戦後日本経済史

 戦後の日本経済は戦時期に確立された経済制度の上に築かれた、とする考え方である。

現代的な経済活動にとって重要な対立は(マルクス主義経済学者の)資本対労働ではなく、ケインズが正しく見ぬいたように、資産保有者対事業者なのである。

銀行が産業資金供給の中心になる仕組み自体が、戦時経済の産物である。それまでの日本では、企業が株式や社債を発行して資本市場から直接に資金を調達する仕組みが中心だった。31年においては、企業が調達した資金のうち実に86%強が直接金融によるものであり、銀行貸出は14%弱に過ぎなかった。戦時経済の中で、軍需産業資金を集中させるために、これが大きく変わった。まず、株式による資金調達に対して、配当制限などの制約が課された。他方で銀行の強化が図られた。その結果、銀行による資金供給は、45年には全体の93%にまで膨れ上がった。

直接税中心の近代的税体系にしたのは、シャウプ勧告ではなく、それより9年前の40年度税制改革だった。・・「馬場税制改革」と呼ばれる。

軍事費調達のため財源を強化する必要があり、法人税が新設され、また給与所得に対する源泉徴収制度が導入された。・・源泉徴収は1年前にドイツで導入されたのを見習ったもので、その当時、「世界最先端」の徴税制度だった。・・本来なら、アメリカのように、給与所得にも確定申告や経費実額控除を認めるべきだ。

給与所得剤が源泉徴収だけで決まってしまうため、サラリーマンは税制に関心を持たず、政治にも無関心になる。そもそも民主主義政治とは、税に関する制度を議会で決めることから出発している。だから、日本において民主主義は、馬場税制改革以来、存在していない。 

戦前の電気事業は多数の民間企業によって運営されていたが、戦時経済の要請で国家管理への移行が図られた。39年に各地の電力会社を統合して国策会社である日本発送電が設立され、更に既存の電力会社を解散させて、9つの配電会社が作られた。こうして、戦後の9電力体制が確立された。「役所より役所的」と言われる電力会社の体質は、戦時期に作られたのである。

1965年、5月28日の夜、興銀、富士、三菱銀行の頭取と日銀副総裁、そして大蔵省幹部が日銀永川寮に密かに参集した。証券市場の危機的状況に対処するためである。・・このころまでの日本の増資は、株主に額面であり当てる方式が中心であった。株主からすると、株価が高くなれば額面との差が自動的に転がり込んでくるから、高株価を歓迎した。他方で、配当が少なくとも、問題にすることはない。
増資する企業の立場になると、株価が高くとも額面分しか手に入らないから、利益を上げて株価を高くすることには関心がない。また、配当が低くても、株主から苦情はでない。
反面で、成長して増資すれば歓迎される。したがって「利益」に感心を持たず、もっぱら「成長」を追求した。しかも、大きくなれば支配力が増し、社員の定年後の天下り先も増える。こうして「成長」が企業の唯一の目的となった。
額面増資では、大した資本調達はできない。したがって、企業は銀行依存から脱却することが出来なかった。ただし、企業の立場からしても、借入は物価上昇によって実質価値が減価するので、望ましかった。・・証券会社は、この(大蔵省の時価発行増資移行)方針に強行に反対した。「額面増資に対する株主の期待はすでに株価に織り込まれているから、それをやめれば株価が下落する」と主張したのである。
証券会社は、目先の利益にとらわれて、本来果たすべき役割を放棄したことになる。・・成長が見込まれる企業を選定し、成長株として推奨販売する。そして、株価がある程度値上がりすると、その株を売らせて、投資信託が引き取る。
この仕組は、投信を道具として株の営業を行うものだから、投信購入者を欺く背信行為だ。しかし、経済成長で株価が上昇し続ければ、投信も一定の利回りを維持できる。・・63年11月、ケネディ大統領の暗殺をきっかけとして株価が暴落。高株価の銘柄を組み込んであったので、投信の元本割れが続出する。投信は元本保証と思っていた人が多かったためパニックが起こる。こうして危機が深刻化したのである。・・49年に69.1%であった個人の持ち株比率は、60年に46.3%、75年に33.5%と低下した。他方で金融機関の比率は、同時期に9.9%から30.6%へ、さらに36.0%へと上昇した。

日本では、大学で少し勉強したことだけを基準として理系・文系というレッテルを貼ってしまう。官庁は工学部出身の私を採用してくれたのだからまだましだが、専攻変更を認めない国立大学や、出身学部だけで配属先を決めてしまう民間大企業の硬直性は度し難い。

1990年1月3日の日本経済新聞を見て、彼らは安堵した。・・「堅調な景気や株式需給関係の良さを支えに、日経平均株価年末に四万四千円前後へ上昇・・・主要企業の経営者二十氏の今年の株価予想を集約するとこうなる。」・・3月20日、公定歩合が1%引き上げられ、5.25%になった。この時点で、株価は年初からすでに20%下落していた。3月27日には、銀行の不動産向け融資に上限を加える「総量規制」の導入を大蔵省が決定、4月から実施した。8月2日に、イラク軍がクウェートに侵攻した。・・日経平均株価は、10月1日までの2ヶ月で33%下落し、最高値の半値になった。

新しい技術体系がなぜ日本で広がらないのだろう。・・第一は言葉の壁である。・・企業のコールセンターをインドに移せるのは、英語国だけである。・・「国が主導して新しい次代を切り開く」という発想自体が、新しい時代にそぐわないのだ。

戦後日本経済史 (新潮選書)

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