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明日をどこまで計算できるか?――「予測する科学」の歴史と可能性

講評

経済学をわかっていないが、経済について分かっていると思い込んでいる人たちがよく言う言葉として「経済学者の経済予測はまるで当たらない」というものがある。そもそもここで彼らが言っている経済学者は博士号すら持たない(下手をすると修士号すら)民間エコノミストの予測だったりするので話にならないが、仮にそうでなかったとしてもやはり本質的に間違っている。経済システムはあまりに複雑でありながら、研究者がコントロールできる変数が圧倒的に少ないという特性をもつ。無論、古今東西分野を問わず大統一理論への憧れを、研究者であれば誰しも密かに心に抱くものだが、残念ながら「無理なものは無理である」。この本はある種のイタチごっこを通して発展してきた、という観点から科学史を展開しており非常に面白い一冊である。カオス理論に関心がある人にとっても、一風変わったカオス理論の紹介がされているという意味で本書は有用である。以下、いつものように引用をしておこう。

 引用

  • モデルの真実は現象の真実ではない。これらに朱の真実はとかく混同されがちでありーこれが魔術の真髄でもあるー、ときにモデル(現実世界の一部とみなされる)を神聖化し、科学者に聖職者の役割を果たさせる。アントワーヌ・ダンシャン
  • まったく数学の素養がないにもかかわらず数学の問題に判断を下し、自分の都合のいいように聖書の章句を甚だしく歪めるような輩は、私の見解の粗探しをして酷評するであろう。私はそうした人々の批判は根拠なしと蔑むばかりである。コペルニクスは、自分が手にした本から、この挑発的な下りが抜け落ちているのを知って愕然としたことだろう。

1637年にデカルトは、その決定論的科学の下地となる『方法序説』を発表した。デカルトはその中で、次のような、科学的発見に関する規則を明らかにした。

  • 明らかに真実でない限り、どんなことも真実として受け入れないこと。
  • あらゆる難問を小部分に分割し、これらの部分に取り組むことで問題を解決すること。
  • 常に単純なものから初めて、複雑なものにまで進み、パターンや順序を想定すること。
  • 何も見落とさないように、出来る限り完全かつ徹底的であること。

 

  • 19世紀まで、科学はずっと順調だった。むしろ、長い真っ直ぐな直線状を進む、容赦ないナポレオンの軍隊のようだった。その楽観主義をうまく捉えたのがピエール=シモン・ラプラスだ。ラプラスは1820年に、宇宙のすべての粒子の現在の状態と、その粒子に働く力がわかっていれば、原理的には、その粒子の未来を予測できるとした。「我々は、宇宙の現在の状態はそれに先立つ状態の結果であり、それ以後の状態の原因であると考えなければならない。ある知性が、与えられた時点において、自然を動かしているすべての力と自然を構成しているすべての存在物の各々の状況を知っているとし、更にこれらの与えられた情報を分析する能力を持っているとしたならば、この知性は、同一の方程式にもとに宇宙の中の最も大きな物体の運動も、また最も軽い原子の運動をも包摂せしめるであろう。この知性にとって不確かなものは何一つ無いであろうし、その目には未来も過去と同様に現存することであろう。」この物知りぶった知性は「ラプラスの悪魔」と呼ばれることがある。
  • あるものに自由意志があるかどうかと考える場合、そのものの挙動をどの程度まで予測可能と考えるかにかかっていることが多い。あるシステムが完全に予測可能な場合、あるいは完全にランダムである場合には、私たちは、そのシステムが外からの力を受けていると仮定しがちである。しかし、もしシステムがその中間的な状態で動いていて、その挙動には認識可能なある種のパターンや秩序があるものの、予測はまだ難しい場合には、私たちは、そのシステムが独立して動いていると考える。言い換えれば、私たちがありと仮定している「自律性」とは、そのシステムの複雑さの度合いなのだ。
  • 天気予報は、科学における最大の「実現できなかったこと」の一つといっていい。20世紀前半に達成可能と考えられていたことと、現在可能なことの間には、大きな隔たりがある。・・・問題が複雑なのがいけないのだ。
  • 気象学者が予報誤差の原因として、カオスを選びたがるのは何故だろうか。その理由の一つは、制度的なものだ。かつてアリストテレスが言ったように、人というのは政治的な動物であり、科学者も例外ではない。工学の専門家であるバート・コスコはこう言っている。「科学のキャリアは、政界のキャリアのように、研究や真実の追求と同じくらい、キャリアに関する駆け引きや態度、政治によって決まる。・・・論文で文献を引用したり、逆に必要な文献を省略したり、政府機関での役職や研究契約、グラントの授与の背後には、政治がある。・・・そしてとりわけ、この政治的な流れは、専門論文雑誌の記事に対する査読プロセスへと、レーザービームのように集まっていく。匿名の科学者は、オフィスのドアを閉めて一人きりになり、自分の競争相手の研究論文を読み、評価するというプロセスだ」。モデルがうまく機能しないことや、多額の予算を投じた戦術がうまく寝られていないことを示す論文を発表するのは、特に、現行の査読者がもともとそのモデルや戦術を開発した本人である場合には、難しいことだ。査読プロセスには多くのメリットがあるが、ある種の自己規制的な回避メカニズムへと陥りやすい。
  • モデルを複雑にしても、必ずしも誤差を減少させることにはつながらない。より多くのパラメーターを近似する必要があるからだ。結果として、予報精度の向上は、特に降水量などの重要な指標について言えば、コンピューターの能力や、観測システム、科学研究の取り組みの向上に大きく遅れをとってきた。
  • ジェームズ・ワトソンが力説するように、「人はかつて自分たちの未来は星の中にあると思っていた。今ではそれが遺伝子の中にあることを知っている。」
  • 2003年のネイチャー・ジェネティックス誌の記事はこう述べている。『遺伝学にまつわる予測力と神秘性、自分の健康を管理して病気を予防したいという消費者の願望、そしてインターネットで容易に検査を宣伝したり注文したり出来る利便性が相まって、企業を遺伝子分析の開発と推進に駆り立てている。検査が実証されて有用と証明されたかどうかは関係ない。』
  • ルウォンティンが書いているように、「私たちの生命は、内因と外因の複雑で気まぐれな相互作用の結果だという表現は、あまりに安直な宣伝文句ほどうまく人心を集めない。個人と社会の苦悩を緩和するという意味で、何かを約束するものでもない。科学が無知だというメッセージとそれが意味することすべてを受け入れるには、ある種の道義的勇気が必要だ。」そのうち分かるように、計算不可能性は私たちの厳格で容赦のない相棒である。
  • ジョン・メイナード・ケインズは1933年にこう書いている。「我々は、絶えず有機的統一性、分離性、不連続性という問題に直面しているー全体は部分の合計とは一致せず、量による比較は無意味であり、わずかな変化でも大きな影響を及ぼし、そして、「一様かつ均質な連続体」に関する様々な前提条件は満たされていない。」しかし経済学者であるケインズは、ここで遺伝学について語っていたわけではない。大恐慌について話していたのだ。
  • どんなタイプの金融アナリストも将来を予測できないのなら、なぜこんなに大勢いるのだろうか。・・・なぜ市場の占い師が存在するかというと、実は、たくさん儲けるからである。ー自分自身と雇い主のために。買ったまま保有するのは顧客にとっては得かもしれないが、手数料を発生させる最も手っ取り早い方法は、買って、売って、また買って、というふうにすることだ。予測に対する根強い受容もあり、正確さは二の次である。ある手法が過去にとても頼りになったように見せるデータは、いつでも簡単に作り出せる。
  • 初めのうちは(EMH;効率的市場仮説の)支持者だった(そしてユージン・ファマの指導教官だった)数学者のブノア・マンデルブローも批判する側に回った。
  • 正統派経済理論でうまく説明できない現象の一つが、金融資産の明らかな過剰変動である。この現象は、変動が純粋に外的衝撃によって引き起こされるという仮説と矛盾する。しかし生物系と比較すると、そうなる理由がわかる。細胞の代謝は様々な種類のタンパク質によって制御されている。各タンパク質の分子のカズは確率的な影響によって、ランダムに変化する上に、細胞が、環境からの合図を読み間違えることもある。その結果生じる変異は、一種の予測誤差と解釈することができよう。細胞が作りすぎるタンパク質もあれば、十分に作らないタンパク質もあり、しかも細胞は自分自身の誤りにも反応する。その結果、外的衝撃がなくても代謝速度はランダムに変動する。
  • 同様に、経済を一種の超有機体として、その産物を代謝の尺度と考えることができる。経済は人と環境から資源を取り込み、それを物質的富に変え、老廃物を排出する。・・予測には誤りがあり、制御は不完全であり、各行為者の反応は本質的に独創的なので、正味産出量には変動率による変動に加えて、ランダムな自発的変動も生じる。したがって市場は平衡状態にある死物ではない。・・生物系が過度の変動を嫌って、それを軽減するための複雑なフィードバック・ループを組み込んでいるのと同じように、高度な経済は激しい変動を阻むための仕組みを開発している。・・正統派理論による市場予測は事実上不可能だと明言するのは正しいが、その理由がじつは間違っている・・EMHの前提によると、市場の変動はランダムな外的衝撃の結果であり、その反応は合理的法則似支配されている。・・経済を一種の超有機体とみなすモデルは、変動は外因だけでなく市場そのもの結果でもあるとしている。生きている有機体と同様、経済は相反する力ー正と負のフィードバック・ループ、買い手と売り手ーの変化する動的バランスを示すので、モデルはパラメーター化の変化に鋭敏である。
  • 合理性にこだわっているところがEMHは妙に現実とあべこべなのである。EMHの主な目的は将来を予測することではなく、人は皆自分が何をしているかわかっているように見せることのようだ。これは2つの理由から危険である、第一に、EMHは市場を「正規」とみなすので、それを統制できると錯覚させるだけでなく、将来的に金融の嵐が心の危険を過小評価しがちである。
  • ケネス・アロー「歴史的不可抗力にしろ、大掛かりな外交上の陰謀にしろ、あるいは経済政策上の極端な見解にしろ、数々の甚大な不幸というものは確実性への信念から生じてきている。個人や社会に大きく影響を及ぼす政策を展開する場合には、その帰結を予測することは不可能であることから、注意が必要である。
  • 第二の危険は、「市場は常に正しい」というたちの悪い考えから生まれる。市場はどんな投機家や政府の規制当局にも機知で勝る、超合理的な存在のようなものだという考えだ。
  • 科学的予想の三分野、天気・病気・景気は兄弟のようだ。出身が同じで、一緒に育ち、同じ連中とつるんでいた。それぞれ独自の個性がある。一番上の天気予想は、他の兄弟が仰ぎ見る存在だ。なぜなら星に一番近いし、物理学を知っている。末っ子の病気予想はかつて問題児だったが、大人になる準備をするうちにとても楽観的になっている。・・景気予想はナルシストで、自分自身の魅力と効率の虜になって、鏡の前で悦に入ることに日々を費やす。

疑う理由

  • 気候変動と環境破壊の予測が間違っている理由として懐疑論者から聞かれる議論 そして、それに負けるとも劣らぬほど懐疑的な反論 を紹介する。
  • 「人類のような取るに足らない存在が惑星一個全体のバランスに影響を及ぼしかねないなんて、バカバカしくて信じられない」。天然痘ウイルスも、新世界に蔓延したときに同じような疑念に悩まされた。「僕、ただのウイルスだから、人一人殺せるかどうかもわからないのに、社会全体を破滅させるなんて・・・」
  • 「人類の創意工夫が問題を解決する」遠慮しないでいつでも始めてくれ。
  • 「環境絡みの怖い話は、いつも間違っていたということになる」。そのとおりのものもある だが、ホラー映画で変人の言うことがじつは正しかったとわかるのが今この場面ではないと、どうやったらわかるというのだ?
  • 二酸化炭素は、大気中に含まれている量はわずかだし、植物の炭素源でもある。倍増したからと言ってどうなるというのだ?」グルコースの名で知られている炭素源は私たちの血液中にごくわずかしか含まれていない。だが、倍増すると糖尿病になる。三倍になると意識を失うかもしれない。・・健康状態を監視し、ほどほどに徹し、有害物質にできるだけ接しないようにすることは出来る。

 

  • 地震は、地球のどろどろに溶けたコアに浮かぶ、岩の巨大なプレートがずれ動いて起こる。1960年代にプレートテクトニクス機構が理解されるにいたり、それを契機に地震予知の楽観の時代が幕を開けた。・・・問題は、地震というものが、2つの逆向きの力 度あるプレートを別のプレートにジリジリと押し付ける動的な力と、動きに抗う摩擦力 同士のバランスが変わったことの表れである点だ。蓄積された歪は、すこしずつなめらかにではなく、突発的に解放され、震えや揺れとして感じられる。この状況はある意味で金融市場の崩壊に似ている。金融市場の崩壊は、売り手と書いての間のバランスが急に崩れた結果だ。同じように、自身も予測できない感覚で発生し、そのマグニチュードは一般にべき乗則に従う。つまり、小規模のものほど多く、大規模なものほど少ない。
明日をどこまで計算できるか?――「予測する科学」の歴史と可能性

明日をどこまで計算できるか?――「予測する科学」の歴史と可能性