「原因と結果」の経済学―――データから真実を見抜く思考法

 海外では健診が長生きに繋がるという強いエビデンスは見られていないのにもかかわらず、日本では2008年に特定健康診査(いわゆるメタボ検診)・特定保健指導がスタートした。・・・このメタボ検診には、2008年から2014年までに約1200億円もの税金が投じられている。

巨費を投じて日本で導入されたメタボ検診に効果はあったのだろうか。厚生労働省は、このことを調べるために、約28億円を投じてデータベースを構築した。しかしこのデータベースに不備があり、収集したデータのうち約2割しか検証できないことが発覚し、大きな問題に発展した。

メタボ検診をいきなり全国展開するのではなく、まずは一部の自治体でランダム化比較試験を実施し、効果があることが明らかになってから、残りの自治体にも導入することも考えられたはずだ。・・・わずか数%の予算を当てれば行うことが出来ただろう。

健診と検診は違う。・・・がん検診などのように、特定の病気についての検査を行う検診には、寿命を延ばす因果効果があると確認されているものが多い。

自分の都合のいい論文の結論だけを正しいとすることはできない。そのような行動のことを英語ではチェリー・ピッキング(サクランボ狩り)と呼び、特に研究では厳に慎むべきだと考えられている。・・・こんな時に用いるのがメタアナリシス・・・複数の研究結果を1つにまとめて、全体としてどのような関係があるのかを明らかにする研究手法のこと

2016年8月に国立がん研究センターの研究者チームが、国内のデータを用いて行われた9つの観察研究をまとめたメタアナリシスを発表・・・日本人でも受動喫煙によって肺ガンのリスクが1.3倍上昇する

この結論に噛み付いたのが日本のタバコ産業を代表するJT・・・9つの研究は「研究次期や条件も異なり、いずれの研究においても統計学的に優位ではない結果を統合したもの」であり、メタアナリシスの結果に基づいて「受動喫煙と肺がんの関係が確実になったと結論付けることは、困難である」と主張した。

国立がん研究センターの研究者たちは、直ちにこれに再反論し、「受動喫煙の害を軽く考える結論に至っている」とJTのコメントを批判した。・・・受動喫煙JTが述べるような迷惑や気配りと言った問題ではなく、「科学的根拠に基づく健康被害の問題である」とJTの主張をエビデンスをもとに一刀両断したのである。

 

日本では古くから「小さく産んで大きく育てよ」・・・帝王切開の技術が十分に発達していなかった時代に、妊産婦が出産によって死亡するリスクを低下させるためにそのように言われてきた・・・日本では低出生体重児(2500g未満)の占める割合は他の国と比べても高い・・・アメリカ・ノルウェー・カナダ・台湾で行われた大規模な双子のデータを用いた研究・・・出生児体重が重いほうが、その子供が大きくなった後の成績・学歴・収入・健康状態が良好であることが明らかになった。・・・小さく産んで大きく育てよは子供のことを考えたら正しいアドバイスとは言えない。

最近の経済学の研究成果は、胎児起源説・・・胎児期の環境がのちの人生に決定的に重要である・・・『オリジンズ』・・・アニー・ポール「胎児起源の研究は、妊娠中の母親に起こる不幸な事件や行動を非難するためのものではなく、次の世代の子どもたちのより良い人生を発見するためのものなのです。」

www.ted.com

 

保育所定員率と母親の就業率の間には因果関係を見出すことが出来ない」・・・認可保育所が、詩的な保育サービス(祖父母やベビーシッター、あるいは認可外保育所など)を代替するだけになってしまった可能性が指摘されている。元々就業意欲の高かった女性は、こうした私的な保育サービスを利用しながら就業を継続していた。そのため、認可保育所の定員の増加は、彼女たちに私的な保育サービスから公的な保育サービスへの乗り換えを促しただけで、これまで就業していなかった女性の就業を促したわけではなかった。

保育所整備は母親の就業率をなぜ押し上げなかったのか

http://www.ier.hit-u.ac.jp/Common/publication/DP/DPS-A630.pdf

 

ノルウェーでは、女性取締役比率が2008年までに40%に満たない企業を解散させるという衝撃的な法律が議会を通過した。南カリフォルニア大学のケネス・アハーンらは、この状況を利用して、女性取締役比率と企業価値の間に因果関係があるかを検証しようとした。・・・法律が施行される前の各企業の女性取締役比率を操作変数として用いた。要するに、法律施行前に既に女性取締役比率が高かった企業は、法律施行後、難なく女性取締役比率を40%にすることが達成出来ただろう・・・「法律が施行される前の各企業の女性取締役比率」は・・・各企業の女性取締役の増加率に影響を与えると考えられる。しかしそれが、現在の企業価値に直接影響するとは考えにくいので、操作変数として妥当だと考えられる。

女性取締役比率の上昇は企業価値を低下させることが示唆された。・・・女性取締役を10%増加させた場合、企業価値は12.4%低下することが明らかになった。・・・経験が浅く、経営者の資質に欠ける女性を無理やり取締役にして急場をしのいだ。このことが企業価値を低下させることに繋がったと考えられる。

The Changing of the Boards: The Impact on Firm Valuation of Mandated Female Board Representation * | The Quarterly Journal of Economics | Oxford Academic

 アングリストらは、入試の合格ラインギリギリのところで合格したエリート高校の生徒達(介入群)と、ぎりぎりで落ちて他の高校へ行くことを余儀なくされた生徒たち(対照群)は比較可能であると考えた。この状況で、合格ラインの点数をカットオフ値として回帰不連続デザインを用いることで、学力の高い友人とともに高校生活を送ることが、生徒の学力に与える因果効果を明らかにしようとしたのである。

・・・カットオフ値の前後でその後の学力のジャンプは見られなかった。・・・勉強のできる友人に囲まれて高校生活を送っても、自分の子供の学力にはほとんど影響がないということのようだ。

自己負担割合が低下し、受診や入院の頻度が高くなっても、死亡率は変わらない・・・医療費の自己負担割合が引き下げられると、高齢者は病院に行く回数が増えるものの、それによって死亡率や健康状態に影響が出ることはない

マッチング法とは、介入群によく似たペアを対称群の中から選び出すことによって、2つのグループを比較可能にする方法のことである。・・・共変量とは、原因と結果でない残りすべての変数のこと・・・一方で、交絡因子とはその共変量の中で「原因と結果の両方に影響を与えるもの」のことである。・・・プロペンシティスコアマッチングとい雨手法・・・プロペンシティスコアとは、複数の共変量をまとめて1つの得点にしたもの・・・介入群に割り付けられる確率のこと。

 マッチングの結果・・・ある大学に合格して実際に進学した生徒のグループ(介入群)と、同じく合格したがその大学に行かずに偏差値の低い大学に進学した生徒のグループ(対称群)のあいだで、卒業後の賃金に統計的に有意な差はなかった

Estimating the Payoff to Attending a More Selective College: An Application of Selection on Observables and Unobservables* | The Quarterly Journal of Economics | Oxford Academic 

「原因と結果」の経済学―――データから真実を見抜く思考法

「原因と結果」の経済学―――データから真実を見抜く思考法

 

 

計量経済学の第一歩 -- 実証分析のススメ (有斐閣ストゥディア)

計量経済学の第一歩 -- 実証分析のススメ (有斐閣ストゥディア)

 
岩波データサイエンス Vol.3

岩波データサイエンス Vol.3

 
Causal Inference for Statistics, Social, and Biomedical Sciences: An Introduction

Causal Inference for Statistics, Social, and Biomedical Sciences: An Introduction

 
Experimental and Quasi-Experimental Designs for Generalized Causal Inference

Experimental and Quasi-Experimental Designs for Generalized Causal Inference

 
調査観察データの統計科学―因果推論・選択バイアス・データ融合 (シリーズ確率と情報の科学)

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Mostly Harmless Econometrics: An Empiricist's Companion

Mostly Harmless Econometrics: An Empiricist's Companion

 
新しい計量経済学 データで因果関係に迫る

新しい計量経済学 データで因果関係に迫る

 
Mastering 'Metrics: The Path from Cause to Effect

Mastering 'Metrics: The Path from Cause to Effect

 

ゼロ・トゥ・ワン 君はゼロから何を生み出せるか

新しい何かを作るより、在るものをコピーするほうが簡単だ。おなじみのやり方を繰り返せば、見慣れたものが増える、つまり1がnになる。だけど、僕達が新しい何かを生み出すたびに、ゼロは1になる。

 ティールがもっとも重視する質問が出てくる。「世界に関する命題のうち、多くの人が真でないとしているが、君が真だと考えているものは何か?」・・・強い個性を持った個人(ただし、実際にはティールは少人数のチームを重視する)が世界でまだ信じられていない新しい真理、知識を発見し、人類をさらに進歩させ、社会を変えていくことを、自らの究極の目的としているのである。

あるべき姿は、「競合とは大きく違うどころか、競合がいないので圧倒的に独占できるような全く違うコンセプトを事前に計画し、それに全てを賭けろ」というスタンスである。

昨今、盛り上がりを見せている日本のスタートアップ、企業界隈を振り返ってみると、「0to1」とは程遠いことが分かる。隠れた真実を追求するというよりは、アメリカではやっているテーマの焼き直しを日本向けにアレンジしている企業がとても多い。一般個人投資家にとってのみ目新しい、流行りのビジネスモデルや経営者の話題性(性別、学歴、職歴など)、資金調達の規模を基に、ベンチャー界隈でお互い褒め合ったりして、評価が決まってしまっているところもある

日本人はスタートアップにおいても、「隠れた真実」とは真逆の「皆が知っているが実は間違っていること」にかけて損をする人が多い。投資の世界では、「日本人が来たら売れ」などとやや皮肉めいた格言があるが、・・・ティールが手がけている投資先の場合、当初はそんなことがビジネスになるのかと言われ、あるいは技術的に現時点で疑問点があるからこそ、世界でトップになることが出来るわけである。

ティールは年収20万ドルぐらいの一流大学卒業生、雇われ身分の人達を一番挑発しているように思う。それは、ティール自身が、あいまいな楽観主義による選択肢の拡大、分散投資的発想の際限のない競争の世界から積極的にドロップ・アウトした人物だからでもある。

 他の生き物と違って、人類には奇跡を起こす力がある。僕らはそれを「テクノロジー」と呼ぶ。テクノロジーは奇跡を生む。それは人間の根源的な能力をお仕上げ、より少ない資源でより多くの成果を可能にしてくれる。

一つは水平的進歩、または拡張的進歩・・・成功例をコピーすること、つまり1からnへと向かうことだ。水平的進歩は想像しやすい。すでに前例を見ているからだ。もう一つの垂直的進歩、または集中的進歩とは、新しい何かを行うこと、つまりゼロから1を生み出すことだ。それまで誰もやったことのない何かが求められる垂直的進歩は、想像するのが難しい。・・・マクロレベルの水平的進歩を一言で表すと、グローバリゼーションになる。ある地域で成功したことを他の地域に広げることだ。『中国はこれを国家ぐるみで行い、20年計画で今のアメリカを目指している。・・・ゼロから1を生み出す垂直的な進歩を一言で表すと、テクノロジーになる。

ウォズ 自分が本当にやりたいことは何か? をよく考えてほしい。才能なんかは必要ない。誰かがやったことをちょっとひねるだけの仕事はつまらない。小さなことでも“自分じゃなきゃ出来ないこと”を成し遂げたなら、それは大きなことだ。そしてうまくいったら“うんと自慢する”こと!

www.itmedia.co.jp

科学技術でも、すでに出来上がっている技術を広めるとか、出来た技術を少し改善するとか、そういうことには日本の教育は非常に向いていると思うんです。でも、他の人がやらないようなことにトライする。出来ないと思っていることにトライする、教科書に書いてあることを否定する。こうしたことは「そういうことをしたらだめだ」と指導されていますよね。

yamanatan.hatenablog.com

何かを作りたいと思ったら、まず自分の頭で考える。すぐに過去の文献などを参考にする人は亜流です

www.yomiuri.co.jp

 30歳で大学の助手を辞め、あてがないまま渡米した。留学先で、今の研究テーマと出会った。「発展するかどうかわからないことに挑戦し、ゼロを1にした作業が評価された」と語る。

www.nikkei.com

大組織の中で新しいものは開発しづらく、1人ではさらに難しいからだ。官僚的な組織は動きが遅いし、既得権者はリスクを避けたがる。機能不全が極まった組織では、実際に仕事を片付けるよりも鋭意努力中だとアピールするほうが昇進しやすい。その対極にいる孤独な天才は、芸術や文学の名作を生むことは出来ても、一つの産業をまるごと想像することは出来ない。スタートアップではチームで働くことが原則で、かつ実際に仕事をやり遂げるにはそれを少人数にとどめる必要がある。

クリエイティブな独占企業は、まったく新しい潤沢な領域を生み出すことで、消費者により多くの選択肢を与えている。クリエイティブな独占は社会に役立つだけじゃない。それはよりよい社会を作る強力な原動力になっている。・・・新たな独占が起こるそのダイナミズムを見れば、過去の独占がイノベーションを阻害していないことがわかる。・・・進歩の歴史とは、より良い独占企業が既存企業に取って代わってきた歴史なのだ。・・・独占は、すべての成功企業の条件なのだ。

 アメリカの教育システムは競争への強迫観念を反映・・・じっと机についているのが苦手な生徒は劣等感を覚え、テストや宿題に秀でた子供は現実から離れた学校という狭い世界でアイデンティティを確立することになる。・・・みんなと同じになるために、学生は、インフレ以上に値上がりを続ける、何万ドルもの学費を支払っている。何故僕たちはそんなことをしているのだろう?

今日のシリコンバレーで、人付き合いの極端に苦手なアスペルガー気味の人間が有利に見えるのは、一つにこうした模倣競争が不毛だからだろう。空気を読めない人間は、周囲の人と同じことをしようとは思わない。ものづくりやプログラミングの好きな人は、一人淡々とそれに熱中し、卓越した技能を自然に身につける。そのスキルを使う時、普通の人と違ってあまり自分の信念を曲げることもない。だから、分かりやすい成功につられて周囲の大勢との競争にとらわれることもない。

未来はどうなるかわからないという考え方が、何より今の社会に機能不全をもたらしている。本質よりもプロセスが重んじられていることがその証拠だ。具体的な計画がない場合、人は定石に従って様々な選択肢を寄せ集めたポートフォリオを作る。それが現在のアメリカだ。目標を掲げる代わりに、ありとあらゆる選択肢をいつまでも追いかけ続けている。・・・大学生になる頃には、10年をかけて多様な経験をあれこれ寄せ集め、全く先の見えない未来に備えているというわけだ。「何が起きても大丈夫」と言いながら、具体的な備えは何もない。

< (日本で言うところの「つぶしがきく」という発想に近いように感じる。)

逆に、未来は明確だという考え方に立てば、確固たる信念を持つほうがいいはずだ。あれもこれも中途半端に追いかけて「万能選手」になるより、一番いいと思うことを決め、それを実行するべきだ。

あいまいな楽観主義者は、何年もかけて新製品を開発する代わりに、既存のものを作り直そうとする。銀行家は既存企業の資本構成を変えることで利益を得ようとする。・・・右肩上がりの発展を当たり前に享受してきたベビーブーマーは、あいまいな楽観主義者の世代となった。(日本だと団塊の世代だな・・・)何もしなくてもテクノロジーはどんどん進歩するかに見え、・・・その期待を実現するための具体的な計画を持つ人は殆どいなかった。・・・今の世論を構成する裕福なベビーブーマーたちは自分達の甘い楽観主義に疑問を持つことはなかった。既成のキャリアで自分達が成功できたのだから、子どもたちもそれでうまくいかないはずがないと思い込んでいる。

 具体的で楽観的な未来には、水中都市を設計したり、惑星移住を計画するエンジニアが必要になるはずだ。でも、あいまいで楽観的な未来には銀行家や法律家が重宝される。どうやって富を作り出すか皆目わからない時に唯一利潤を上げる金融は、あやふやな未来にぴったりの業界だ。

ベンチャーのリターンは正規分布ではないからだ。むしろベンチャーに当てはまるのはべき乗則だ。一握りのスタートアップがその他全てを大幅に上回るリターンを叩き出す。だから、分散ばかりを気にかけて、圧倒的な価値を生み出す一握りの企業を必死に追いかけなければ、その希少な機会を初めから逃すことになる。

2010年、アンドリーセン・ホロウィッツはインスタグラムに25万ドルを投資した。2年後にフェイスブックがインスタグラムを10億ドルで買収すると、アンドリーセンは7800万ドルの売却益を得た。2年足らずで投資額を312倍にしたわけだ。この衝撃的なリターンによって、アンドリーセンはシリコンバレーで最高のファンドという評判を確実にした。ただ、奇妙なことに、それではまったく足りなかった。というのも、アンドリーセンのファンドは15億ドルを運用していたからだ。・・・ベンチャーファンドは投資に値する会社を見つけると遥かに多額の資金をつぎ込む。ベンチャーキャピタルはゼロから1を生み出す一握りの企業を見つけ、あらゆる手立てで彼らを支援しなければならない。・・・大規模に成功できる現実的な可能性があるスタートアップだけを組み入れるのが、良質のベンチャーポートフォリオだ。

人生はポートフォリオじゃない・・・等しく可能性のあるキャリアをいくつも同時に進めて、人生を分散させることも出来ない。学校ではそれと反対のことを教えている。学校教育は画一的に一般教養を受け渡すだけだ。アメリカの教育制度を通過すると、べき乗則で考えることが出来なくなる。・・・重要なのは何をするかだ。自分の得意なことにあくまでも集中すべきだし、その前にそれが将来価値を持つかどうかを真剣に考えたほうがいい

 スタートアップの世界に関して言えば、たとえ君が非凡な才能を持っていたとしても、必ずしも企業がベストとは限らない。今は、起業する人が多すぎる。べき乗則を理解している人なら、ベンチャーを立ち上げることに躊躇するはずだ。・・・べき乗則のもとでは、企業間の違いは企業内の役割の違いよりもはるかに大きい。

 カジンスキーは人間の目標を次の3つに分類した。

  1. 最低限の努力で遂げられる目標
  2. 真剣に努力しないと遂げられない目標
  3. どれほど努力しても遂げられない目標 

 簡単、難しい、不可能の典型的な三分法だ。現代人が鬱々としているのは、世界のすべての難しい問題がすでに解決されてしまったからだとカジンスキーは言っていた。・・・自分にできることは子供にでも出来る。自分にできないことはアインシュタインにも出来ない。そこで、既存の制度を破壊し、すべてのテクノロジーを取り除けば、またゼロから難しい問題に取り組めると考えた。カジンスキーのやり方は狂っているけれど、彼が感じたテクノロジーの進歩に対する幻滅は今の社会の至る所に見え隠れしている。

物理的なフロンティアがほぼなくなったという自然の制約に加えて、4つの社会トレンドが隠れた真実への探究心を根っこから摘み取ろうとしている。ひとつ目は漸進主義だ。・・・期待されていることだけをきちんと行えば、Aをもらえる。これが終身在職権を得るまでずっと続いていく。だから、学者たちは新たな分野に挑戦する代わりに、ありふれた論文を量産することになる

 二つ目はリスク回避だ。隠れた真実を恐れるのは、間違いたくないからだ。隠れた真実とは、いうなれば「主流が認めていないこと」だ。だから間違わないことが君の人生の目標なら、隠れた真実を探すべきじゃない・・・自分が孤立していて、しかも間違っているかもしれないとなったら、耐えられないだろう

三木谷 やっぱり失敗から学ぶっていうのもあるんですけれども、失敗を恐れない力っていうことなんじゃないかなと僕は思っていて。結局みんな失敗したのを陰で言われるのが怖くてやれないわけじゃないですか。

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誰が考えても失敗する愚かなリスクを冒すことは、議論の余地無く良い方法ではない。でも、自分の頭で考えなさいということはつまり、リスクを取りなさい、そして自分で決断を下しなさい、ということ。そのためには、失敗してもいいと認めて、失敗を責めないこと。私が関わったビジネスで、何もかもうまくいきました、なんてことは一つもない。ビジネスリーダーにとって必要なのは、失敗する確率より成功率が上回るようにさせ、時間をかけて成功率を向上させること。過去の仕事でほとんど失敗をしたことがない人は、リスクを取らずに確実なことしかやって来なかった傾向がある。

yamanatan.hatenablog.com

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モーツァルト 私は人の賞賛や非難をまったく気に留めない。ただ自分の感じるままに行うんだ。

音楽家の名言集

エジソン 失敗ではない。うまくいかない方法を一万通り発見しただけだ

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私は、リスクを取らない人生など何の価値もないと思っています。何の意味もありません。何ひとつ。ネルソン・マンデラはこう言いました。「小さく生きる人生、自分がやれること以下の生活で満足してしまう人生には、何の情熱もありえない」

私の妻がこんなことを言っていました。「自分が今まで手に入れたことのないものを得るためには、今までやったことのないことをしなくてはいけない」と。

講演家のレス・ブラウンも似たようなことを言っています。「自分が死の床にいるところを想像してみなさい。自分のベッドの周りに、達成されなかった可能性たちの亡霊が立っているところを。思いついたのに実行しなかったアイデアの数々。秘めたまま使われることのなかったさまざまな才能」「彼らが死にゆくあなたの枕元に立っている。怒り、落胆、失望をあらわにして『私たちにも活躍の場があったかもしれないのに』と彼らはあなたに言います。『でももう遅い。私たちは一緒に墓場に行くのです』と」

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3つ目は現状への満足だ。・・・過去の遺産でのうのうと暮らしていけるなら、隠れた真実を探す理由がどこにあるだろう?・・・4つ目はフラット化だ。・・・新しい何かが発見できるなら、世界の何処かで自分より賢くクリエイティブな人たちがそれをすでに見つけているのでは?そういった疑念の声によって、隠れた真実を探し始める前に諦めてしまう。

 知識がありすぎると、リスクばかり考えてしまうんですね。知識があると「こんな実験成功するわけない」とか「昔、同じような実験をやって失敗した人がいる」とか、そういう否定的なことばかり刷り込まれてしまって、チャレンジできなくなってしまうんです。

「権威を疑って自分の頭で考える」ような人じゃないと、ロボット社会が現実になった時、人間としての存在意義が問われるというのはあって

yamanatan.hatenablog.com

失敗も一つの実験結果。次はその失敗を避ければいい。そうすれば必ず、いい結果は出ます

ノーベル賞・根岸教授の講義で「知の熱気」を体感…桐光学園 : KODOMO : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

こうしたトレンドにはいい面もないわけじゃない。たとえば、今時、カルト教団は成り立たない。・・・頭のおかしいカルトが少なくなったのは喜ばしいけれど、それには大きな代償が伴った。まだ発見されていない真実への探究心を、僕達は失ってしまったのだ。

 隠れた真実はまだ数多く存在するけれど、それは飽くなき探究を続けるものの前にだけ姿を現す。科学、医療、エンジニアリング、そしてあらゆる種類のテクノロジーの分野で、出来ることはまだまだ多い。・・・ビジネスも同じだ。偉大な企業は、目の前にあるのに誰も気づかない世の中の真実を土台に築かれる。いつも僕達の周りにありながら見過ごしていた余剰スペースを利用した、シリコンバレーのスタートアップを思い出して欲しい。エアビーアンドビーが出来る前、旅行者はホテルに高い部屋代を払う意外にほとんど選択肢はなく、不動産所有者は空き部屋を信頼できる相手に簡単に貸し出すことはできなかった。エアビーアンドビーは、他の人達にはまったく見えなかった、未開拓の需要と供給に気づいたのだ。・・・フェイスブックも含めて多くのインターネット企業が過小評価されるのは、それがあまりにも単純なものだからで、それ自体が隠れた真実の存在を裏付けている

競争は資本主義の対極にある。・・・独占企業は注目を避けるために独占状態をなるべく隠し、競争企業はわざと自社の独自性を強調していることに気づくはずだ。

学校教育の目的は社会全般に受け入れられた知識を教えることだ。であれば、こう考えるといい・・・学校では教わらない重要な領域が存在するだろうか?・・・たとえば、物理学はすべての総合大学で主要な専攻科目として確立されている。占星術はその対極にあるけれど、重要な領域とはいえない。では、栄養学はどうだろう?・・・この分野の大規模研究の殆どは30年前から40年前に行われたもので、その多くには深刻な間違いがある。低脂肪と大量の穀物中心の食事が推奨されてきたのは、科学の裏付けからではなく大手食品団体のロビー活動の結果だろう。

 高額の現金報酬は、現在の企業価値を社員に分け与えることになるだけで、時間を投資して未来に価値を生み出そうというインセンティブにはならない。

 案件ごとに働く人間が入れ替わり、単なる仕事だけの関係しか持てない職場は、冷たいなんてものじゃない。それに、合理的でもない。時間はいちばん大切な資産なのに、ずっと一緒にいたいと思えない人たちのためにそれを使うのはおかしい。職場にいる間に長続きする関係が作れないなら、時間の使い方を間違っている。投資に値しないということだ。・・・ペイパル・・・僕たちは一緒に働くことを心から楽しんでくれる人たちを雇うことにした。才能はもちろん必要だけれど、それよりも、ほかでもない僕達と働くことに興奮してくれる人を採用した。それがペイパルマフィアの始まりだった。・・・無料のクリーニングサービスやペットホテルなどに引かれるような人材は、チームの役には立たないはずだ。健康保険のような基本をカバーしたら、後は他社に出来ないことを約束スべきだ。それは、素晴らしい仲間と独自の問題に取り組める、替えの効かない仕事のチャンスだ。

新たなテクノロジーを生み出す会社が、いわゆる現代的な組織ではなく封建君主制に近いことを暗に示している。独創的な創業者は、有無を言わせず決断を下し、忠誠心を呼び起こし、数十年先まで計画できる。逆に、訓練されたプロフェッショナルが運営する個性のない官僚組織は、一人の寿命を超えて存続するけれど、目先のことしか見ていない

ゼロ・トゥ・ワン 君はゼロから何を生み出せるか

ゼロ・トゥ・ワン 君はゼロから何を生み出せるか

 

 

【瀧本哲史インタビュー】流されるまま東大:消化試合としての人生 | UmeeT

  • もちろん、教育というのは歩留まりが悪いシステムなので、東大生全員がリーダーで尖った存在になれといっても難しい話かもしれない。そもそも東大生の定義は「東大入試を通って入学手続きをした人」です。しかし、入試の精度はそれほど高くないので、実際のところ、半分ぐらいの学生は「三回入試を繰り返せば、一回は合格できない」その意味で「たまたま東大生」でしかない訳ですよ。だとすれば、2割ぐらいが卓越したことをすれば大成功ともいえる。

    一方で、「たまたま東大生」であっても、大学時代になんかのキッカケで、尖ったことにチャレンジして卓越した実績を挙げるかもしれない、そう言う可能性もあると思うのです。

    なので、せっかく東大のメディアをやるなら、その割合を最大化するきっかけを作るメディアにならないともったいなくないですか、ということです。こんな尖っている東大生がいるなら、自分もなにかやってみよう、そういう意欲を喚起するものであって欲しい訳です。あるいは、メディアを通じて、多くの人が存在を知ることで、尖った人が世に出てもっとレバレッジを効かせられるようになるかもしれない

  • 「地元の国立大学に進むと、”道庁か地銀か”という進路になりそうだ。そもそも北海道自体、成長エリアではない」と言って、東京に出てきたゼミ生がいるのですが、世界全体から見れば、日本自体が成長エリアではない。

    その意味で「東京大学北海道大学」も「霞が関北海道庁」も相対的な違いでしかない。地元の友達を根拠もなく下に見てる東大生って多いですが、視座を変えて見てみれば、自分も同じなんですよ。

  • 本業で忙しい会社って、世間に対して積極的にビジネスモデルやブランドを露出させる動機がないから、 しばしば「埋もれている」ように見えることがあります。
  • 今の世の中、安定した生活を手にしたと思ったら、高値掴みだったり、一見マイナーなものがトップになったりすることがザラにある。

    結局は、自分のビジョンと戦略に沿って、意思決定しないといけない。ましてや、東大はトップでもなんでもなくて、世界の「地方大学」に過ぎないわけですから。

  • 再度、革命・クーデターを起こさないように、「学問」という新しい「管理された競争」を創りだす。そしてその優勝賞品は、統治権ではなく、帝国大学入学。なんと「がんばったご褒美に、僕たちの”家来”にしてあげよう」という仕組みですね。ある意味、シュールというか、ほぼブラックユーモアに近い。
  • 無事、東大は官僚養成機関になっていきますが、基本的なシステムとしては低コスト大量生産ですよね。マスプロ講義というのは、マス・プロダクション=大量生産という意味です。「富国強兵」「殖産興業」で、大量かつ高速に西洋先進国をパクるのがミッションとなります。

    東大の沿革をたどっていくと江戸時代の蕃書調所(ばんしょしらべしょ)。つまり、外国語文献を読む組織に遡る訳で、そのころから「翻訳」が学問だったんですね。

    それに関連して、東大生一般には、ゼロから文章を書く能力がありません。入試で問われていないし、その後も、ほとんどトレーニングされていない。中高でも、一部のきちんとした私立学校を除いて、事実と論理に基づいて文章を書く教育はなく、「感想」を書かせる「作文」があるのみです。

    西洋の大学の伝統の一つの系列である、リベラルアーツ系のカリキュラムだと、作文はチューターがついて徹底的にやる。しかし少人数教育なので、とてつもなくコストが掛かる。一方、日本は後進国で、とりあえず追いつかなきゃならなかった。だから、目の前の実利(=官僚の生産と工業力の向上)に絡まない指導はしない。

    リベラルアーツというのは「自由人のための学芸」なので、少人数エリート教育なのですが、東大はそれと真逆の「家来」ないし「高級奴隷」(アリストテレスは「ものを言う道具」と呼んだ)を造る制度を用意していると考えると納得できます。もちろん、改革をしようとはされていますが。

  • アイビーの大学は「俺たちが国家建設する」という気概に溢れていますね。いわば、「国家が大学を創った」のではなく「大学が国家を創った」という。

    ケンブリッジも面白いですよ。元々オックスフォードで住民と対立した学者たちが引っ越しして出来た。その中でも、面白いのが、ニュートンの出身でもあり、ノーベル賞を32人輩出しているトリニティカレッジです。このカレッジは港を3つ所有しているらしく、そこから賃料収入が入るという、とてつもない財政基盤を持っています。その財力は「昔王様から譲り受けた」ということになっている。えらく社会貢献的な王様だと思うじゃないですか?
    この王様は、実は有名なヘンリー八世で、その財源といえば、国教会を作ったときにカトリック教会から接収した財産ですよね。そりゃあ「元は人のものですから、気楽に寄付出来ますよね」といった感じが、しないでもないです。

  • 明治の元勲達が設計した、「後進キャッチアップ国家」型の「富国強兵・殖産興業、官僚制・常備軍」モデルはさすがに破綻しているだろうと思うのです。

20 under 20 答えがない難問に挑むシリコンバレーの人々

この部屋にはテクノロジー企業の経営陣も、野心的な若者たちもいた。しかしティールや審査員はもちろん、ファイナリストたちに至るまでマンハッタンのカクテルパーティで普通に出会うような人種ではなかった。社交ベタで打ち解けた会話やジョークを苦手としていた。むしろ不器用と言っていい人々もいた。 万一パーティに出るとしても、気心の知れた友達一人とずっと話し続けるだろう。あるいは自分が本当に興味を惹かれた相手、あるいは特に優れた知性を持つ相手としか、会話を始めないかもしれない。社交性などに何の価値も認めない人種である。

シリコンバレーにはアスペルガー症候群を持った人々の割合が特に高いと思うか・・・ティールは「そんな症候群などない。それは小話がうまく社交術が達者な人間が、自分の理解できない相手に貼る便利なレッテルにすぎない」

ティールは何か話さなければならないという理由で、天気や休暇の話題を持ち出すようなことは決してなかった。彼が天気や休暇の話をしないことを、人々は社会的不適合の現れと考えた。・・・ティールは天気について話して時間をムダにせねばならない理由が理解できなかった。

社会的な優雅さなんていうものは、プログラミング上の課題を解決するには何一つ役立たない。社会的な優雅さでプログラムが1行でも書けるだろうか?・・・決められた枠をはみ出した複雑な思考を理解できない人間に限って、天気の話では流暢になる。

偉大な起業家はみな、教育、特に自己教育の情熱を持っている。自己教育を始めるのに早すぎるということはない

従来の高等教育は人生で本当に重要なことを考えるのを妨げる脇道だとティールは主張し、「人は(大学に入ると)本当の計画や目的を見失ってしまう」と付け加えた。

大学に進学することで就職のチャンスが増えるという考えにも警告した。ひとたび不況が来れば、そうしたチャンスは消えてしまう。これは悪循環だ。大学を卒業する学生の就職のチャンスというのはしょせん、金融業とかコンサルティング企業のような踏み鳴らされたキャリアパスに対して有効であるにすぎない。しかしこうした会社への就職は、人生の究極の目標とはいえない。それがどういうものであるかは別として、さらに上を目指すための出発点にすぎない。・・・「どんな計画でも計画がないよりましだ」

「ピーター・ティールの理論によると、我々は過去半世紀に渡って経済発展とイノベーションが着実かつ絶え間なく続くことに慣らされてきた。しかしイノベーションのスピードは次第に頭打ちとなり、経済発展もそれに連れて減速しています。ピーターはイノベーションのスピードダウンを強く憂慮している。彼はイノベーションの再生のために出来る限りの努力をしています。」

アカデミズムはいわば舗装された道路だ。われわれはアカデミズムの先の世界を必要としている。しかし現在のアカデミズムは行き止まりだ。

「なるほど国立研究所や一流大学の研究室には、我々のところと同じレベルの優秀な人間がいるだろう。彼らは十分な知識がある。しかし失敗を恐れずリスクを取りに行く精神がない。強い独立心の伝統もない。この独立心の伝統こそ、実験的なライフスタイルを宗教的なまでの強烈さで追求する新しい種類の人々を特徴づけるものだ

 スタンフォードが際立っているのは、失敗してもいいからやってみろと学生に教えているからだと言う。「みんな進んで実験したがる。それがこのオープンな雰囲気を作り出した」とミラーは説明した。

クイクシーのインターン生に大学へ行くなと助言する理由はただ一つ。非常に才能ある人間だからだ。「正規分布の平均値から標準偏差の3倍から4倍の位置にいる」。平均的人間なら大学へ行くのが合理的な判断だ。・・・大学が標準の選択肢であるべきではない・・・現状維持バイアス・・・もしあなたが並外れた才能の持ち主なら、大学に頼らず自らの人生の挑戦を設計すればいい。

入門レベルの職を探すことは、人生設計をしていない証だ。・・・大学でくれるものの内、人生に役立つものがあるとすれば、職探しの絶望感を少しだけましにする紙切れ、卒業証書くらいだろう。

シリコンバレーでは・・・誰もが自分の体が特別扱いを必要とする繊細なマシンであるかのように振る舞う。ランニングの成績を上げ、プログラミングの腕を磨くために、高度なダイエットやフィットネス療法はもちろん、パートナー選びにも気を使う。オタクで生産的であると同時に変わり者でなければ溶け込めない

マーク・アンドリーセン(ネットスケープの開発者)の妻、ローラ・アリラガ=アンドリーセン・・・彼女の父親シリコンバレー周辺の土地を開発した人物だ。

 プログラムがスタートした当初、我々はどれだけの波及効果があるか予測していなかった。しかし大勢の人間が立ち止まり、大学教育の負の側面について考えるようになった

高等教育というバブルについて、長い間『見て見ぬふり』が続いてきた。しかしピーターティールは大胆にもそれを名指しで批判した。

ルネ・ジラール・・・ミメーシス(模倣)の理論を考案し、人間は他人の欲望するものを自らも欲すると主張・・・フェローシップは「ミメティック(模倣)な意味での打撃」を与えたという。当初人々は、大学からのドロップアウトについて語りたがらなかった。誰にせよ大学をやめたものは落ちこぼれであり、失敗者だと見なされた。しかし今や誰もが「高等教育バブル」について議論するようになった。

優れた会社を作りたいなら既存の発明をコピーするのではなく、全く新しいアイデアをベースにしなければならない、としてゼロを1にすることの重要性を説いた。 

君たちが本当に優秀ならここに北前。君たちの世代のベスト・アンド・ブライテストに何が出来るか証明してもらおうではないか

ティール「型にはめられた人間には可能性はない」

20 under 20 答えがない難問に挑むシリコンバレーの人々

20 under 20 答えがない難問に挑むシリコンバレーの人々

 

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  • 電動バイクのベンチャー企業であるテラモーターズ・徳重徹社長は、こんなことを言っている。「新しい産業を生み出すためには、理想と現実のギャップを埋めなければいけませんが、“中途半端に”頭が良い人はそれを簡単に諦めてしまいます」。そうではなく、「まず理想から考えて、そのギャップを埋める」クレイジーな人材こそ、イノベーションを起こすのだという。
  • 少なくとも、覚悟を持って挑戦した人間が厳しい結末を迎えたのであれ、それを未熟だと嘲笑する社会に前進がないことも確かではないか。

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  • これまで困難だったのは有望なスタートアップに新規の投資家を引き込むことでした。つまりアンチエイジングは有望なビジネスとなるということを納得させるのが大変だったのです。しかし今やそういう困難はありません。これはたいへんうれしいことです。わたしたちはポートフォリオ企業に適切な投資家を探し出すことに専念できます。老化防止が有力な市場に育ってきたのは素晴らしいことだと思います。

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ヒラノ教授の論文必勝法

 お金を払って掲載してもらうのが研究業績で、原稿料をもらうものはアルバイト

人文社会群時代にお付き合いした文系研究者は、論文よりも著者にウェイトを置いていた。研究所だけでなく海外で出版された教科書の翻訳、一般読者向け読み物や新書、また中央公論文藝春秋などの商業誌に発表した文章を、研究業績としてカウントしていた。

エンジニアの要諦は、短時間の集中的作業、・・・拙速で、たくさんの役に立つ論文を書くことである。細かい間違いが含まれていても、役に立つ内容の論文は、レフェリーのアドバイスを参考にして修正すれば掲載してもらえる。

経済学者は、時間をかけて完璧な論文を書こうとする。そうしなければ、厳格なレフェリーに撃沈されてしまうからである。工学部出身ながら、有力国立大学の経済学部教授を務めたORの専門家は、経済学部では、3年に1編のジャーナル論文を書けば十分だ。

トムソン・ロイター社が、2013年に日本の経済学者は、アメリカの経済学者に比べて論文数が少ないというレポートを発表した時、・・・国友直人教授は、日本の大学には、ほとんど論文を書かない教授が大勢いるとコメントしている。・・・なぜ彼らは論文を書かないのか。それは、経済学者は他人が書いた論文に対して、必要以上に厳しい審査を行うため、論文の投稿を諦めてしまう研究者が多いからではなかろうか。・・・彼らが論文を描かないもう一つの理由は、(日本には)レフェリー付きジャーナルが少ないことである。・・・一度拒絶査定を受けると行き場がないので、霊安室送りになってしまうのである。

どの分野でも審査は厳しいものだが、・・・経済学者の厳しさは突出している。厳しい審査を受けた研究者は、審査委員になった時に厳しい審査をする傾向がある。この結果、厳しい審査は自己増殖していくのである。

フィッシャー・ブラック教授・・・MITの教授ポストを捨てた理由・・・給料の違いと、レフェリーがごちゃごちゃ言ってくるので、論文を書くのが嫌になったから・・・論文書きは習慣のようなもので、書き出せば次々とかけるが、一度書かなくなると書けなくなる。

工学部の研究者(エンジニア)の特徴は、短期的視点で仕事をすること・・・長くても5年先のことしか考えない。ある東大工学部教授は、一流エンジニアは、与えられた問題をいかにうまく解くか、つまりHOWだけを考えればいい。君のようにWHATを考えるエンジニアは二流だと言い放って、ヒラノ助教授に衝撃を与えた。

数学者は、一年で古くなるような問題には関心を示さない。・・・ ある高名な数学者は、論文書きまくりのエンジニアを揶揄して言った。論文をたくさんお書きになるそうですが、10年後、100年後に残るものはどれだけありますかと。エンジニアが書く論文で10年後に残るものは、たかだか10に1つである。100年後に残るものは間違いなくゼロである。100年後を視野に入れて研究している人にとって、PP(Publish or Perish)カルチャーはただの馬鹿騒ぎにすぎない。

ここに集まった諸君は全員がライバルだから、たとえ親しい友人であっても、個人的にアイデアを漏らしてはいけない。私はアイデアを盗まれたという事件をたくさん見てきたが、盗まれた側が盗まれたことを立証できたケースはほとんどなかった。・・・ギスギスしたアメリカの競争・ドロボー社会と穏やかな日本のなあなあ・協調社会

ダンツィク教授の教え

  1. イデアを思いついた時、論文に書く前にそれを偉い研究者に話さないこと
  2. 何らかの成果を導いたら、直ちにメモを作って大勢の研究者が集まる会合で配布し、研究成果の優先権を確保すること
  3. 論文は可能な限り速やかに、しかるべきジャーナルに投稿すること
  4. たとえつまらないと思われる結果でも、論文の形にまとめて投稿すること
  5. 論文を書き続けること
  6. 論文を書けないときでも、研究集会に参加して(つまらないことでもいいから)何か発表すること

 ダンツィクが線形計画問題について説明しようとしたところ、フォン・ノイマンは早く結論を述べよと一括。偉い先生だとは言うものの、あまりに横柄さにムッとしたダンツィクが、黒板に数式を書き始めたところ、フォン・ノイマンは「あっ、それだ!」と言って立ち上がり、驚くダンツィクからチョークをもぎ取って、90分に渡って線形計画問題の数学的構造について語ったという。

ゲーム理論を完成させたばかりだったフォン・ノイマンは、線形計画法ゼロサムゲームの均衡解の計算に使えることを指摘すると同時に、一般の線形計画問題に対して双対定理が成り立つことを予想したという。

その後まもなく、その予想が正しいことを証明したダンツィクは、短いレポートを作成して研究仲間に配布した。しかし、フォン・ノイマン先生が知っていた当たり前の定理なので、論文としてジャーナルに投稿することを見合わせた。

ところがその3年後、デビッドゲール、ハロルドキューン、アルバートタッカーという三人の数学者が、双対定理とその証明を記した論文を発表した。そしてその後まもなく、この定理が後に大発展する最適化理論の基礎となる大定理であることが明らかになるのである。 

 

既に掘り尽くされた鉱山で落ち穂拾いをせずに、積極的に新しい分野に参入して、創業者利益を手に入れること。その際すべてを自分だけでやろうとせずに、学生や同僚を巻き込むこと。

新しい分野に参入するときは、出来る限りそれまでに築いた人間関係を害(そこな)わないようにすること。

 一つの論文にあまり多くのことを盛り込まないこと。(ダンツィク教授)

優れた研究者が蝟集(いしゅう)する領域で研究するより、未開の鉱脈で身の丈に合った問題に取り組むこと(バラス教授)

40歳を過ぎても、2-3年単位で臨時ポストを渡り歩く研究者が大勢いるのである。そのようなことを知った上で、なお研究者になりたいという学生でなければ、博士課程には受け入れないほうが賢明である。

研究という営みは運に支配される部分が多い・・・成果が出ないときも、それに耐えて努力する強靭な意志がない人は、研究者にはならないほうがハッピーな人生を送ることができる

博士課程に進もうと考える学生は、学部生のうちに、指導を受けるべき教員に関して十分な情報を手に入れておくことが大事

指導教員に選ぶべきは、新しくて面白そうなテーマを研究している教員、学内外での評判がいい(人柄がいい)教員、学生の面倒見がいい教員、学生に過度に干渉しない教員である。この全ての条件を満たす人はめったにいないが、これとは反対の人、すなわち古くてつまらなそうなことをやっている人、評判(人柄)が悪い人、忙しすぎて面倒見が悪い人、過度に干渉する人は避けるべきだ(このような人を指導教授に選んで不幸な目にあったら、責任の半分は学生側にある)

論文を書かない人は、著者の苦労がわからないから、審査は厳しくなりがちである。

話の内容が分からなくても、偉い研究者の講演会があったらなるべく聴きに行くように・・・謦咳(けいがい)に接する

知名度が高い研究者の論文を審査する時、レフェリーはいい加減なレポートは書けない。

数理科学者・ソフトウェア科学の研究者には、研究業績を特許で保護してもらいたいという発想がないことである。自分の業績は先人の膨大な業績の上に成り立っている。特許を取って新しい知見を囲い込むより、多くの人に自由に利用してもらうほうがいいと考える人が多いのである。

 

工学部ヒラノ名誉教授の告白 エンジニアが「物書き」になったワケ

 名誉教授号とは、バレンタインデーの義理チョコのようなものだ。その心は、もらっても大して嬉しくないが、もらわないと(みんながもらっているので)かなり傷つく

「君は、理工系人間は恵まれなかったと思っているようだが、エンジニアは好きなことをやったのだから幸せだったはずだ。(数学が不得手な)我々は、仕方なしにつまらない仕事に就いたのだ。同等の能力を持つ2人の人間の一方が好きな仕事をやり、もう一方が好きでない仕事をやった場合、後者がより良い待遇を受けるのは当然ではなかろうか」というお叱りの手紙を頂戴した。

  • (個人メモ)個人的には、同等の能力を持つ人間が同じ仕事をやった時には、その仕事が好きな人間のほうが意欲や創造力の面で相対的に優位なのだから、長期的なパフォーマンスも高くなるだろうし、待遇の面で報いるのは当然なように思われる。日本はとかく「我慢することが偉い」という風潮があり、仕事を楽しんでいる欧米企業にパフォーマンスでボロ負けしているような気がするのだが・・・。いやいや仕事をしていてイノベーションが起こせるとはとても思えない。

本来であれば別の分野に進んだほうが良かった多くの学生が、理工系ブームの中で理工系大学に迷い込んだのである。道を間違ったことに気づいた何人もの学生が文系領域に転身した。・・・野口悠紀雄植田和男、梅沢豊、今田高俊、柳井晴夫、・・・

数学的手法の応用なら、数学科に進んだほうがいいと思う読者もいるだろう。しかし、当時の数学科の教授たちは、代数学幾何学解析学・確率論以外は数学ではないと考えていた。(今も大勢いる)・・・数学者の、数学者による、数学者のための数学と言われていた所以である。

第二次大戦後、アメリカを中心に工学や経済学上の問題に数学を応用する数理科学(工学)が大発展を遂げていた。サイバネティクス、制御工学、数理統計学、OR(オペレーションズ・リサーチ)、数理経済学、計算機数学などである。ところが日本の数学者は、これらの分野に全く関心を示さなかった。

数理工学コース・・・東京大学工学部30年に1人の大秀才と呼ばれた森口教授・・・ペアを組む伊里正夫助教授も、森口教授以来16年ぶりの秀才で、この人と対抗できるのは、経済学部の天才竹内啓助教授だけだと言われていた。

人間は才能が80%で努力が20%だと考えていた・・・ところがこれは大間違いだった。人間は才能が20%、努力が20%、運が60%なのである・・・

実績がない若者が取るべき戦略は、有力な研究者に頭を下げて、仲間に加えてもらうことである。研究資金のおこぼれを頂戴して研究を行い、そこで得た成果を踏み台にして、独自の研究費を申請するのである。・・・実績がない男の申請はなぜ合格したのか。一つ目の理由は、筑波大学助教授ではなく、東京工業大学教授だったこと。二つ目は、線形計画法の父にして、後に20世紀のラグランジュと呼ばれることになるジョージ・ダンツィク教授の弟子だったこと。3つめは、有り余る時間を使って、説得力がある申請書をきれいな字で書いたこと。四つ目の、そして最大の理由は、運が良かったことである。

1970年代までの金融理論は、経済学部・商学部・法学部の不可侵の領土だった。金融ビジネスに必要な数理的素養は、四則演算くらいだから、理工系スタッフが手がけるべき仕事は、計算機のお守りだけだった。ところが80年代に入ると状況はがらりと変わった。

研究者は、二つの研究テーマを持っている時にもっとも生産性が上がる。研究者は優秀な仲間と協力すると生産性が上がる。

理工系研究者の独創性は20歳がピークで、70歳でゼロになる。一方、分析力は20歳ではゼロだが、以後単調に増大する。研究能力が最大になるのは、この両者の積が最大になる45歳であるという江崎玲於奈理論には説得力がある。

白川浩氏を始めとする優秀な仲間と巡り会えたのは、とても幸運なことだった。このような幸運に巡り会えたのは、勤め先が一流大学だったからである。学生と分業して研究を行う工学部教授が研究業績を上げる上で、優秀な学生に恵まれるか否かがカギを握っている。東大、京大などの一流大学教授は、プロ野球で言えば、二勝のハンディをもらってプレーオフ7連戦を戦うようなものである。

 バブルがはじける前の(文系)大学は、たしかにレジャーランドそのものだった。例えば、東大経済学部の学生の中には、11枚つづりの地下鉄回数券を余らせてしまう人がいたという。有効期間二ヶ月の間に、五日しか大学に行かないということである。あまり勉強しなかったにもかかわらず、大銀行に採用された彼らは高給をエンジョイしていた。

 尊敬する小川洋子氏・・・「もの書きを目指す人が心がけるべきことは、必ず必ず毎日机(PC)の前に座ること、そして一度書き始めたものは、必ず最後まで書くことである」

工学部教授が 国際競争で勝利するためには、海外の研究集会に参加して、一流の研究者と情報交換を行うことが必須である。海外に出かけなくても、一流ジャーナルに発表される一流論文を読めば十分ではないかという人は、研究競争の実態を知らない人である。

論文を数で評価する時代であれば、何か書きさえすれば業績になった。ところが21世紀に入って、論文は数ではなく質で勝負する時代がやってきた。・・・大学教員には研究以外に教育、管理業務、社会的貢献などの重要な任務がある。・・・すべての教員が、適性があるなしにかかわらず、管理業務を均等に負担するのが原則になっている。世界的な研究者が、ローテーションで学科主任(雑用係)やキャンパス美化委員、交通問題検討委員などをやらされているのである。

一方アメリカの大学では、優れたジム管理能力を持つ教員が学科主任を引き受ける。たとえばスタンフォード大学では、計算機科学科もOR学科も、ジョージ・フォーサイス、ジェラルド・リーバーマンというスーパーマネージャーが、10年近くにわたって学科主任を務めていた。・・・アメリカの大学では強力な権限を与えられた学科主任学科内における細々した問題を自分の責任で処理する。・・・日本の学科主任は権限がないので、些細な事でも会議に諮ったうえで決めようとする。この結果、すべての教員が会議に忙殺される。

主任になると教員の生産性はガクンと落ちる。・・・事務能力が乏しい教授にとって、5年に1回の学科主任はまさに苦役である。誰が考えても、アメリカの大学のやり方のほうが、日本より効率的であることは明らかである。

またアメリカでは、すべての教員が論文書きに血道を上げているのかと言えば、そうでもない。ひとたびテニュアを獲得した人は、論文を書かなくても解雇される心配はない。従って、特別に優れた教育能力を持つ教員は、論文書きより教育活動に集中することが出来るのである。アメリカでは、それぞれの分野に定番教科書があって、教育上極めて重要な役割を果たしているが、これらは知識吸収能力と解説能力に長けた教授が何年もかけて書いたものである。

一方日本の大学では、建前上すべての教員の能力は同等だということになっている。また理工系大学では、研究が教育や社会的貢献の上位に置かれる傾向があるため、教員は論文生産競争に血道をあげる。しかしジャンク論文を量産するより、学生に良質な教育を施すほうが、大学人にとって遥かに有意義である。我が国の理工系大学が、世界的競争に伍していくためには、各教員が自分の適性にあった役割分担を行うことが必要ではないだろうか。

 

最後の秘境 東京藝大:天才たちのカオスな日常

 親が本気じゃないとダメだと思う。でも、大抵の親は本気だよ。特にピアノ専攻やヴァイオリン専攻では、二歳とか三歳から音楽やってて当たり前だから。小学校から始めたら、遅くてハンデがあるねって言われるくらい。

演奏家は体力勝負だもの。ハードなのよ、コンクールの前に掌いっぱいの砂糖を食べるピアニストもいるくらいだから。年とともに体力は衰えていくでしょう。入試に何年もかけたら、もったいないのよ。だったら他の大学に入って、早くプロとして活動し始めたほうがいい。

油画を描くのに必要な道具・・・なかなかに大きな鞄が必要となる。・・・入試当日は、エレベーターが使えないんです。そして困ったことに、油画の試験は絵画棟の5階とか6階で行われるんです。・・・運動不足の人は顔真っ赤にしてますね。途中で離脱してしまう人もいると思います。『ハンター試験』って呼ばれてますね

ふと、理想の音にハッと気づいたりするんです。最初は偶然鳴って見つけることもありますし、あるいは他人の演奏を聴いて、こんな音を出したいって思ったりすることもあります。

技術は習うことが出来ますが、それを使って何をするかは、自分で見つけるしかないんです。やりたいことがないと潰れちゃいますし・・・売れる方法なんかは自分で探すしか無い。そもそも売れる方法は、教授にだってわからないんですよ。藝大で評価されなかった人が、大成功することもありますからね。

最後の秘境 東京藝大:天才たちのカオスな日常

最後の秘境 東京藝大:天才たちのカオスな日常

 

 

経済数学の直観的方法 マクロ経済学編

 日本の経済学部を眺めると、筆者にはどうも経済学部の学生が置かれている状況が、江戸期の和算家と似ているように見えなくもない。つまり天体力学こそいわば微積分の魂だったのだが、経済学部では、天体力学の話は文系には馴染みがないとして下手にそれを省略することで、これが魂のないテクニックにしか見えず、かえって話の理解を難しくしているように思えるのである。

ワルラスなどの体系はあまりにもニュートンの力学を経済学に移し替えただけの一種の単なる翻訳に過ぎず、どこにもオリジナリティが感じられない、という意見が多い。そしてもう一つ重要なことがあり、それらは実は天体力学と違って、本格的に微積分を使えてはいないのである。特に、・・・「微分方程式」を駆使することがほとんどできておらず、この点で一挙に評価が下がってしまっている。

ケインズ経済学・・・彼には古典派のようなミクロ的な均衡原理を基礎に、あらゆる時代、あらゆる局面で使える経済の統一理論を作り上げようという意思自体が最初から希薄である。・・・彼の言葉に「経済学には、モデルに即して考えるサイエンスの部分と、現在の経済状態にはどのモデルが適合するのかを見抜く「アート=術」の部分がある。そして全社の部分に関しては人材を量産できるが、後者は希少な才能によるしかない」・・・ケインズの場合、とにかく今現在、国や社会が抱いている経済問題を解決するために、いわば一回限りの理論を作れればそれで良い、というスタンスが根底にある。・・・一回限りで使い捨てにするには惜しいほど、深く経済メカニズムの本質をついたものが相当含まれていたため、結果的に理論全体が一種の普遍的な体系として残り、それがケインズ経済学と呼ばれるようになったと言える。

 理系側の人間には先程のルーカス批判での「理論の結論が政策トッして公表されてしまうと、それが理論の前提となるデータを変えてしまう」という話が、量子力学不確定性原理での観測が実験対象を変えてしまうという話に何か似ているという印象がある。

生成装置であるラグランジュアンの式は、できるだけ冗長であるほうが望ましい。実際それが冗長であるほど、それをいろいろな角度からいじって何個もの式を生み出すことが出来るからである。

ラグランジュアンは何かを最小化するという思想からスタートしているのに対し、ハミルトニアンは何かを常に一定不変にするという思想がベースとなっている。

 西洋代数学ならそれ1個を覚えればよいのだが、和算の場合、鶴亀算や植木残などをそれぞれ別の理論としていちいち覚えねばならず、簡略化ということが不十分にしか行われていなかったのである。

思考経済・・・最小の知識で最大限の事象を理解する・・・記号の簡略化は、時に難しい方程式を解くより大きく数学を発展させることがある。・・・クラウゼヴィッツ「知識を単純化した人を天才と言う」

経済数学の直観的方法 マクロ経済学編 (ブルーバックス)

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