若き数学者への手紙

  •  教師たちが君を見ただけで、ほんのちらりと見ただけで、すぐに君の聡明さに気づくなんて、期待しないことだ。教師がこちらの才能を的確に見出してくれるだろうとか、どういう風に指導したらいいか承知しているだろうなんて、思わないこと。中には、どういうことができる教師がいるかもしれない。そういう人には、生涯感謝し続けることになるだろう。でも、悲しいかな、そういうことが見抜けない教師もいるし、生徒のことを大して気にかけていなかったり、自分の心配事や恨みつらみしか見えていない教師もいる。それにまた、君の才能に恐れをなす人物からは、結局、たいして多くを学べるわけじゃない。最良の教師に出会うと、時には、というよりもかなりの場合、自分が馬鹿じゃないかと、思えてくるものだ。
  • 人間の活動は全てそうなんだが、基本をしっかり理解していないと、高いレベルには取り組めない。テニスもそうだし、バイオリンを弾くのだってそうだ。そして数学をするには、たまたま、かなりの基本知識や基礎的な技法が必要になる。
  • 定義されたものは、そこで固定されてしまう。創造性や多様性が制限される。定義することによって、暗黙のうちに、ある概念のバリエーションとしてありうるすべてのものが、単純で簡潔な文言に還元されてしまう。現在も発展しているすべてのものについて言えることだが、数学もまた、常に驚きを秘めている。
  • クーラント・ロビンズが描いた「数学とは何か」・・人間の精神の表現としての数学は積極的な意思、静観する理性、そして美的な完ぺきを求める欲求を反映している・・数学の発展は全て、大なり小なり実際的な要求にこたえようとする心の動きに根ざしている。しかし、応用する必要があるというプレッシャーから始まったものがそれ自体勢いを得ることは必定で、結局は、直接的な有用さの限界を超えてしまう・・幸いな事に、創造的な精神は、独断的な哲学的信念に固執していたのでは前向きな達成が妨げられるとなれば、いつでもそんな哲学的信念は忘れ去ってしまう。学者であろうと素人であろうと、数学とは何かという問いに答えるには哲学をするのではなく、積極的に数学における経験を積むしかないのだ。
  • 実は、数学を学べば学ぶほど、新しい問いを発するチャンスが増えるんだ。数学について知れば知るほど、新しい発見をするチャンスが増える。そんな馬鹿なと思うかもしれないが、数学では、古いアイデアの上に新しいアイデアが積み重なっていくんだから、これは当然だ。どんな学問を究めるにしても、既に持っている知識が多ければ多いほど、新しい内容を理解するスピードは速くなる。
  • 数学における創造に関しては、ジャンク・アダマールが「数学における発明の心理」という本を書いていて・・一点目は数学的な思考のほとんどが、漠然とした視覚イメージから始まるのであって、記号を使った定式化は後から行われるにすぎない、ということだ。・・さらに2点目として、数学の着想は3段階のプロセスを経て生まれる、ということがある。
  • まず最初に、問題に対して、かなり意識的な作業をしなくてはならない。その問題を理解し、その問題に迫る方法を探り、役に立ちそうな一般的な特徴はないか、様々な例を当たってみる。この段階では、たいてい、その問題の本当の難しさがわかってきて、絶望的な混乱に落ち込むことになる。そうなったら今度は、その問題について考えるのをやめて、何か別のことをする。・・潜在意識に、元々の問題をひねくりまわすチャンスを与える。そして最後にまた、さっきとは別の意識的な段階に入る。全てを形式に則って書きとめ、細部をチェックして、公表できるように結果の形を整え、他の数学者が読めるようにする。科学刊行物をまとめるときには、「わかった!」という瞬間は隠して、その発見を、既に分かっていることからの純粋に理知的な演繹として提示しなければならない、という習わしがある。
  • ポアンカレは、第一の段階を「準備」、第二の段階を[孵化と啓発]、第三の段階を「確認」と呼んだ。そしてとくに、潜在意識の役割を強調した。
  • 自分が行き詰ったと思ったら、やがて展望が開けることを願いつつ、とりあえず困難を無視し前進する。ただし、それではうまくいかなかった場合に備えて、どこで引っかかったのかはしっかり覚えておく。そして、うまくいかなかった場合は、自分が引っ掛かった場所まで後戻りし、さらに、自分が確実に理解していると言えるものが出てくるところまで遡る。そしてまた、前に進んでみる。・・この方法は、コンピュータ科学者が、「縦型探索」と呼んでいる手法だ。
  • 誰かが「なぜこれこれが必要なのか」と言いだすのは、たいてい、それをやり遂げる自信がなくて、出来ればやらずに済ませたいと思っている時なんだ。自分で証明を組み立てられる学生は、なんでこんなことをするのかとは、決して言わない。逆立ちをしたまま暗算でながい掛け算ができる学生は、そんなことをしてどうなる、とは言わない。何かを達成することに喜びを感じているときは、自分のしていることに意味があるかどうか、考える必要など感じない。楽しいというだけで十分なんだ。
  • 時には知識が邪魔をして、判断が曇る場合もある。・・専門家たちは、クレバスや絶壁は目に入っていても、ヘリコプターを設計する妙案には気づいていないのかもしれない。どこかの誰かが、突然予想外の装置を作り出して、専門家たちが全員間違っていたことを示してみせるという場合だってある。
  • 物理学者のユージン・ウィグナーは、かつて、「自然界の本質を見極めようとするとき、数学は「理屈に合わないほど有効」だ」、と述べているが、言葉の選び方から見て、これが純粋数学なのは明らかだ。
  • 研究に必要なのは、独創性に富んだ頭脳と、考える時間と、仕事ができる場所と、優れた図書館へのアクセスと、優れたコンピュータシステムへのアクセスと、コピー機と高速インターネット接続。それだけだ。・・ただし、最初の一つだけは自前だ。
  • 才能ある人たちは、しばしば非常に厳しい修練を積む。これはほんとうだ。そうでなければ、自分が選んだ分野で頂点に立ち続けることは、不可能だからね。サッカー選手が、日々何時間もかけて筋トレをするのをやめてしまえば、直に、筋トレをしている選手にとって代わられることになる。でも、そもそも素質がなかったら、鍛錬の効果も上がらない。
  • 良い教師の最も重要な特徴は、自分を学生の立場におけるかどうかだ。・・自分にとっては実に平易で一点の曇りもなく明らかに思えることでも、そのアイデアに初めて出会った人間にとっては、曖昧で謎に満ちている場合があるということを、覚えておかなくてはならない。
若き数学者への手紙 (ちくま学芸文庫)

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