・・・波の山がいつどこにあるかという情報・・・位相が決まっているような波は、コヒーレント、つまり干渉可能なのである。

キャンプファイアの日や太陽光や蛍光灯の光・・・位相がそろっていない・・・位相情報が失われている・・・位相が乱雑なのだ・・・こういう波のことをデコヒーレント(decoherent)と呼ぶ。つまり、干渉不可能な波なのである。・・・でコヒーレントな状態を扱うためは、波動関数から作った密度行列なるものを用いる必要がある。・・・対角線成分が実現する可能性のある状態の確率・・・対角成分は干渉可能性を表しているのだ。

ヒルベルト空間の数学を知っている人間にとっては、目の前の事象は、全てヒルベルト空間内のベクトルの動きとして認識される。・・・ヒルベルト空間とは、今の場合、軸の数が無限にたくさんあって、おまけに波動関数を二乗しても無限大にならないような特殊な空間だ。

フォン・ノイマン・・・観測問題=密度行列の非対角成分が波束の収縮によって消えること

物理学を勉強するとき、まずは、経験豊富な教師の書いた初等教科書を読んで、幾つもの演習問題をこなす。だが、その次の段階で、いわゆる天才たちの書いた独創的なモノグラフを読む必要がある。量子力学であれば、ディラックの教科書が有名だ。ディラックを読まないと、量子力学の本当のところは理解できない、という感想を洩らす物理学者は多い。・・・天才たちの補論のいいところは、彼らが、それぞれ独自の観点から、物理現象のユニークな解釈を与えてくれることと、ここは誰にもわかっていないという点をはっきりと教えてくれる点だろう。天才たちは、どこまでわかっていて、どこがわからないか、何が問題なのかを認識している。

ジョーンズの発見は、それまで停滞気味であった結び目理論の研究に火をつけた。・・・ところがルイス・カウフマンによって、ジョーンズ多項式が、結び目のブラケット状態の和として計算できることが示され、その状態の和をとるという方法が、統計物理学の方法と酷似していたため、俄然、物理学者の興味を引くようになったのである。 ジョーンズ多項式 - Wikipedia CCA Kitakyushu | ルイス・H.カウフマン