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芸術を創る脳: 美・言語・人間性をめぐる対話

 指揮棒自体の運動も重力の法則に従ってコントロールすると、指揮者の意図が奏者に伝わりやすくなるようです。機械的に一定の速度で棒を動かすのでは、アクセントの位置が予想できません。指揮棒を振り上げたら、肩や腕の力を完全に抜いて「自由落下」で加速させ、ボールが弾むように腕を撥ね上げる瞬間が、打点、つまり拍の頭です。

指揮者の意図がすべての奏者に瞬時に伝わるのは、基本的な指示がそうした物理法則に基づいているからなのですね。

適度なスピードで演奏できなければ、最初から目標のスピードに挑戦しても無理でしょう。楽器演奏だけでなくスポーツもそうですが、意識的に適度な練習を繰り返して熟達していくことで、最後には意識しなくとも上手くできるようになる。この脳のメカニズムについては、伊藤正男先生による大脳と小脳の説があります。

最初は大脳を使って、フォームを目で見て確かめたりしながら、ゆっくりと意識的に反復練習をする。そうすると、大脳のシミュレーション・モデルが小脳に作られ、今度は意識せずに小脳だけを使って運動ができる。・・・小脳はとにかく指令を一方的に送るだけ。しかも意識する必要がない分、結果を気にせず実行できるため、自動的に体をコントロールできます。

海外での武者修行や留学もまた、必要な体験の典型です。芸術家には他人の評価が常に付きまとうという宿命がありますが、それは学問の世界でも同じです。その中で、こんなに優れた作品や仕事が評価されないのはどうしてなのか、といった不満も当然起こることと思います。そうした逆風を跳ね返すためにも、体験の蓄積によって自分に自信を持つことが大切でしょう。同じことを繰り返しているときは、毎回考えなくてすくマラ楽なのですが、あまり進歩がありません。そのルーチンから抜けだして、新たに創造的な仕事ができるためには、それまでの自分の殻を破る必要があります。そのきっかけとなるのが、新たな体験なのでしょう。

 チェスより将棋のほうが、終盤戦になってからの逆転の可能性が高いですね。それから将棋には、チェスト比べてマイナスの手がとても多いのです。考えられる選択肢の中で点数化していくと、マイナス50点とかマイナス100点とか、マイナス200点というような手がたくさんあります。一度のミスの影響が大きいので、形勢に差がついていたとしても、マイナスの手を指してしまうとその差が縮まってしまいます。

「有利なことだけやり続けるのは不利だ」という考えもあります。有利というのは現在の視点からですから、それが未来から見ても有利かどうかは分かりません。ですから、役に立たない、意味が無い、価値が無いなどと思われたことでも、後から振り返ってみたらとても大事なことだった、ということもあります。そういうのも取り入れてやってみるのがいいと思っています。

ある程度、基本に沿いながら、ただ大きく逸脱しない程度まで大胆な手を使えるかどうか、思い切ったことがやれるかどうか。そこが非常に難しいところです。 

 「チェスは論理の科学を表現する芸術だ」と述べたのは、ボトヴィニクであった。芸術的と賞賛される指し手とは、例えばポール・モーフィーが得意とした、華麗なサクリファイスの連続技である。これには、読みの深さだけでなく大胆さも必要なのだ。

 ある写真家が私に教えてくれたのですが、写真家の才能というのは、カメラを常に持ち歩いていることなのだそうです。シャッターチャンスが訪れた時に、カメラが有るかどうかが大事なのです。チャンスを逃した時には、「しまった」と思うことが大切。「同じようなチャンスがもう一度来たら、自分は絶対にそのチャンスを逃さないぞ」と思わなければいけない。

平山郁夫先生から、「どんなにかけなくてもいいから、とにかく決まった時間中はアトリエにいるようにしなさい」と指導されました。とにかくアトリエにいれば、いろいろなひらめきがさらに展開をしていった時に、具体的に絵を描くプロセスに入りやすいのです。

「美しい絵を描きたかったら、美しい人生を過ごせ」

 「守破離」だけですと、離れた時に糸の切れた凧のようになってしまいますから、糸の根本をしっかり握りながら、どれだけ遠くまで離れられるかということが、守破離の本質だと思うのです。

芸術が、単に余暇を過ごす暇つぶしや何となく必要なもの程度の存在だったら、芸術などという概念はとうの昔に廃れています。

 

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