ファインマンさん 最後の授業

理論は見つけた。さて、どう使うか?お次は、使い方を考え出すか、作りだすかしないといけない。これこそが、問題ははっきりしてるが、解決が困難って場合なのさ。


僕はある意味ではインコースを走ってるっていう自信があるんだよ。僕にはほかの奴らにはないある種の才能があるんだ。というか、他の奴らとは違ったものの見方ができるんだな。奴らはバカだから、この素晴らしい見方に気づいてないのさ。だから、僕にはほかの奴らより、ちょっとだけチャンスがあるって考えるようにしてる。心の中では、そんなの気のせいだとか、自分特有のものの見方も、ほんとは他の人だってやってる、とわかってるさ。でも、いいじゃないか。自分には特別のチャンスがあると思いこむんだよ。僕は、この問題に貢献できるはずだ。そうじゃなきゃ、誰でもいいから、誰かがやってくれるのを待っててもいい。


問題が困難な場合、長い時間をかけて我慢強くやりぬかなくちゃいけないだろ?そのためには、必死になって研究する価値がある。きっと結果を出せる、と信じないとやってられないからなんだよ。自分をちょっと騙してるみたいになるんだな。


大変な発見には、素晴らしい方法があるはずだ。でも、その方法は、いたってシンプルだと思うんだ。全ては、想像力と粘り強さのたまものだよ。


物理学者が「問題を解く」と言った場合、それは、ある現象のうちのどの面が重要で、どの面が無視できるか、数学的にはどの部分が正確で、どの部分は修正が必要か、などをすべて判断しなくてはならない。


知ってるせいで、台無しになる場合が多いからね。過剰な教育は、厄介のタネだから。・・ファインマン先生の見方は別のようだった。ダメになるのは、頭脳の衰えが原因ではなく、ある種の洗脳のせい、というのだ。だから、先生自身、新しい知識を書物や研究論文から得るのを避けていた。・・先生にしてみれば、若いというのは、初心者のものの見方を失わないという意味だった。その点で、先生は大変成功していた。


何かを創造する過程で重要なのが、遊びだってのは確かだな。少なくとも、一部の科学者にとってはね。歳をとっていくのに、遊びを続けるのは難しいよ。だんだん、ふざけるような気分も薄れていくもんだ。もちろん、そうなっちゃいかんよ。


創造性あふれる精神に広い知性は宿る。


僕たちの想像力は、かつて経験した出来事を思い出したり、別の状況に応用したりする能力に過ぎないのだ(スティーブン・スペンダー イギリスの詩人)


僕が数学科を選んだのは、すごく得意だっていう理由だけだった。そして、もっとレベルの高い数学があるに違いない、と思ってた。でもほんとは、数学を科学に応用するほうに関心があったんだな。数学自体を重んじてはいなかったのさ。


僕は数学には興味があったけど、数学を使って出来そうなこと全部に興味があったってわけだ。使うっていうのは、応用だよ。自然を理解するって意味だ。数学を使って何かをやるんだ。論理的な、数学のお化けそのものを発展させるんじゃなくってね。もちろん、それはそれで間違っちゃいないさ。別に数学者を非難しようとしてるわけじゃないよ。人はそれぞれ、興味を持つものが違うんだからね。ただ、僕が興味を持ってるのは、証明が正しいかどうかじゃなくて、証明された事実そのものだったんだ。数学者は、普通違うんだよ。証明の性質を体系化したりするのが好きなんだ。僕はどっちかっていうと、数学的な結びつきについて実証された事実のほうに関心があった。だって、その事実を何かに使いたいだろ。そこが数学者とは違うのさ。


僕は物理学に自分の居場所を見つけた。それが僕の人生だ。''僕にとっちゃ、物理が何よりも面白いし、他の何かをやるなんて考えられないんだよ。

ファインマンさん 最後の授業 (ちくま学芸文庫 ム)

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