「複雑系」とは何か

 非平衡系の科学でいえば、あのプリゴジンにしても、長い間、孤高の奮戦を強いられた。・・「最大の障害は心理学的なバリアです。様々な偏見が私に向けられました。新しい概念はあまりに早く提出するとナンセンスだと言われますし、遅すぎると平凡で当たり前になります。」

世の中には時として、こういう(ウォルフラムのこと)どうしようもなく頭の切れる人間がいるものだ。しかし、頭が切れることは科学者として大成する必要条件ではあっても十分条件ではない。不幸なことに、彼ら天才たちは往々にしてこのことに対して無自覚である。そこまで頭が回らない。その意味では、やっぱり頭が悪いのかもしれない。

カウフマンは冒頭にお気に入りの言葉を引用した。
世界は、何らかの原因もしくは偶然から生じた結果である。たとえ後者であっても、それはひとつの世界、すなわち規則性を持つ美しい構築物なのだ」

17世紀から回転を始めた近代科学は、今や典型的には古典力学の決定論と統計力学の確率論を両輪に持つ・・・単純な系を扱う古典力学の決定論はきっちり派であり、ランダムな系を対象にした統計力学の確率論はデタラメ派である。こうした二極構造を持つ保守科学は、自然を見るのにこれら2つの眼鏡のどちらかで見、いわば肉眼で見ることがなかった。2つのメガネをはずしたときに見えてくるもの、それが複雑系の世界だったのである。

ランダムな系とはいっても、各要素の一個一個は単純な系として決定論的に振る舞う。ただ、それらの相互作用を無視するか、あるいは非常に弱いものとみなせば、無数の要素が全体として結果的に、つまり最終的な熱平衡状態において取る振る舞いは、単純な系の振る舞いとは違ったものになるという意味で、決定論に反するに過ぎない。だが、蓋然的には量的な予測が可能だし、それゆえに実験的に検証もできる。・・蓋然的決定論によって飼い慣らされた偶然なのである。

(ミッタク)・レフラーと、ダイナマイトで巨万の富を得たアルフレッド・ノーベルとの不仲はつとに有名である。ノーベルはレフラーへの嫌がらせのためにのみ、数学賞をノーベル賞からわざとはずしたと説く識者さえいる。

 太陽系の安定性の問題は現実には「多体問題」・・・三体以上になると厳密解を求めるのは不可能・・近似解を求める・・制限三体問題である。・・小惑星の運動を計算するには太陽と木星の影響を考えなければならない・・木星は太陽に比べるとはるかに質量が小さく・・まずは太陽を小惑星の二体問題をとき、そこに木製からの影響の補正項を加えることで、小惑星の運動の近似解を求めようという寸法である。
 この補正を繰り返すごとに、解の精度は増し・・ポワンカレが示したことは、あるケースでは、補正を繰り返していくと、逆に軌道が不安定になることがありうるという事実であった。・・太陽系は己自身の内部のメカニズムそれ自体によって不安定になりうる可能性を内包しているということだ。・・ここで太陽系を解体に導くかもしれない内なる棘こそ、カオスにほかならなかったのである。

カオスの中にフラクタルが見出されたのだ。フラクタルとは自己相似性を持つ図形のことで、どんなにスケールを変えてみても、同じ形を持つ。・・どれほど拡大しても、図形は単純にはなってくれないということである。・・解析学にせよ力学にせよ、基本的道具は微分法であり、微分法とはそもそも、「十分に拡大すれば曲線も直線と見なせる」という発想だからだ。

複雑系の科学は、・・単純な要素還元論的思考への徹底的な反省から出発する。

今世紀後半に成し遂げられた数学的成果のうち、最も目立ったものとして、アンドリュー・ワイルズによるフェルマーの最終定理の解決と、アペルとハーケンによる四色問題の証明があった。前者は代数的数論と代数幾何学という現代数雨学の女王たちの活躍によって達成された、高度の普遍性を持つ成果だった。・・四色問題の方は・・何千時間もコンピュータにかけてチェックしただけの証明であった。・・四色問題を含む、有限離散の数学に固有の特性であると言ってもよいだろう。従来、数学の本道は、微分に代表される極限操作を許す連続無限の数学だった。・・人間の近くからすれば現実そのものとも言える有限離散の数学は、70年代以降、その研究分野を質量ともに急激に拡大してきた。

「複雑系」とは何か (講談社現代新書)

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