脳を鍛える

 論戦をうまく展開する一つの方法として、今議論されている問題の論じ方は、論じ方そのものが正しくないのだと言って、全然違う視点からその問題を論じてみせるという手がありますが、実存主義がやったのはそれなんですね。それまで哲学の世界では、観念論や経験論ばかり論じられ、どちらにしても、議論の当然の前提として、真理は客観的でなければならないし、普遍的でなければならないというのが常識でした。そういう哲学の世界で、実存主義は、「真理は個別的である」「真理は主体性においてある」と、主体性の切り口を鮮明に出して、問題の設定の仕方そのものをガラリと変えてしまったわけです。

時代を画するような新しい思想が登場してくるときは・・これまでの問題の立て方とは全く違う新しいユニークな問題の立て方と共に、新しい思想は登場してくるものなんです。・・実存主義の主体性論の立場からするとき、世界を自分との関係性の上に捉え直す・・それだけでは皮相な主体性論に終わります・・今世界を見ている自分自身をどう捉えるかというもう一つ深いレベルの主体性論です。

異性体験に関して、「できるだけたくさんの浮気をしなさい」なんて言ったら物議を醸しかねませんが、思想に関しては、そうすべきであるとはっきり言います。浮気が足りない人は、簡単に狂うんです。・・人間の頭は狂いやすいようにできてるんです。認知科学や精神医学を学んでみると、人間の頭がどれほど狂いやすくできているかがわかります。

評価というのはいつでも主体的なものです。ユニークで個別的でいいんです。結局、人間が生きた奇跡というのは、生きる過程で次々に下していく価値評価の時系列の総和として残されていくんです。・・日本人の大半は、状況に流されつつ大勢に順応しながらただそこに存在しているだけという存在形態に自己満足していて、真に実存している人は少ないということです。

アメリカでは、最近、ハーバード大学でも、MITでも、カレジ段階で、専攻のいかんにかかわらず、全学生に分子生物学を学習することを義務付けるようになりました。22世紀はバイオの時代ということを本当に意識したら、教育の内容においてそれくらいの改革をしなければならないんです。

大学を出たら、すぐに社会の第一線に出なければならないんですよ。大学院に行く人も、そこは研究の第一線なんです。大学の向こうはフロント(前線)なんです。・・毎日遊んでいて、最前線で生き抜いていくだけのサバイバル能力が自分の身につくと思いますか。

物理と化学では、きみら(大学1年生)が学んだことのほとんどが19世紀以前の知識なんです。・・現実には、物理においても、化学においても、19世紀以前に得られた知識と20世紀に入ってから得られた知識とでは、質においても、量においても圧倒的に後者が重要です。比率において9対1以上といっていいくらいです。・・20世紀の物理学は、基本的に量子力学相対性理論の上に組み立てられています。ところが、今の高校では、それが高校生には難しすぎるということで教えないことになってるんです。・・ニュートン依頼の古典物理学がもっぱらということになってしまう・・量子力学をぬきにしてしまうと、現代物理学の主要なフィールドの一つである物性物理を教えられないということになります。半導体のチップ・・超電導とは何か・・産業界の現実になっている問題が扱えないんです。

人間の文化活動の一番すごい部分というのは、たいてい社会的有用性ゼロのところで行われているんです。有用性はゼロだけど、極少数でも本当にその価値を認める人がこれはすごいというようなものを、どれだけその社会が支えてやれるか、そういうことがその社会の本当の文化水準を示すと思う。

教授にとっての最大の関心事はいつも自分の研究なのです。もしそうでないとしたら、それはおそらく研究のレベルが低い教授です。・・大学というのは・・先生が何かを教えてくれるところではなく、自分で学ぶところです。自分で学ぶためにはどうすればいいかということを学ぶところです。・・自分で自分を教育していく自己教育の場です。・・教師から与えられた定型化された知識をいかに正しく覚えこんだかによって評価されるという人生をずっと歩んできたから、とつぜんそういうことをいわれると、戸惑う人が大部分でしょう。

利根川さんはフルブライトで留学して、カリフォルニア大学サン・ディエゴ校の大学院を出てから、ダルベッコがいるソーク研究所にポスドクとして入って一年半たった頃、ビザが切れそうになったので、恩師の渡辺格さん 日本の分子生物界の大御所ですが のところに、日本のどこかの大学に助手の口はないかと問い合わせたら、ないと断られた。将来のノーベル賞受賞者に助手の口もなかったのかと聞いたら、「そりゃそうですよ。その頃僕は何者でもないもの。ノーボディですよ」と答えた。実績を出さない限り、どんな人でもノーボディなんですよ。利根川さんが初めて、・・サムボディになったと感じたのは、・・結局言った先のスイスのバーゼル免疫学研究所で6年間研究を積み重ねて、後にノーベル賞の受賞理由になる免疫抗体の多様性発現のメカニズムを解明し、それを分子生物学会のメッカと言われるコールド・スプリング・ハーバー研究所のシンポジウムで発表した時だったというのですね。

東大に入ったということは、ここで勉強する資格を得たというだけのことです。その資格を使って、これからどれだけ自己教育に努め、どれだけ自分を知的にビルドアップしていけるか。ここのところが一番大事なところです。

バランスを取った入力をして、自分脳をバランスがとれたものに育て上げていくこと、これが今一番大切な事です。自分の脳にどういう入力を与えるかの決定はほとんど自分でするわけですから、自分の脳は自分で作るんです。・・人間20歳を過ぎたら自分の脳には自分で責任をもてと言いたいです。

マリアン・クリーヴス・ダイアモンドという人は、アインシュタインの脳の研究をやった・・・死後25年もたってから、その脳を保存していた病理学者に頼んで、その左右両半球から小さなサイコロ状の脳のサンプルを切り出してもらって、・・ニューロンの数は普通の人と違わないが、グリア細胞の数が、サンプルをとった4つの領域のいずれにおいても、一般の同年齢の男性よりずっと多かったといいます。・・一般には高齢化するとグリア細胞も減るのです。・・ニューロンの活動性の反映と考えられています。・・ニューロンは・・度の活動性、その機能は高められていきます。一つは、樹状突起や軸索の側枝を伸ばし、シナプスを増やし、より複雑でより大きな回路を作っていくことによって出し、もう一つは、髄鞘化によって情報伝達のスピードアップをはかることによってです。・・どちらも、グリア細胞の支援によって可能になる・・グリア細胞のもう一つの働きは、ケミカル・ノイズの除去にあり、それによって伝達される情報画質的にクリーンになり、伝達過程にありがちなエラーの発生が抑えられるということも重要です。・・SN比(シグナルとノイズの比)が向上するわけです。

これはリューベン・ハレックからの引用なのですが、「発育途上の神経系に与えうる最善の教育は、既知の五感の全部を刺激するような教育である。たった1つかやっと2つの感覚しかうまく訓練しなかったような人物は、せいぜい哀れむべき人間の部品に過ぎぬ」

今の大学入試制度は偏っているから、たった1つか2つの知的能力しかうまく訓練しなかったような人物を選抜することになってしまっているわけです。・・自分たちがそういう偏りを持って選抜された人間で、せいぜい哀れむべき人間の部品にしかなれないということに気がついていない。・・肥大した自尊心の塊になって胸を張って歩いている・・前頭葉未発達の欠陥人間だということに気がついていない。

業績が頭に蓄えた知識量の関数になっているような学問領域もあります。・・そういう領域では、学部の学生なんてゴミ扱いです。・・専門領域によって、そのへんのカルチャーが違いますので・・

ヴァレリーの書くもののように、高度に知的な内容を持つのに、あえて言葉を節約して、あまり説明を加えない、簡潔で密度の濃い文章の裏にある含みまで含めて理解するためには、読み手の側に相当の知的修練が必要なんです。

ヴァレリーは正確という烈しい病に悩んだ結果、文学も哲学も捨ててしまいます。・・頭がいいと言われる若い人は、「正確という烈しい病」にかかることが多いんです。・・あくまで正確な物言いをしようとして、ついに何も言えなくなります。文章を書くときでも、正確に物言いを使用とするあまり、留保条件があまりにも多すぎる文章を書いて、自分以外の人が読んでもさっぱりわからない文章しか書けなくなります。・・必要とされる正確さは、時と場合に応じて必然的に決まってきます。時と場合を無視して、必要以上の正確さにこだわるのは、無意味であるばかりか、強迫神経症(フォビア)の一種で、病そのものです。・・言葉を道具として使う世界では、言葉そのものが内因性の不正確性を持つところから、絶対的正確さなんて求めて得られようはずがないんです。

純粋観客のことをデュアメルはこう表現しています。

「決して闘技場に自ら降りて行かないこと。知性を研ぎ澄まして、何事にも動ぜず、ひたすら、見、聴き、測り、評価し、推論することに徹することそれは、冷たくて傲慢で貴族的に見えるかもしれないが、それだけに徹すること。そういう場面で観客に徹していると空しく思える時があるかもしれない。こんな見物を続けるより、自らの身を情熱に焦がすべきなのではないかと思えるかもしれない。しかし、それに徹すること・・・」

大学とはなんなのかという時、もともと大学とは、高い水準の一般的な教養を一般市民に授ける教育機関であるという、教養教育に重点をおく立場と、大学は、専門的な知識を与え、専門的な技能を持つ職業人を養成するプロフェッショナル・スクールであるという、2つの立場があります。

高等教育というのは、基本的にはリベラル・アーツを身につけた教養人を作り出すために行われ、専門的職業教育は、そういう教養人を対象に行われたわけです。ですから、リベラル・アーツ教育は、専門教育を受けたい人に、そのクオリフィケーションを与えるという役割を果たしてたわけです。別の言い方をすれば、・・二重構造になっていたわけですね。

こういうリベラル・アーツとプロフェッショナル教育の区分が、今でも、西欧の大学にはきちんとあり・・日本の場合、・・大学は国家のためにある、国家に必要な人間を育てるためにあるという、国家中心主義の理念のもとに作られたのです。・・大学は国家の装置であって、個々人が自己実現を図るために共同利用できる学習と研究の場ではなかったわけです。

専門課程の先生は、もともと、旧制で3年かけてやっていた専門課程を2年に減らされた上、就職競争の煽りで4年生の授業が十分にできないという事情が重なり、「あんなに水準の低い教養課程をうだうだやっているなら、教養課程の時間を削って学生を早くこっちによこしてもらいたい」という気持ちが前からあったわけです。

実用優先の日本では、・・先生にも、学生にも、「一般教養教育こそ大学教育にとって最も大事な最も本質的部分」という認識がありませんでした。

文化系の知識人がサイエンスを全く理解しないために、どんどん反科学的傾向を強めていく。一方で、サイエンスをやる人の間でも、基礎研究をやる人と応用研究をやる人の間で、無理解が進行していく。また文化でも理科でも産業に直結する仕事をする人とそうでない人の間で、無理解が進行していく。こういう三重構造の無理解がとめどなく拡大してきたのが、20世紀の歴史であったとも言えるわけです。

社会人と学生の間の最大の違いは、勉強時間というより勉強可能時間です。社会に出た途端、勉強に使える時間がこんなにもないものかと愕然としますよ。・・今その時間を学ぶことに使ってない人は、自分の最大の資産を無意味にドブに投げ捨てているようなものです。

C・P・スノーの「2つの文化と科学革命」に沿って・・・
私は、ケンブリッジの有名な数学者ハーディーが1930年のあるとき、怪訝そうな顔つきで語ったのを記憶している。「知的という言葉が現在どんなふうに使われているか、気づいたことがあるかね。ラザフォード、エディントン、ディラック、エードリアンそれに私などは、どうもそれに入らないような新しい意味があるらしい。それはちょっとおかしくはないかね。」

「文系の知識人は、文系の文化が文化の全てであると考え、自然法則の探求などというものには全く興味を示さない。サイエンスの世界が知的な深さ、複雑さ、明晰さにおいて、人間の精神の最も美しく、最も驚嘆すべき能力によって打ち立てられたものであることをまるで理解していない」

「英国文学の大作も読んでいないような科学者たちのニュースを聞いて、彼らはかわいそうにといった含み笑いを浮かべる。彼らは科学者を無知な専門家として退ける。・・話達しは、彼らのうち何人が、熱力学の第二法則について説明できるかを訊ねた。答えは冷ややかなものであり、否定的でもあった。私は、『あなたはシェークスピアのものを何か読んだことがあるか』というのと同等の科学上の質問をしたわけである。」

熱力学には第一法則と第二法則があります。第一法則は、・・エネルギー保存の法則と呼ばれているものと同じで、いかなる系のいかなる物理過程においても、その前後でエネルギーの総和は変わらないということを意味します。・・エネルギーは、その形態を互いに転換することができます。しかし、どのように転換しても、エネルギーの総和は変わらないというのが、エネルギー保存則です。

熱とは何かというと、物質を構成している粒子の運動がもたらすものです。水の分子が激しく運動すれば、水はお湯になります。物質を構成する全粒子の運動エネルギーと位置エネルギーの総和を内部エネルギーといいます。物質を加熱すると、それが内部エネルギーの状態を変え(粒子の運動を活発にさせ)、物質の運動が上昇するわけです。・・ビッグバン理論が正しいとすれば、ビッグバンのときにあったエネルギー総量が、現在の宇宙にあるエネルギの総量だという事です。この百数十億年という宇宙の歴史は、ビッグバン・エネルギーが様々にその姿形を変えていく歴史であったということになります。

第二法則は「エントロピー増大の法則」ともいわれます。・・エントロピーの概念は基本的には熱力学の概念ですが、統計力学でも、情報科学でも化学反応論でも使われます。・・要するにエントロピーというのは、エネルギーの流れには方向性があると言いましたが、その方向性の決定要因なんです。エネルギーは、エントロピーが増大する方向に流れるということです。エントロピーとは・・「無秩序さの度合い」・・といってもいい。

生命の最大の謎は、その誕生、すなわちこの秩序の成立にあります。・・宇宙の基本法則であるエントロピー増大の法則に反するこのようなプロセスが、なぜ何十億年にもわたって進行できたのか。・・ちょうど反対概念と言ってよいような自己組織化現象が、あちこちでおきていることがわかります。

知識が細分化し、知的インテグレーションがとめどなく失われていくという一般的な状況の中で、自分の頭の中に詰め込むものを取捨選択し、選んだものの組み立てに工夫を凝らして、自分の脳をインテグレーションを高めた独自の情報空間にせよというすすめは、エントロピー増大系の中に独自のエントロピー現象系を構築せよということでもあるわけです。

熱力学の第一法則によって、この宇宙のエネルギーの総量は一定と見ることができる。しかし、それは量的には一定だけど、質的には変化する。熱エネルギーとか、電気エネルギーとか、形態が変わると同時に、質が変わる。どう変わるかというと、劣化します。それが熱力学の第二法則です。・・エネルギーは量が同じでも、仕事をする能力が違う。その能力の違いを表すのが、エントロピーという量なのです。

相対性論とは何かというと、・・「絶対静止空間」なんていうものはないということをいうための理論なんです。・・特殊相対性理論は・・どこが特殊かというと・・慣性空間・・ニュートン力学が成り立つ空間の間では、ニュートン力学と同様に、物理法則一般が成り立つ。電気力学の法則も成り立てば、光学の法則も成り立つ。

一般相対性理論の方は何が一般なのかというと、特殊相対性理論から、「慣性空間では」という制限を取っ払って、空間一般に話を拡張したのです。・・運動がその中で完結していたら、その慣性空間内だけで考えて良い。しかし、2つ以上の慣性空間にまたがる運動であれば、それぞれの慣性空間内での運動のパラメータを足しあわせて考えなければならない。・・こういうことは、全部ガリレイの相対性原理から言えることなんです。・・ガリレイの場合は、実はこの原理を運動の法則に対してしか適用しませんでした。・・ガリレイ運動方程式でしか考えていなかった相対性原理を、物理学全体の原理としようというのが、アインシュタイン相対性理論なんです。・・ニュートン力学が成り立つ慣性空間では、他のすべての物理法則が同じように成り立つということです。・・慣性空間だけでなく、空間一般に適用拡張したのが、一般相対性理論ということです。・・1950年代にはとっくに、宇宙の全ての空間は物理的に等質であるというのが常識になっていたんですね。・・空間の等質性というのは、実は空間の対称性ということと深く結びついているんです。等質だから対称、対称だから等質といってもいい・・1956年のパリティの非保存の実験が、なぜそれほど大きなショックを物理学者たちに与えたかというと、彼らがそれまで宇宙の根本原理だと考えていたことが、それによって揺らいでしまったからです。

「自伝ノート」・・アインシュタインは、いい理論というのは「前提の自然さまたは論理的簡単さによって特徴付けられる」といっています。さらに、同じにように単純な基礎を持つ理論があったらその中では、「系の性質を最も明確にするものをすぐれていると考えるべきである」といっています。・・シンプル・ナチュラル・明快・主張があるが大事なんです。

脳を鍛える (東大講義 人間の現在1)

脳を鍛える (東大講義 人間の現在1)

 

 

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