意識はいつ生まれるのか――脳の謎に挑む統合情報理論

 ガリレオ・ガリレイ以降、科学者たちは自然を研究するに当たり、主観性を排する努力を懸命に続けてきた。科学的な法則は全て、物体の客観的な観察を元に生み出される。観察者の主観によるものではないと思われるデータを集めるのである。自然を描写する重要な法則の基礎となったのは、このように、特性を客観的に研究することによって発見された原理だった。・・・だが、意識の研究となると話は別だ。・・・科学的に観察しようとするものと意識との関係にある。事実、科学的に説明できる他の事象と異なり、意識の生成過程は、我々指針と切っても切れない関係にある。意識を持つ観察者である我々が、研究の対象と切り離せないのだ。・・・そうなると、研究にあたっての心構えをガラッと変えなければならない。

統合情報理論の基本的な命題は、ある身体システムは、情報を統合する能力があれば、意識があるというものだ。

 統合情報理論では、身体的システムの情報量を定めるべく、新しい単位を導入した。どれが、Φと呼ばれる単位だ。Φの値は、情報の単位、ビットで表される。

 イルカは、人間や類人猿と同じように、鏡に写る自分の姿がわかるようだ。多くの心理学者が、鏡の中の自己を認識することは、自意識がある証拠だと考えている。だが、鏡の前のイルカの動きを解釈することは、類人猿の同様の動きを解釈するよりもずっと難しい。それ故、イルカに自意識があるか否かについては、まだ議論が続いている。・・・イルカの視床皮質系は、解剖構造的な複雑さにおいて、ヒトのものに引けをとらない。だがその機能はというと、いろいろな意味で実に異なっている。例えば、軸索の伝達スピードはヒトよりもずっと早く、視覚領域はずっと小さいが、エコーによる位置特定に関わる領域は非常に大きい。更に得意な点は、イルカが眠っていると、脳半球の片方が交互に起きている、ということだ。

鳩の中には、予めピカソとモネの絵を見分ける訓練を受けたうえで、まだ見たことのない両作家の絵について、作者がどちらかを言い当てるものがいる。このことから、ある程度の抽象思考能力が備わっていると考えられるのだ。

 物体が一なる組織か否かの基準になるのは、その組織を構成する要素間に因果関係があるかどうかである。そして、要素同士に密接なつながりがあり、それによって、情報を組織全体として生み出しているかどうかがポイントになる。独立した要素が生むばらばらの情報ではなく、まとまった情報があるかどうかが目印となるのだ。

 統合情報理論によれば、意識は、情報量が最大レベルまで高まった時に発生する。ある脳内において、各構成要素の上部のレベルで、情報が生み出されるとしよう。その量が最大レベルまで高まれば、意識が生まれるということだ。構成要素には、原子や分子、ニューロン、それぞれの回路、各皮質領域が含まれる。・・・我々は、バラバラに出来ない、堅い情報の中核そのものである。そしてこの中核によって、我々の選択が決まる。我々の行動を規定するのは、それ以上のものでも、それ以下のものでもない、意識が生まれるには、物理的世界に見いだせる限りの、最大量の情報が集中しなければならない これが本当であれば、意識は、実に多くの因果関係の上に成り立っていることになる。

ガリレオ「測定できるものは測定し、測定できないものは測定できるようにせよ」

意識はいつ生まれるのか――脳の謎に挑む統合情報理論

意識はいつ生まれるのか――脳の謎に挑む統合情報理論