GDP――〈小さくて大きな数字〉の歴史

アメリカの経済分析局がGDPを「20世紀でもっとも偉大な発明のひとつ」と称したのも、あながち誇張とはいいきれないだろう。・・・GDPは20世紀の経済における急速なイノベーションやデジタル化された無形サービスには対応しきれていない。

国の経済全体の大きさを測る、という試みが初めて本格的に行われたのは、17世紀の戦争の時だった。1665年、イギリスの学者で役人もあったウィリアム・ペティが、イングランド及びウェールズの収入、支出、土地、その他試算の推計を作成した。戦争に必要な資源が足りているか、そして徴税で戦費をまかなえるかどうかを見積もるためだ。・・・彼は、国全体の経済の記録に複式簿記を導入するという功績も残している。同じく初期の経済統計に着手していたチャールズ・ダヴナントは、1695年に『戦費調達論』というタイトルで研究結果を発表した。経済統計の目的をずばりと言い表したタイトルである。英語の「statistics」という単語は「state」と語源を同じくし、もともとは国に関する数値、特に税金関係のデータを指す言葉だった。・・・フランスが同様の情報を手に入れたのは1781年になってからである。財務長官のジャック・ネッケルがフランスの経済力についてまとめた『王への報告書』によって、フランスの王はようやく戦略的に重要な経済・財政データを手に入れることができ、新たな国債発行も可能になった(それでも結局、1789年のフランス革命を避けることはできなかったが)。

アダム・スミス

労働の中にはその対象に価値を付加するものもあれば、そのような効果を持たないものもある。価値を生み出すという観点から、全社を生産的労働と呼び、後者を非生産的労働と呼ぼう。例えば製造業者の仕事は一般に、その仕事の材料に価値を付加し、自分自身及び雇用主により大きな利益をもたらすものである。一方、屋敷の使用人の仕事は、何者にも価値を付加しない。・・・製造者を多数雇えば豊かになり、使用人を多数抱えれば貧しくなる。

・・・カール・マルクスもこの考え方に賛成しており、・・・ソ連の経済統計を見ると、形ある生産物については記録されているが、サービス業はほとんど無視されている。欧米の資本主義国では80年代末の時点でサービス業がGDPの3分の2を占めていたのだから、これはかなり大きな見落としである。

アルフレッド・マーシャルは、「富には物質的な富と、個人的あるいは非物質的な富がある」と明言した。つまり国民所得の定義には、サービスも含めなければならないということだ。・・・イギリスでは1920年代から30年台にかけて、コーリン・クラークが初めて年間ではなく四半期ベースで国の収支を計算した。・・・インフレに伴う数値の調整方法について検討し、様々なグループに属する人々の間での所得分配にも言及していた。

アメリカでは、サイモン・クズネッツが同様の任務についていた。フランクリン・ルーズベルト政権も、終わりの見えない不況の中で、より正確な経済の情報を必要としていたのだ。全米経済研究所(NBER)に政府から国民所得推計の依頼が舞い込み、クズネッツがクラークのやり方を応用してアメリカ版の国民所得計算を作成することになった(クズネッツはこの業績によって後にノーベル経済学賞を受賞している)。・・・彼が1934年1月に連邦議会に提出した最初のレポートは、アメリカの国民所得が1929年から1932年の間に半減していることを明らかにするものだった。この衝撃的なレポートは一分につき20セントで販売され、不況にも関わらずベストセラーとなった。初版4500部はあっという間に売り切れたそうだ。ルーズヴェルト大統領はこの数字をインっ要しながら新たな税制再建計画を発表し、1938年には最新版に更新されたデータを利用して補正予算案を議会に提出した。ある国民経済計算詩の研究でも指摘されているが、国民所得水系の包括的なデータは政策を推し進める上で大きな力となった。前任のハーバート・フーヴァー大統領は株価指数や貨物輸送量といった断片的な情報に頼るしか無く、充分に危機感を煽ることができなかった。

サイモン・クズネッツ

本当に価値のある国民所得計算とは、強欲な社会よりも先進的な社会の見地から見て益よりも害であるような要素を、合計の金額から差し引いたものであると思われる。軍事費や大部分の広告費、それに金融や投機に関する出費の大半は現在の金額から差し引かれるべきであり、また何よりも、我々の高度な経済に内在すると言うべき不便を解消するためのコストが差し引かれなくてはならない。都市文明特有の巨額の費用、例えば地下鉄や高価な住宅などの価格は、通常は市場で生み出された価値として扱われる。しかしそれらは実のところ、国を構成する人々の役に立つサービスではなく、都市生活を成り立たせるための必要悪としての出費でしか無い(つまり生活のための出費ではなく、事業のための出費が大半なのである)。そうした要素を国民所得計算から除外することは困難を伴うけれども、それによって国民所得計算におけるサービス生産量の把握は確実に精度を増し、時代と国の違いを超えて比較するに耐える尺度となるはずである。

Kuznets, Simon, (1937), National Income and Capital Formation, 1919-1935, National Bureau of Economic Research, Inc, http://EconPapers.repec.org/RePEc:nbr:nberbk:kuzn37-1.

・・・GDPは決して、福祉や豊かさのレベルを計測するものではないのだ。

商務省のミルトン・ギルバートらの目的は明白だった。政府が支障なく財政政策を運用できるようなデータを作成することだ。・・・アメリカ初のGNP統計は1942年に発表された。・・・「事業税および減価償却費を(市場価格で計算されたGNPに)含めたことによって、戦争の経済に対する影響をより正確に予測できるようになった」・・・クズネッツはこのやり方にかなり懐疑的だった。「商務省のやり方は、政府支出が経済成長の数字を増大させることを同語反復的に認めているに過ぎず、人々の豊かさが向上するかどうかは考慮されていない」・・・第二次大戦が始まり、現代のGDPの概念が生まれる頃には政府は以前よりもはるかに巨大な存在となっていた。政府にしてみれば、既存の国民所得の額から国防費を差し引くのは、戦争が民間の消費支出に大きな犠牲を強いるという誤った印象を与える行為だ。・・・政府支出を経済から差し引くのでは無く加えるという考え方には、こうした民主的な政府というイメージへの移行を助ける意味合いもあった。

1939年にドイツに宣戦布告したイギリスは、アメリカよりも早く同じ結論に達していた。コーリン・クラークによる初期のアプローチは、極めて優秀かつ有力な経済学者ジョン・メイナード・ケインズの手によって拡大され、塗り替えられることになった。1940年に発表した小冊子『戦費調達論』のなかで、ケインズは当時の経済統計のあり方を強く批判した。・・・戦争の計画には、何を使ってどれだけ生産できるのかというような、個々の産業に関する詳細なデータが不可欠になる。「先の戦争以来の政府はすべて非科学的で蒙昧であり、何よりも重要な一連の事柄をお金の無駄と見なしてきた。」

全米経済研究所の所長を務めたウェスリー・C・ミッチェルはいう。「20年間に渡る幾通りにも分類された国民所得の推計が、いかに多くのやり方でいかに大きく第二次世界大戦を支えてきたか。これは戦争の費用調達に関わってきた人にしか本当には理解できないでしょう。」

イギリス財務省の要職にあったオースティン・ロビンソンはケインズの戦費調達論に感銘を受け、若手経済学者のリチャード・ストーンとジェームズ・ミードに新たな統計データの作成を依頼した。・・・ケインズは政府の職に就いていなかったが、財務省内にオフィスを与えられて二人の仕事を監督し、続いて国の新たな統計機関である中央統計局の設立にも尽力した。後の1984年に、ストーンはGDP及び国民経済計算を開発した功績でノーベル経済学賞を受賞することになる(この時ミードは貿易理論で既にノーベル賞を受賞していた)。

壊滅的だったヨーロッパ諸国の存続と再建は、このマーシャル・プラン(欧州復興計画)に大きく依存していた。あらゆるものが不足していた時期であり、限られた資源の使われ方を追跡することは急務であった。まもなく国連が指揮をとり、国際的な経済測定の基準が作られることになった。これが現在、国民経済計算体系(SNA)と呼ばれるものである。

雇用・利子および貨幣の一般理論』・・・経済学の古典となったこのテキストの確信をなしているのは、様々な経済変数同士の関係性だ。・・・政府の動かせる数字が経済の大きさにどう影響するかをケインズは論じた。この理論が1940年代以降の介入主義的な経済政策の基礎となっていく。財政政策(税収・政府支出)と金融政策(金利・融資)を駆使して、より高く安定した経済成長を目指そうというやり方だ。・・・見逃してならないのは、GDPがなければケインズ派のマクロ経済理論は戦後経済政策の基本原則になり得なかったという点である。福祉を重視するクズネッツのやり方が廃れ、政府支出を組み込んだGDPが開発されたことによって、国の経済における政府の役割は大きく変化した。GDP統計とケインズ派のマクロ経済政策は車の両輪であり、1940年以降のGDPの歴史はそのままマクロ経済学の歴史だった。

国民経済統計を使って計量経済的「モデル」を作成するという手法が登場し、・・・米英に劣らない速さでGDPを取り入れていたオランダ出身の経済学者、ヤン・ティンバーゲン。世界初のノーベル経済学賞受賞者である。・・・財政乗数の値を見れば、政府支出や税収の変化に対してGDPがどれだけ変化するかを予測できるわけだ。ケインズ自身はその有効性をかなり疑問視していたのもかかわらず、計量経済学的モデルは介入主義的な経済政策に欠かせないツールとなっていった。

経済をピタリとコントロールするという40年代の幻想はその後の数十年間の出来事によって打ち砕かれたはずだが、マクロ計量経済モデルはいまだに広く活用されている。政府の介入や政策変更がどのような効果を生むのか、それを予測しないわけにはいかないからだ。

リチャード・ストーンが言うように、国民所得は「それ自身で存在する事実」ではなく「経験的に作られた概念」でしかない。「所得を突き止めるためには、所得という概念を導き出すための理論を仮定の上に組み立て、この概念を一連の事実と対応付ける必要がある」。

 GDPの大半を占めるようになったサービス部門のデータ収集の難しさである。事業所の情報を収集する標準的な調査では、サービス部門が十分にカバーされていない。それに、購買習慣の変化を把握し続けるのも難しい。人々の買い物は地元の商店から大規模なチェーン店へと移行し、業者が仕入れに使うような大型店での買い物も増加した。最近ではオンラインショップへの移行も進んでいる。さらなる問題は、人々の所得の価値が把握しづらくなったことだ。昔は総報酬に占めるストックオプション割合は小さかったが、最近ではかなり存在感を増している。つまりGDPとは実際のところ、数々の統計データの寄せ集めに複雑な一連の処理を施し、概念的枠組みにあるよう綿密に加工した数字なのだ。

最初にPPPレートの算出を試みたのは、イギリスのコーリン・クラークだった。1940年のことだ。戦後になると、国民経済計算の発展と並行して購買力陛下の研究もさらに勧められた。そして1954年、OEECは初めてPPPで調整されたGDPを発表した。・・・多くの経済学者が当然のように利用しているPPP換算レートだが、一方でこれを疑問視する声も少なくない。PPPレートを使ってGDPを換算すると、通常の為替レートを使ったときよりも、国内の財やサービスの値段が安い低所得国が相対的に高く評価される。それ自体はPPPという考え方の狙い通りなのだが、問題は貧しい国の所得が高く評価されすぎているのではないかという点だ。最近の研究でも、PPPによるアプローチは各国の生活水準の差を過小評価しているという考えを支持する結果が出ている。

Nicholas Oulton, 2011.
"The Wealth and Poverty of Nations: True PPPs for 141 Countries,"
CEP Discussion Papers dp1080, Centre for Economic Performance, LSE.

低所得国の政府にしてみれば、GDPが高くなるような調整はそもそもうれしくない。経済の水準が(見た目で)高くなってしまうと、世界銀行からの援助や低利子融資を受けられなくなる恐れがあるからだ。PPPレートを使ってGDPや1人あたりGDPを換算した場合、通常の為替レートを使ったときよりも、援助の必要性が低く見えてしまう。それでは困るということで、例えば中国政府は2000年に世界銀行に働きかけ、自国の1人あたりGDPの値を無利子融資の対象範囲まで下げさせたと言われている。

 1968年に出版されたポール・エーリックの『人口爆弾』は、増え続ける人口と資源の浪費に対する痛烈な批判だった。絶望的な未来を描き、発売と同時に大きな話題を呼んだ。だがエーリックは、後にメリーランド大学の経済学者ジュリアン・サイモンと賭けをして負けている。1980年、サイモンはエーリックに対し、好きな金属を5種類選び、それらの10年後の価値が(インフレ調整後価格で)上がるか下がるかを当てようという賭けを持ち出した。サイモンは経済学の理論を使い、こう推論した。需要が高まって何かが足りなくなれば、その他のものに比べて価格が高くなるだろう。価格が上がると人々はそれの使用量を制限したり、代わりになるものを見つけたりする。そうした価格とイノベーションによる配分の結果、市場の自動機能が働いて、不足は調整されるだろう、というのだ。それに対してエーリックは、もっとも早く枯渇しそうな金属を5つ挙げ、それらの価格が上がる方に賭けた。だが、エーリックは間違っていた。10年後、5つの金属の価格は全て下がっていたのだ。この有名なエピソードは、経済成長が環境を壊すか否かという問題をめぐって今も続く多くの意見の対立を端的に描き出している。

もともとGDPは、非常に限られた物的資源をある時点でどれだけ利用したか・利用できるかを測るために生み出されたものだった。難しい点はあるにしても、モノを測るのだから合理的でシンプルだ。一方でサービス部門では、統計の基礎となるデータが集まりにくい。既に述べたように、アダム・スミスサービスというものを非生産的内と涙と考えていたので、そもそも測定する必要がなかった。30年台に初期のGDPデータを作成したコーリン・クラークは、サービス関連のデータが手に入りにくいことを嘆いている。産業革命後の世界には綿花や石炭の生産量データはあふれていたが、サービスの測定はほとんど手つかずだった。1937年時点ですでに、イギリスやアメリカではサービス部門が雇用の半分近くを占めていたにもかかわらずだ。

http://www2.warwick.ac.uk/fac/soc/economics/staff/sbroadberry/wp/labmkt5.pdf

現実に、サービス業はOECD加盟国のGDPの3分の2以上を占めている。しかもそこには、金融サービスというさらに厄介な問題まで存在するのだ。

GDPの測定方法ではイノベーションの効果をうまく把握できないという問題だ。・・・数十年、数百年の間に、1ルーメン(明るさの単位)あたりの価格は劇的に下がった。そして同時に、証明の質は素晴らしく上がった。ところがGDPの算出に使われる生データ―ろうそくが売れた数やランプ・電球が売れた数―を見ても、どれほど低価格で高品質のものが手に入るようになったかは決してわからない。

現代のGDP成長は、絶え間ないイノベーションと爆発的な多様化のプロセスだ。「増えすぎた」選択肢の弊害などと言われることも多いが、データは逆のことを示している。商品の多様化(例えばシリアルの味や本の種類)から消費者が受け取る価値を計量的に推計した結果、シリアルのアップルシナモン味といったような一見ささいなイノベーションからでも、消費者は大きな価値を受け取っていることがわかった。

Valuation of New Goods under Perfect and Imperfect Competition, Jerry A. Hausman. in The Economics of New Goods, Bresnahan and Gordon. 1997

ウィリアム・ノードハウス「インフレ調整後のドルあたり、あるいは労働単位あたりで見た場合のコンピュータのパフォーマンスは、1990年以降1兆から5兆倍の規模で増大した。これは年間30-35%の成長が1世紀にわたって続いた計算になる」。公式の統計はコンピュータの性能向上を充分に掴みきれておらず、そのため価格低下を過小評価している、と彼は主張する。

アメリカではこの点を調査するための専門家チームが結成された。ボスキン委員会である。・・・96年のレポート・・・コンピュータやカメラや電話といった製品の性能アップが考慮されていないためにアメリカのインフレ率が年間1.3%過大評価されており、そのせいで実質GDP成長率が過小評価されているというものだった。物価上昇(あるいは実際より緩やかな下落)と見えたものは、実際には品質と消費者体験の著しい向上を反映した数字だったのだ。・・・名目GDPを実質GDPに変換するための価格指数の計算に「ヘドニック物価指数」を採用しはじめた。

ヘドニックという名前は、ギリシャ語で快楽を意味する言葉から来ている。この指数では利用者にとっての価値を可視化して本当の価格を導き出すために、商品の質の変化を計算に入れる。・・・質の向上に応じた価格上昇はインフレに含まれないということだ。このやり方は多数のハイテク製品に適用されている。・・・企業によるソフトウェア購入の扱いが、中間財の購入から、一種の投資へと変更されたのだ。それまでソフトウェアは、機械部品や文房具と同じような企業間の売買として扱われ、最終販売としてGDPの数値に加算されることはなかった。しかし新しい基準では、機械や工場と同じように、長期的に少しずつ利用されて将来的に利益をもたらす投資として扱われるようになった。この変更には賛否両論あった。・・・10年どころではなく2年ほどのスパンで買い換えられる。同じ耐久財とみなすには短すぎる期間だ。

イノベーションを測るためには経済の大きさよりも、財やサービスの多様性に目を向けるべきだ。2001年に発表されたある研究によると、アメリカではここ40年の間年間1%というハイペースで多様性が増していて、そのペースはどんどん加速しているという。 

Mark Bils & Peter J. Klenow, 2001.
"The Acceleration of Variety Growth," American Economic Review, American Economic Association, vol. 91(2), pages 274-280, May.

 そして今でも、ヘドニック指数の対象となっている一部の製品以外は、その多様性を測ることが出来ずにいる。

 リチャード・ストーンは、経済統計に含めるものと含めないものの区別が恣意的であることを率直に認めている。「商品の価値を市場価格で測り、このような扱いは何らかの理論に基づくものではなく、実務上の便宜のためである。したがってその正当性は実務の面においてしか認められない」。

 1987年、イタリアはGDPが一夜のうちに急上昇したことを発表した。無届けの経済活動の推計をGDP統計に含めることにしたからだ。この変更でイタリアの経済の規模は約20%も拡大し、一気にイギリスを抜いて、4位のフランスに僅差で迫る世界第5位に躍り出た。イル・ソルパッソ(追い越し)と呼ばれる出来事である。「イタリアは歓喜に包まれた。経済学者が統計の見直しを行い、脱税者や不法就労者からなる厄介な地下経済を初めて国の経済に組み入れたのだ」とニューヨーク・タイムズ紙は報じた。

一部の国では政府の規制があまりに厳しいため―途上国では工業製品の輸入に高い税金が変えられていたり、先進国では棚や流し台の配置にまで細かなルールがあったり―仕方なく非合法でやるしかないこともある。あるいは貧しすぎて、まともな仕事を選ぶ余裕がない人々もいる。

先進国におけるインフォーマル経済の比率は様々で、アメリカの7%やスイスの8%から、イタリアの20%やギリシャの25%まで幅がある(2012年の推計値)。平均値はGDPの15%というところだ。また、元共産圏の国々ではGDPの21-30%が平均的で、より貧しい国では35-44%となっている。インフォーマル経済の規模は全世界で拡大している。フリードリヒ・シュナイダーはこう述べる。「いくつかの国のデータに基づいた研究から、裏の経済が規模と力を増している背景には、税負担や社会保障負担の増加、そして公的労働市場に対する規制強化という事情が存在していると考えられる。」

Economic Issues No. 30 -- Hiding in the Shadows : The Growth of the Underground Economy

 景気循環と経済成長の研究で名高いモーゼス・アブラモヴィッツは、1959年にこう述べている。「福祉の長期的な向上率が国内生産の成長率によって大まかにでも測れるという見方には極めて懐疑的にならざるを得ない」。だがそうした忠告にもかかわらず、経済学者や政治家を見ていると、GDPと福祉をあまり区別していないという印象を受けることが多い。「経済学者もそんなことは承知している」とウィリアム・ノードハウス、ジェームズ・トービンの両氏は言う。「しかし経済のパフォーマンスを表す指標として普段から国民総生産を使っているために、国民総生産を大々的に推進しているかのような印象を与えてしまうのだ」。

Nordhaus, William and Tobin, James, (1972), Is Growth Obsolete?, p. 1-80 in , Economic Research: Retrospect and Prospect, Volume 5, Economic Growth, National Bureau of Economic Research, Inc,

なぜ経済はどこかの時点で大きく見直されなくてはならないのか?その理由は既にいくつか述べたが、何より大きな理由は、経済が物質的なものから形のないものへと変化しているからだ。質の向上と選択肢の増加を考慮しつつGDPの数字を量と価格の要素に分解するのは、ただでさえ厄介な試みだった。質と多様化がサービスや製品の中心的な要素になった場合、そうした試みはもはや意味をなさないとも言える。

今のところ、私たちは統計の霧の中で手探りしている状態だ。将来の資源を食いつぶす持続不可能な成長というネガティブな側面についても、イノベーションや創造性というポジティブな側面についてもどちらも情報が足りていない。そしてGDPは、数々の欠陥はあれど、その霧を通して差し込む明るい光であり続けている。 

 

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作家のクライブ・ハミルトンが説くように、「買ったものと使うものの差が、すなわちムダ」だ。

現代の物質主義は、私たちの欲望をあおることによって成り立っている―決して満たされることがない欲望によって:「快楽の踏み車」と表現する。必死に働いてたくさんのものを手に入れても、常により良いものより大きなもの、より速いものが存在する限り、いつまでも満たされることがない。今あるものとほしいものの間の距離、つまり「不満の隙間」は、持ち物が増えれば増えるほど広くなる。言い換えれば、持てば持つほど、より多くを望むことになる。

1949年、ハミルトン・クレジット・コーポレーションのフランク・マクナマラは・・「現金が手元になくても勘定を支払える方法はないだろうか?」これがきっかけとなって、フランクは、初の個人向けクレジットカードを開発し、ダイナースクラブが生まれた。・・アメリカン・エキスプレスがリボルビング払いのサービスを開始した1959年だった。・・ジョセフ・ノセラ「アメリカ金融革命の群像」;こうして、アメリカ人はまだ手元にないお金を使うようになった。ついに持たざる者が持てる者になったのだ。

ヴァンス・パッカードが「浪費を作り出す人々」でいったように、「問題は、大衆を、機械と同じくらいの大食漢に仕立てることだった」

1854年に設立されたマサチューセッツ州のボストン市立図書館は、アメリカで初めての大規模な無料の、地方自治体が運営する図書館で、本を家に持ち帰って読むことが許された。・・図書館を一般市民に開放したのは、アンドリュー・カーネギーだった。

 モノの所有―実際の物理的なものの所有―はそれほど重要でなくなってきている。モノは単なる手段になりつつある。・・・ジェレミー・リフキン「今から25年後には、多くの企業や消費者にとって、所有というコンセプトは、限られた、古臭いものになるだろう」。

PSS=プロダクト・サービス・システム

SEX AND THE CITY・・・セントルイスから来たルイーズに質問・・・いつもバッグ・ボロー・オア・スティールから借りるの。ネットフリックスみたいな、会費制のサービスよ」・・・贅沢品のレンタルサービスは、「最新で最高のもの」を求める心の奥底にある欲望を満たし、同時に「クローゼットは衣服でいっぱいなのに着て行くものがない」といった、誰もが持っている今時の悩みを解消してくれる。

アンドリュー・カーネギーの圖書館建設の逸話と、ルイーズのルイ・ヴィトンの新作バッグのストーリーには、協同型消費のコンセプトに欠かせない共通の要素がある。それはどちらもアクセス、つまり、所有することなしに、モノを手に入れることだ。

今あるカーシェアのモデルは60年余り前から存在している。セファージとして知られる協同組合が1948年にスイスのチューリッヒでサービスを始めたのが最初だ。

全米自動車協会(AAA)が推定したところ、中型の自動車を持つ平均的アメリカ人とヨーロッパ人は、年収の約18%(およそ8000ドル)を自家用車に費やすという。これは、平均的世帯の衣服と医療と娯楽ををあわせた出費よりも多い。自家用車が一日平均23時間は車庫にあることを考えると、これはかなり大きな金額だ、平均的なドライバーは、カーシェアに変えるだけで月に600ドルも節約できる。・・・カリフォルニア大学バークレー校のイノベーティブ・モビリティ研究所の研究員、スーザン・シャヒーンによると、カーシェアに変えることで自動車の移動距離が44%短くなる(渋滞の解消につながる)という。また、ヨーロッパの調査は、カーシェアによって二酸化炭素の排出量がユーザー一人あたり50%も削減されることを示している。現在走っている6億台の内4分の1がカーシェアに変われば、その環境への累積効果ははかりしれない。

ジップカー・・・「セックスしている時間ー年に350時間。駐車場を探すのに使う時間ー420時間」「今日はBMWの日。それともボルボにしようか?」は、カーシェアの大きなメリット、つまり利便性とチョイスをアピールしている。

自動車や家電といった、苦境に立たされている多くの消費財メーカにとって最大の脅威は、PSSそれ自体ではなくPSSが人々の所有に対する観念を根本から変えることだ。

 インターネットユーザーの多くは、銀行や貸付機関などの大手金融機関へ行く前に、ソーシャルレンディングを考えるという。2006年に2億6900万ドルだったソーシャルレンディングによる貸出の残高は、2007年には6億4700万ドルになった。調査会社のガードナーは2010年の終わりまでには、この金額が58億ドル、つまり個人ローン市場の10%を占めると予測している。

デュバル「以前は買ったものや、身につけているブランドや、自動車や、テレビの下の詰め込んだ家電製品が、僕達のアイデンティティだった。今は、ブランドじゃなくて、自分たちがどんな行動を取るかや何を選択するか、自分の価値観や信条、そして自己表現が、僕らがどういう人間であるかを決めるんだ。」

製品を生み出す彼(カリム・ラシッド)の手法と考え方は、カリムのホームページで、『カリマニフェスト』として紹介されている。「今、デザインは問題解決の手段ではない・・・すべての産業が、美を気にかけるべきだーつまるところ、それが人間の集合的なニーズなのだから」・・・今でもデザインは、私達の日々の行動を決め、空間を構成し直し、消費者欲求に影響を与え続けている。但し、それはもはや物質主義や大量生産とは別の形でだ。デザイナーは、消費者や企業のニーズと、社会全体の利益の間の健全なバランスを見つけるという役目を担っているのだ。

 ますます多くの企業が、いわゆる「ライトプレイナー(クリエイティブな気質を持った人々)」や芸術系修士号の持ち主を採用している。クリエイティブで、コラボレーションを生むようなプロセスに精通していることが、消費者に向けたシェアのプロセスを理解し育てることに必要だと気づき始めたからだ。

 ポリットの言う「家庭用洗濯機の驚異的な増加」につながっていた。イギリスだけを見ても、1964年から92年の間に、過程での洗濯機の保有率は53%から88%に上がった。同じ時期に、全コインランドリーの半分が閉鎖された。家庭では洗濯機は週に平均4,5回使われ、個人の水使用量の21.7%が洗濯に使われ、毎年200万台の中古洗濯機が廃棄されていることを考えると、ポリットたちにとって、家庭用洗濯機の増加は懸念すべきことだった。・・・ブレインウォッシュは、1999年にジェフリー・ザレスが立ち上げたコインランドリーのサービスだ。

アンディ・ホブズボーム「オンラインの評判システムは、世界中の人々にとっての新しい信頼のメカニズムであり、現代の経済システムの新しい一歩となるだろう。」

 協調型消費は、販売量だけを基準にした生産中心の経済指標から、現在と未来の人々の幸せを反映した多面的な価値の指標への以降というより大きな動きの表れでもある。

スティグリッツ「いまこそ、経済的生産よりも、国民の幸福を測ることにより重点を置いた統計システムを導入すべきときだ」

"GDP has increasingly become used as a measure of societal well-being, and changes in the structure of the economy and our society have made it an increasingly poor one," Mr Stiglitz said. "It is time for our statistics system to put more emphasis on measuring the well-being of the population than on economic production."

Nicolas Sarkozy wants 'well-being' measure to replace GDP - Telegraph

・・・スティグリッツは交通渋滞を例に上げて、生産量の増加が生活の質の向上につながらないことを示している。

あとになってこの時代を振り返れば、人間の基本的な欲求―特に、昔の市場原理や協調行動が自然と満たしていた、コミュニティへの欲求、個人のアイデンティティへの欲求、承認の欲求、そして意味のある活動への欲求―を満たすようなサステイナブルなシステムを、一足とびに再構築した時代だったと思うに違いない。まさにそれは「革命」と呼べるものだ。社会が重大な危機に直面した時に、永遠に満たされない所有欲や浪費欲から抜け出して、みんなにとっていいことを再発見する方向へ地殻変動を起こし始めたのだ。

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GILT(ギルト) ITとファッションで世界を変える私たちの起業ストーリー

「何かを創造して、もっと大きな自分になりたい」

ギルトはショッピングを、他の人達と競争し、短時間で中毒性のあるスリルを味わう娯楽に変えるだろう。

アレクサンドラ、MBAを取得したら、もう金融業界には戻らずファッション業界に行く、と約束してくれ。きみの心がファッションにあるのははっきりしている

必死になって勉強してMBAを取ったのに、なぜ私はデパートの床を掃除しているのだろう?

大半のオンラインショップは、従来型の店舗をそのままオンラインに移行しただけだ。オンラインならではの利点、例えば娯楽性と競争で興奮が増すといったところを生かしていない。

イデアは安く、簡単に手に入る。だが、それを形にする実行力がビジネスの成功と失敗を分ける

悲観的、否定的な見方しかできない人と過ごすには人生は短すぎるし、ましてや一緒にビジネスを始めてもうまくいかない。

市場でスピードがどれほどモノを言うか、また一番乗りをすることいどれだけ大きなメリットがあるか

私にとっての衝撃は、高級ブランド業界がぜひとも関心をもつべき問題を、あなたたちがはっきりさせてくれたこと。シーズンの売れ残り商品をどうしたらいいのか、という問題ね。

起業家にとってきわめて重要な事は、トップクラスの潜在能力がある人材が夢中になって働ける環境を作ること

ギルトがほしいのは、闘志と熱い情熱を秘め、人生の喜びをたくさん知っている人です。

ブランドを確立するためには、消費者の目に触れるすべてが重要になる。サイトのビジュアルはもちろん、名刺、パッケージからカスタマーサポートのメールの文章まで細心の注意を払うべきだ。リアは、ビジュアルをおろそかにしていいものなど一つもないと主張した。

小売業で何はさておいても重視される一つが、店舗のロケーション、つまり立地である。立地が成功を極める、といっていいくらいだ一流ブランドが、大枚をはたいてもティファニーやバーグドルフ・グッドマンと五番街で軒を並べたがる理由は立地にある。私達は実店舗のこの鉄則を、ギルトにも応用していくつもりだった。

スーザンがリーダーとして果たす役割の中で重要と考える一つが、エンジニアだけでなく従業員全員が、懲罰を恐れずにリスクを取ることが出来る『安全空間』をつくることだ、と言う。誰が考えても失敗する愚かなリスクを冒すことは、議論の余地無く良い方法ではない。でも、自分の頭で考えなさいということはつまり、リスクを取りなさい、そして自分で決断を下しなさい、ということ。そのためには、失敗してもいいと認めて、失敗を責めないこと。私が関わったビジネスで、何もかもうまくいきました、なんてことは一つもない。ビジネスリーダーにとって必要なのは、失敗する確率より成功率が上回るようにさせ、時間をかけて成功率を向上させること。過去の仕事でほとんど失敗をしたことがない人は、リスクを取らずに確実なことしかやって来なかった傾向がある。

GILT(ギルト) ITとファッションで世界を変える私たちの起業ストーリー

GILT(ギルト) ITとファッションで世界を変える私たちの起業ストーリー

 

 

やり抜く力 GRIT(グリット)――人生のあらゆる成功を決める「究極の能力」を身につける

要するに、どんな分野であれ、大きな成功を収めた人たちには断固たる強い決意があり、それがふたつの形となって現れていた。第一に、このような模範となる人達は、並外れて粘り強く、努力家だった。第二に、自分が何を求めているのかをよく理解していた。決意だけでなく、方向性も定まっていたということだ。・・・「情熱」と「粘り強さ」・・・つまり、「グリット」(やり抜く力)が強かったのだ。

「やり抜く力」と「才能」は別物・・・SATのスコアとやり抜く力は逆相関の関係にある・・・才能があっても、その才能を生かせるかどうかは別の問題

 一般的に数学は、数学的な才能のある生徒ほどよく出来て、数学の苦手な生徒との差が著しいと考えられている。・・・私は「才能」に目を奪われていたのだ。・・・「才能には生まれつき差がある」などと決めつけずに、努力の重要性をもっと考慮すべきなのでは?・・・数学が苦手な生徒たちも、自分が本当に興味を持っていることを話すときは、びっくりするほど頭の回転が早くて、生き生きとしていることだった。

ゴルトンは結論として、偉業を成し遂げた人物には3つの特徴があると述べた。すなわち、稀有な「才能」と、並外れた「熱意」と、「努力を継続する力」をあわせ持っていることだ。その本の最初の50ページを読んだダーウィン、ゴルトンに手紙を書き、不可欠な特徴の中に「才能」が含まれていることに驚きを示した。「ある意味、君のおかげで考えを改めたと言えるだろう。私は常々、愚か者でもない限り、人間の知的能力に大した差はない、差があるのは熱意と努力だけだ、と主張してきたのだから。だがやはり、もっとも重要なのはそのふたつだと私は考えている」

伝記作家たちは総じて、ダーウィンが人間離れした知能の持ち主だったとは言っていない。たしかに知能は高かったが、なにごとも瞬時に洞察を得るような鋭いタイプではなく、むしろ、コツコツとじっくり取り組むタイプだったようだ。・・・「頭のいい人の中には、直観的な理解力が卓越している人がいるが、私にはそうした能力はない」「私の場合、純粋に抽象的な概念について延々と思索する力に乏しい」そして、自分は優秀な数学者や哲学者にはなれなかっただろうと述べている。さらには、記憶力も平均以下だったという。「記憶力があまりにも低いせいで、ほんの数日でも、詩の一行はおろか日付さえ覚えていられないほどだ」・・・「私が普通の人より優れている点は、普通なら見逃してしまう様なことに気付き、それを注意深く観察することだろう。観察にかけても、事実の集積にかけても、私は非常に熱心にやってきた。さらに、それにもまして重要な事は、自然科学に対して尽きせぬ情熱を持ち続けていることだ。」・・・彼は突き止めたいと思っている問題は、全て頭の片隅に止めておき、少しでも関連のありそうなデータが現れたら、いつでもすぐにその問題と付き合わせることが出来た。

ハーバード大学教授のウィリアム・ジェイムズ・・・「我々の潜在能力は、半分しか目覚めていない。薪は湿って燃えず、通気は妨げられている。我々は精神的にも肉体的にも、持っている能力のごく一部しか利用していない。」・・・「人間は自分の持っている能力をほとんど使わずに暮らしている。様々な潜在能力があるにも関わらず、ことごとく生かせていない。自分の能力の限界に挑戦することもなく、適当なところで満足していしまう。」・・・「人間は誰でもはかり知れない能力を持っているが、その能力を存分に生かし切ることが出来るのは、ごくひとにぎりの並外れた人々にすぎない」

1907年に書かれたこれらの言葉は、今も昔も変わらぬ真実だ。それなのになぜ私達は、これほど「才能」を重要視するのだろうか?私たちは様々な能力を持っており、いくらでも伸ばす余地があるのに、なぜすぐに「能力の限界」だと思ってしまうのだろうか?将来何を成し遂げられるかは、努力ではなく才能で決まると考えてしまうのはなぜだろう?

成功するためには、才能と努力のどちらがより重要だと思いますか?」アメリカ人の場合、努力と答える人は才能と答える人のおよそ2倍だ。・・・「新しい従業員を雇うとします。知的能力が高いことと、勤勉であることでは、どちらのほうが重要だと思いますか?」この場合、「勤勉であること」と答える人は、「知的能力が高いこと」と答える人の5倍近くにものぼる。・・・心理学者のチアユン・ツァイがプロの音楽家を対象に実施したアンケート調査の結果とも一致している。音楽家たちも、同様の質問に対してほぼ例外なく、「生まれながらの才能」よりも「熱心に練習すること」のほうが重要だと回答した。しかし、ツァイがある実験でもっと間接的な方法によって人々の心理的傾向を調査したところ、正反対の結果が表れた。・・・ある一人のピアニストが、同じ曲の別の部分を演奏・・・2名のピアニストの紹介の仕方にあった。ひとりは「才能豊かで、幼少時から天賦の才を示した」とある一方、もうひとりは「努力家で、幼少時から熱心に練習し、粘り強さを示した」とあった。するとこの実験では、先ほど紹介したアンケート調査の結果(才能よりも努力が重要)とは矛盾する結果が出た。音楽家らは、「天賦の才」に恵まれたピアニストのほうが、プロの演奏家として成功する確率が高いと評価したのだ。・・・音楽家を対象に行なった実験と同様に、今回もやはり天才型、つまり「生まれつき才能のある人」のほうが、起業家として成功する確率が高いと評価され、事業計画の内容についても高い評価を獲得した。・・・私たちは「才能」と「努力」に関しては、二面性を持っていることが明らかになった。私達が重要だと行っていることと、心の底でもっと重要だと思っていることは、実際には異なっている。これではまるで、「恋人の外見なんて気にしない」などと言っておきながら、実際にデートの相手を選ぶとなったら、「いい人」よりも「かっこいい人」を選んでしまうのと同じだ。・・・私たちの選択を見れば、そのような偏見を持っているのは明らかだ。

 『ウォーフォータレント』では、競争を勝ち残る企業は、最も能力の高い人材を積極的に昇進させる一方で、能力の低い人材は容赦なく切り捨てるべきだと言っている。・・・そのようなマッキンゼーのビジネス哲学を「人材育成競争(ウォーフォータレント)」と呼んだ・・・マッキンゼーの推奨どおりに人材を扱った実例として登場した企業は、同書の刊行後、いずれも業績が低迷・・・マルコム・グラッドウェルも批判・・・マッキンゼーが提唱した「精鋭主義」を実践した代表例がエンロンだ。・・・「誰よりも優秀だと証明してみせろ」と従業員たちを煽り立てることで、ナルシストの温床が出来上がり、信じがたいほど自惚れが強いと同時に、つねに「自分の能力を見せつけなければ」という強い不安と衝動に駆られる従業員が増えすぎたのだ。短期間で結果を出すことを何よりも重視し、長期的な学習や成長を妨げる企業文化だった。・・・ジェフリー・スキリング・・・エンロンの社内では、この評価制度は「ランクアンドヤンク(昇進と処罰)」と呼ばれていた。スキリングはこれを、エンロンでもっとも重要な経営戦略の一つと考えていた。しかしこれこそが、狡猾なものばかりが得をして、正直者は馬鹿を見るような職場環境を作り出したとも言える。

 才能は悪いものなのだろうか?人間は誰でも同じように才能があるのだろうか?答えはいずれもノーだ。どんなスキルであれ、学習曲線を上昇するのが早いのは良いことだ。そして、そのスピードがとりわけ速い人達がいるのも事実だ。では、生まれつき才能のある人を努力家より優遇してはいけないのだろうか?・・・「才能」に対するえこひいきが弊害をもたらす可能性がある最大の理由は単純で、「才能」だけにスポットライトを当てることで、他のすべてが影に覆われてしまう危険性があるからだ。「やり抜く力」を含め、実際には重要な他の要素が全て、どうでもいいように思えてしまう

才能を過大評価すると、他のすべてを過小評価してしまうことになる。極端な場合には、(才能⇒達成)と思いかねない。・・・私自信も、気がつけば同じようなことをしている。あっと驚くようなすごい人を見るとつい「天才だ!」と思ってしまうのだ。全く情けない―その裏にどれ程の努力があるか、わかっているはずなのに。・・・「才能」に対する無意識の先入観は、どうしてこうも根深いのだろう?・・・一流の人達が行っている当たり前のこと・・・人間のどんなにとてつもない偉業も、実際は小さなことをたくさん積み重ねた結果であり、その一つ一つは、ある意味、「当たり前のこと」ばかりだということ。・・・ハミルトン・カレッジの社会学者、ダニエル・F・チャンブリス・・・「最高のパフォーマンスは、無数の小さなスキルや行動を積み重ねた結果として生み出される。それは本人が意識的に習得する数々のスキルや、試行錯誤する中で見出した方法などが、周到な訓練によって叩き込まれ、習慣となり、やがて一体化したものなのだ。やっていることの一つ一つには、特別なことや超人的なところは何もないが、それらを継続的に正しく積み重ねていくことで生じる相乗効果によって、卓越したレベルに到達できる」しかし、人は「当たり前のこと」では納得しない。・・・「なんか地味だよね、もうちょっと面白みがないと・・・」・・・「私たちは優秀なアスリートを見ると、すぐに才能があると決めつけてしまう。それこそが一流のアスリートの証だとでもいうように」・・・常人の域をはるかに超えたパフォーマンスに圧倒され、それが凄まじい訓練と経験の積み重ねの成果であることが想像できないと、何も考えずにただ「生まれつき才能がある人」と決めつけてしまうのだ。

肝心なのは、偉業は達成可能ということです。偉業というのは、小さなことを一つずつ達成して、それを無数に積み重ねた成果だから。一つ一つのことは、やれば出来ることなんです。・・・ニーチェ・・・「芸術家の素晴らしい作品を見ても、それがどれほどの努力と鍛錬に裏打ちされているかを見抜ける人はいないそのほうがむしろ好都合と言っていい。気の遠くなるような努力の賜物だと知ったら、感動が薄れるかもしれないから」・・・「我々の虚栄心や利己心によって、天才崇拝にはますます拍車がかかる。天才というのは神がかった存在だと思えば、それに比べて引け目を感じる必要がないからだ。『あの人は超人的だ』というのは、『張り合っても仕方ない』という意味なのだ」・・・偉業を達成する人々は、「一つのことをひたすら考え続け、ありとあらゆるものを活用し、自分の内面に観察の目を向けるだけでなく、他の人々の精神生活も熱心に観察し、いたるところに見習うべき人物を見つけては奮起し、飽くなき探究心を持ってありとあらゆる手段を利用する」。・・・ニーチェは偉業を達成した人々のことを、何よりも「職人」と考えるべきだと訴えている。「天分だの、天賦の才だのと言って片付けないで欲しい!才能に恵まれていない人々も、偉大な達人になるのだから。達人たちは努力によって偉業を成し遂げ、天才になったのだ。・・・彼らは皆、腕の立つ熟練工の如き真剣さで、まずは一つ一つの部品を正確に組み立てる技術を身につける。そのうえでようやく思い切って、最後には壮大なものを創り上げる。それ以前の段階にじっくりと時間をかけるのは、輝かしい完成の瞬間よりも、むしろ細部をおろそかにせず丁寧な仕事をすることに喜びを覚えるからだ。」

「才能」とは、努力によってスキルが上達する速さのこと。いっぽう「達成」は、習得したスキルを活用することによって表れる成果のことだ。・・・才能すなわちスキルが上達する速さは、間違いなく重要だ。しかし両方の式を見れば分かる通り、努力は一つではなく二つ入っている

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ウォーレン・マッケンジーという著名な陶芸家・・・「私は自分にできる限り、最高に心が踊るものを作ろう、人々の家によく似合うものを作ろうと、努力しているんです」・・・最初の1万個は難しいんだよ。それを超えると、少し分かってくる

現代アメリカ文学における偉大な語り手・・・ジョン・アーヴィングはこう語る。「ほとんどの作品は、最初から最後まで書き直した。自分の才能のなさを骨身にしみて感じた」アーヴィングは重度の読字障害(Dyslexia)・・・「文字を指でたどりながら読むんだ。僕もそうだったし、実は今でもそうなんだ。自分で書いた文章でない限り、僕も読むのが遅いんだよ。」・・・「何かを本当にうまくなりたいと思ったら、自分の能力以上に背伸びをする必要がある。僕の場合は、人の倍の注意力が必要だとわかった。でも、そのうち分かってきたんだ。同じことを何度も繰り返すうちに、以前はできそうになかったことが、当たり前のように出来るようになる。だがそれは、一朝一夕にはいかない」・・・「小説を書く場合、執筆のペースが遅くても、別に誰にも迷惑はかからないからね。いくらしつこく書き直したってかまわない。」

才能とスキルは別物だとはっきり認識する必要がある」と、俳優のウィル・スミスは言っている。「だけど、一流になりたい、自分には夢がある、成し遂げたいことがあるんだ、なんて言っている人達に限って、そのことをちゃんと理解していない。たしかに、才能は生まれつきのものだ。だがスキルは、ひたすら何百時間も何千時間もかけて身につけるしかない

「そして、これが一番重要なこと。やり抜く力は、自分にとってかけがえのないことに取り組んでこそ発揮されるの。だからこそ、ひたむきに頑張れるのよ」・・・「そう、自分が本当に好きなことに打ち込むの。でも、好きになるだけじゃだめなのよ。愛し続けないとね」

「やり抜く力」と言うのは、一つの重要な目標に向かって、長年の努力を続けることだ。・・・やり抜く力が非常に強い人の場合、中位と下位の目標のほとんどは、何らかの形で最上位の目標と関連している。それとは逆に、各目標がバラバラで関連性が低い場合は、「やり抜く力」が弱いと言える。・・・夢を実現するための中位や下位の目標を具体的に設定することが出来ない。そのため、目標がピラミッド型の構造になっていない。最上位の目標がぽつんと浮かんでいるだけで、それを支える中位や下位の目標がまったくないのだ。・・・ガブリエル・エッティンゲン・・・「ポジティブな空想」と呼んでいる。・・・もっと多いのは、中位の目標が乱立するばかりで、それを一つに束ねる最上位の目標が存在しないケースだ。・・・目標のピラミッドが全体として一つにまとまり、各目標が関連性をもって、整然と並んでいる状態が望ましいのだ。・・・「時間とエネルギーは限られている」という事実をしっかりと認識することなのだ、と。

「何をやるかより、何をやらないかが大切だ」とよくいっている。一人の科学者の一生の研究時間なんてごく限られている。研究テーマなんてごまんとある。ちょっと面白いなという程度でテーマを選んでたら、本当に大切なことをやる暇がないうちに一生が終わってしまうんですよ。だから、これは自分はこれが本当に重要なことだと思う。これなら一生続けても食いはないと思うことが見つかるまで研究を始めるなといってるんです。

利根川進

小さな計画は立てないように、そういうものは人の魂を揺り動かすような魔力はないのだから。

フランク・ロイド・ライト

成功するには 「やるべきこと」を絞り込むとともに、「やらないこと」を決める必要がある。なるほど、そのとおりだ。「やらないこと」をもっとしっかりと決めなければ。

「なんでも必死にがんばる」のは意味がない

ザ・ニューヨーカー誌の漫画家として著名なロズ・チャースト・・・ベテランの彼女でさえ、作品の不採用率は90%だそうだ。・・・漫画編集者、ボブ・マンコフに電話をして、不採用率90%と言うのは普通なのか訊いてみた。・・・「ロズ・チャーストは、ちょっと例外でね」・・・「ほとんどの漫画家の場合、ボツになる確率はもっと高いですよ」・・・不採用率は96%異常だ。「ウソでしょう!そんなに確率が低くても、めげずに挑戦する人なんているんですか?」・・・「何度やってもだめだったら、他のやり方を試すこと」・・・ピラミッドの下位にある重要度の低い目標には、まさにそのような態度で取り組む必要がある。

 若手を指導する立場になったマンコフは、漫画家志望者には「作品は10単位で持ち込むように」とアドバイスをしている。「漫画も人生もそうだけど、9割方はうまく行かないからね。」

実際、重要度の低い目標をあきらめるのは悪いことではなく、むしろ必要な場合もある。他にもっとよい実行可能な目標があるなら、一つの目標だけにいつまでも固執するべきではない。・・・しかし、重要度の高い目標の場合は、安易に妥協するべきではない。

道を間違っているのなら、走ったって仕方がないじゃないか。

(ドイツのことわざ)

ジョン・スチュアート・ミル・・・幼少時の推定知能指数は190だった・・・ニュートン・・・130だった。・・・コックスは、「偉大な功績を収めた歴史上の人物たちは、一般の人々に比べて知能が高い」・・・これらの人々を「功績の偉大さ」で比較した場合、知能指数の高さはほとんど関係なかったのだ。・・・功績の偉大さで最も高いレベルに位置する天才たちの場合、幼少時の平均知能指数は146だった。いっぽう、功績の偉大さで最も低いレベルに位置する人々の場合、幼少時の平均知能指数は143だった。・・・コックスの研究標本において、知能と功績の関連性はきわめて低かったといえる。・・・偉人たちと一般の人々の決定的な相違点は、次の4つにまとめられる。・・・コックスは4つの指標を「動機の持続性」と名付けた。

  1. 遠くの目標を視野に入れて努力している。晩年への備えを怠らない。明確な目標に向かって努力している。
  2. 一旦取り組んだことは気まぐれにやめない。気分転換に目新しさを求めて新しいものに飛びつかない。
  3. 意志力の強さ、粘り強さ。いったん目標を決めたら守り抜こうと心に誓っている。
  4. 障害にぶつかっても、諦めずに取り組む。粘り強さ、根気強さ、辛抱強さ。

 知能のレベルは最高ではなくても、最大限の粘り強さを発揮して努力する人は、知能のレベルが最高に高くてもあまり粘り強く努力しない人より、はるかに偉大な功績を収める。

「情熱に従って生きよう」学位授与式のスピーチで任期のテーマだ。・・・半数以上のスピーカーは、「自分が本当に好きなことをするのが大切だ」と訴えていた。・・・「ニューヨーク・タイムズ」のクロスワードパズル担当のベテラン担当者、ウィル・ショーツ・・・「私から皆さんへのアドバイスは、自分が一番楽しいと思うことを見つけて、それを仕事にすることです。人生は短いのです。情熱に従って生きましょう」ジェフ・ベゾスプリンストン大学の卒業生たちに、・・・「よく考え抜いた結果、情熱に従って生きるために、険しい道のりを選んだのです」「なにをするにしても、自分のやっていることに情熱を持っていない限り、長続きはしないことがわかるでしょう」

メガ成功者たちは必ず「同じこと」を言う

「何度も聞いたのは『この仕事が大好きだ』という言葉です。普通の人も言いますが、もっとあっさりしています。・・・『僕は本当にラッキーだよ。朝、目が冷めて、今日も仕事ができると思うとうれしいんだ。・・・次のプロジェクトに着手するのが待ち遠しい』。彼らは、やらざるを得ないからとか、金銭面で魅力的だからとか、そんな理由で仕事をしているわけじゃないんです」

「堅実がいちばん」という考え方を説く人

「自分が本当に好きなことを見つけたい」などと理想を追い求めたりすれば、貧困と失望が待ち受けているだけだと釘を刺された。

「好きなことを仕事にする」は本当にいいのか?

第一に、人は自分の興味にあった仕事をしている方が、仕事に対する満足度が遥かに高いことが、研究によって明らかになった。これは約100件もの研究データをまとめ、 ありとあらゆる職種の従業員を網羅したメタ分析による結論だ。・・・自分の興味にあった仕事をしている人は、人生に対する全体的な満足度が高い傾向にあることがわかった。

第二に、人は自分のやっている仕事を面白いと感じているときのほうが、業績が高くなる。これは過去60年間に行われた、60件の研究データを集計したメタ分析による結論だ。・・・これらの科学的研究の結果は、学位授与式のスピーチに込められた叡智を裏付けている。何をするにしても、その人がどれくらい成功するかを左右する「決定投票」は、その人がその仕事を「どれだけ切望し、どれだけ強い情熱と興味を持っているかにかかっている」のだ。

どの人にも、あるとき突然、天から与えられた「情熱」に目覚めた瞬間があったに違いないと思っていた。・・・人生で何をしたいのか、さっぱりわからない。それがあるとき突然、はっきりと分かる。自分が何をするために生まれてきたのか、悟る時が来るのだ、と。ところが、実際にインタビューで話を聞いてみると、ほとんどの人は「これだ」と思うものが見つかるまでに何年もかかっており、その間、様々なことに興味を持って挑戦してきたことがわかった。今は寝ても覚めても、そのことばかり考えてしまうほど夢中になっていることも、最初から「これが自分の天職だ」と悟っていたわけではなかったのだ。・・・本当に好きな仕事に打ち込んでいる人を見ると、うらやましくなってしまうことがあるかもしれない。だが、そもそもそういう人は、出発点からして自分とは違うのだろう、などと思うべきではない。そういう人も、一生をかけてやりたいものが見つかるまでには、かなりの時間がかかった場合が多い。

おとなになったら何をしたいかなど、子供の頃には早すぎてわからない。・・・興味は内省によって発見するものではなく、外の世界と交流する中で生まれる。興味を持てるものに出会うまでの道のりは、すんなりとは行かず、回り道が多く、偶然の要素も強いかもしれない。・・・・ジェフ・ベゾス「ありがちなことだが、無理やり興味を持とうとするのは大きな間違いだ」・・・第三に、興味を持てることが見つかったら、今度はさらに長い時間をかけて、自分で積極的に掘り下げていかなければならない。最初に興味を持ったきっかけの後に、何度も繰り返し、さらに興味をかき立てられる経験をする必要がある。・・・マイク・ホプキンス「ひとつのことを調べていくと、そのつながりで、どんどん新しい情報が手に入りました。」

「やり抜く力の半分は、粘り強さです」・・・「でも誰だって、自分が本当に面白いと思っていることでなければ、辛抱強く努力を続けることはできません」というと、保護者はうなずくのをやめたり、首をかしげたりする。・・・エイミー・チュア「ただ好きだからといって、上達できるとは限らない。努力をしない限り、上達するはずがないのだ。だから多くの人は、好きなことをやっていても全然うまくならない」・・・自分の興味があることを掘り下げるにしても、練習に励み、研究を怠らず、つねに学ぶなど、やるべきことは山ほどある。だからこそ言っておきたいのは、好きでもないことは、なおさらうまくなれるはずがないということだ。

ベンジャミン・ブルーム・・・スキルは3つの段階を経て進歩し、各段階につき数年を要する・・・興味のあることを見つけて掘り下げていく段階を、ブルームは初期と呼んでいる。この初期に励ましを受けるのは極めて重要だ。・・・優しくて面倒見のよい指導者(メンター)を得ることだ。「そのような指導者たちの最大の特長は、最初の学びを楽しく、満足感の得られるものにしたことである。入門のごく基礎的なことは、ほとんど遊びを通して学ぶ。最初のうちは学びというより、ゲームのようなものだ」また初期には、ある程度の自主性が尊重されることも大切だ。

スポーツ心理学者のジャン・コティは、この最初の段階でのびのびと、遊びを通して興味を持ち、さらに興味を深めておかないと、将来、悲惨な結果を招くおそれがあることを突き止めた。・・・子供の頃から様々なスポーツを試した後に一つの競技に的を絞ったプロのアスリートたちは、全体的に長期間にわたって成績がよい・・・早い時期に様々なスポーツに触れることで、自分がどのスポーツに向いているかが分かりやすくなるのだ。・・・いきなり専門分野でみっちりトレーニングを受けた選手たちは、経験の浅い選手たちと競争した場合、最初のうちは明らかに有利だ。しかしコティの研究では、そのような選手たちは負傷したり、燃え尽き症候群に陥ったりする確率が高いことがわかっている。・・・エキスパートと初心者では動機づけの方法が異なって当然・・・初心者のうちにあまり厳しくすると、せっかく芽生えた興味が台無しになってしまう。一度そうなったら、取り返しはつかないと思ったほうがいい。

ジェフ・ベゾスの母ジャッキー・・・子供の興味に合わせていきました。子どもたちが自分の好きなことを思いきりやれるようにしてあげるのが、私の責任だと思っていました。 

エキスパートほど「知れば知るほど、わからないことが出てくる」ということが多い・・・サー・ジョン・テンプルトン(分散型投資信託を世に広めた伝説の投資家)ジャ。慈善基金の設立にあたって「無知の知は学ぶ意欲を高める」をモットーにした

初心者にとっての目新しさとベテランにとっての目新しさは、別物だということだ。初心者は初めて経験することばかりでなんでも目新しく感じるが、ベテランが目新しいと感じるのは微妙な差異(ニュアンス)なのだ。「たとえばモダンアートなら、初心者にはどの作品も同じようにみえるかもしれませんが、エキスパートにはそれぞれの違いがよく分かる。初心者にはニュアンスを見分けるのに必要な背景知識がないため、単に色や形を見ているだけで、内容はよく分かりません」

Will Shortz - Wikipedia


  • まずは好き嫌いをはっきりさせて、そこから積み上げていこう
  • とりあえずいいと思ったことをやってみる
  • うまく行かなかった場合は、取り消したってかまわない

発見の次は発展の時期だ。・・・興味を掘り下げるには、時間がかかる。つねに疑問を持って答えを探そう。答えが見つかると、さらに多くの疑問へとつながっていく。どんどん掘り下げていこう。・・・ウィリアム・ジェイムズ「新しきものに古きものを見出したとき、人は注意をひかれるーあるいは古きものに、さりげない新しさを見出したときに」

エキスパートたちの練習法

  1. ある一点に的を絞って、ストレッチ目標(高めの目標)を設定する・・・ヴィオラの巨匠、ロベルト・ディアス「アキレス腱を見つけること―その曲の中でうまく出来ない部分を洗い出して、克服しなければならない」
  2. しっかりと集中して、努力を惜しまずに、ストレッチ目標の達成を目指す。・・・エキスパートたちは、自分のパフォーマンスが終わるとすぐ、熱心にフィードバックを求める。・・・ウルリック・クリステンセンは医師から起業家へと転身した人物で、「意図的な練習」の原則に基づいて、「適応学習」のソフトウェアを開発した。
  3. 改善すべき点がわかったとは、うまく出来るまで何度でも繰り返し練習する。 

意図的な練習・・・人間の持つどんなに複雑でクリエイティブな能力も、それを構成するしスキルは細分化することができる。そして、一つ一つのスキルは、練習をしつこく積み重ねることによって習得することができる。・・・ベンジャミン・フランクリンが文章力を培った方法は、まさに「意図的な練習」・・・愛読誌「スペクテイター」に掲載されたエッセイを精選し、何度も繰り返し読みながらメモ・・・原稿を引き出しの奥にしまい込み、原稿を見ずにそれらのエッセイを書いて見た。自分が書いた原稿とオリジナルの原稿を照合し、間違った部分を見つけて修正した。

「才能の発達に関する研究によって、どんな分野であれ複雑なスキルを習得するには、約1万時間の練習が必要であることがわかっている。(中略)そうした練習は非常に単調で、つらく感じる場合が多い。だがそのような場合が多いとは言え、練習はいかなる場合も辛いものだと決まっているわけではない」

「非常な努力を要するとしても、これは努力する価値のあることで、頑張ればきっと習得できる。それに学んだことを実践するのは、自分という人間を表現することにもなり、願望の実現にもつながる。そうおもえば、つらくはないはずだ。」

意図的な練習

  • 明確に定義されたストレッチ目標
  • 完全な集中と努力
  • すみやかで有益なフィードバック
  • たゆまぬ反省と改良

オリンピックのボート競技金メダリスト、マッズ・ラスムッセンは、日本のチームに招かれて訪日した際、選手たちの練習時間のあまりの長さに衝撃を受けた。そして、「ただ何時間も猛練習をして、自分たちを極度の疲労に追い込めばいいってものじゃない」・・・周到に考えた質の高いトレーニング目標・・・長くても1日数時間が限度だ。

競泳選手のローディ・ゲインズ・・・練習に行くのを楽しいと思ったことは一度もないし、練習中はもちろん楽しくなかった。それどころか、朝の4時とか4時半にプールに向かうときや、あまりにも練習が辛いときは、『ここまでする価値があるのか?』なんて考えが、頭をよぎったこともありました・・・水泳が大好きだったから。競争は胸が躍るし、トレーニングの成果が現れたときも、調子がいいときも、レースで勝ったときも、最高の気分になる。遠征も好きだし、仲間たちにも会える。だから練習は嫌いだったけど、やっぱり水泳は大好きだったんです。・・・マッズ・ラスムッセン・・・努力あるのみ。楽しくなかろうが、とにかくやるべきことをやるんだ。だって結果を出したときは、信じられないほどうれしいんだから。・・・自分のスキルを上回る目標を設定しては、それをクリアする「練習」を何年のも続ける。それによって挑戦すべき課題に十分見合ったスキルを身に着けた結果として、フローを体験すると考えれば、エリート選手が見事なパフォーマンスを軽々とこなしているようにみえるのもうなずける。見えるだけでなく、ある意味では実際にそうなのだ。

 「知的能力に関する考え方」

  • 知的能力は人の基本的な性質であり、ほとんど変えることは出来ない。
  • 新しいことを学ぶことは出来るが、知的能力自体を向上させることはできない。
  • もともとの知的能力のレベルにかかわらず、かなり向上させることが出来る。
  • 知的能力は常に大きく向上させることが出来る。

 ドウェックによれば、最初の二つのコメントに賛成し、跡の二つのコメントに反対した場合、あなたの考え方は「固定思考」と考えられる。それとは逆だった場合は、あなたの考え方は「成長思考」と考えられる。

「成長思考」・・・人間は買え割れる、成長できる、と信じている人たちは、チャンスと周囲のサポートに恵まれ、「やればできる」と信じて一生懸命努力すれば、自分の能力をもっと伸ばすことは可能だと考えられる。それに対し、人はスキル(自転車に乗る、セールストークを覚えるなど)を習得することは出来るが、好きを習得するための能力、すなわち「才能」は、鍛えて伸ばせるものではないと考える人達もいる。・・・固定思考・・・挫折の経験を、自分には能力がない証拠だと解釈してしまうのだ。それに対し、「成長思考」の人は、努力すればきっとうまくできると信じている。

脳の神経回路には可塑性がある・・・あなたなら逆境を乗り越えられる、と言われるだけじゃダメなんだ。脳の神経回路の再配線が起こるには、下位の抑制領域と同時に、制御回路が活性化する必要がある。それは実際に逆境を経験して、それを乗り越えたときに起こることなんだ。・・・『自分がこうすれば、きっとこうなるはずだ』と思えるようにならないといけない

愛情ゆえの厳しさの根底にあるのは、無私無欲の思いです。それが一番重要だと思います。本当は親の身勝手なのに、お前のために厳しくするのだと言っても、子供はちゃんと嗅ぎつけますよ。私の両親は、ありとあらゆる方法で伝えてくれました。『お前が自分の道で成功するのを、楽しみにしているよ。自分たちのことなど二の次だ』と

課外活動を積極的に行っている子どもたちのほうが、課外活動をあまり行っていない子どもたちよりも、学校の成績が良く、自尊心も高く、問題を起こすことも少ないなど、様々な点で優れていることを示す研究は、枚挙にいとまがない。

ダニエル・チャンブリス・・・「偉大な競泳選手になるには、偉大なチームに入るしかないんです」・・・チーム特有の文化と選手との間には、互恵的な効果が生じる・・・人格形成の対応原則・・・たとえば私自身は、あまり自分に厳しい方じゃない。しかし周りのみんなが論文を書いたり、講演を行ったり、いつも猛烈に仕事をしているから、こちらも自然とそうなる。やはり、人は周りのやり方に合わせるようにできているんです。・・・やり抜く力を身につけるにも、大変な方法と楽な方法があるということでしょう。大変な方法は独力でがんばること。楽な方法は同調性を利用するんです。集団に溶け込もうとする人間の基本的な欲求をね。やり抜く力の強い人達に囲まれていると、自分も自然とそうなるんです

 まとめ

私たちが人生のマラソンで何を成し遂げられるかは、まさに「やり抜く力」―長期的な目標に向けた情熱と粘り強さ―にかかっているからだ。やたらと才能にこだわっていると、この単純な真実を見失ってしまう。・・・・自分自身で内側から伸ばす・・・興味を掘り下げる、自分のスキルを上回る目標を設定してはそれをクリアする練習を習慣化する、自分の取り組んでいることが、自分よりも大きな目的とつながっていることを意識する、絶望的な状況でも希望を持つことを学ぶ・・・外側から伸ばす・・・親、コーチ、教師、上司、メンター、友人など、周りの人々が、個人のやり抜く力を伸ばすために重要な役目を果たす。

始めたことは何でもかんでも最後まで続けようとすると、もっと自分に合っていることを始める機会を見失ってしまう可能性が高い。なにかをやめて、もっと簡単なことを始める場合もあるかもしれないが、自分にとってもっとも重要なことにだけは、しっかりと関心を持ち続けるようにしたい。

人は誰でも限界に直面する―才能だけでなく、機会の面でもだ。しかし実際には、私達が思っている以上に、自分で勝手に無理だと思いこんでいる場合が多い。何かをやって失敗すると、これが自分の能力の限界なのだと思ってしまう。

  • 一歩ずつでも前に進む
  • 興味のある重要な目標に、粘り強く取り組む
  • 厳しい練習を毎日、何年間も続ける
  • 七回転んだら八回起き上がる

わかりますよ。ぼくもこの仕事が大好きですから。でも僕の知り合いでも、40代になっても仕事に打ち込んでいない人があまりに多くて驚きますよ。人生にどれだけ大きなものが欠けているか、きっとわかっていないんでしょうね。 

やり抜く力 GRIT(グリット)――人生のあらゆる成功を決める「究極の能力」を身につける

やり抜く力 GRIT(グリット)――人生のあらゆる成功を決める「究極の能力」を身につける

 

 

悪いヤツほど出世する

2012年ライトマネジメント仕事満足度調査・・・ 全世界で約3万人の被用者を調査した結果、国によってばらつきはあるが、28~56%が今の仕事を辞めたいと答えたという。・・・ギャラップ2012年調査・・・アメリカでは仕事に意欲的な被用者は全体の30%にすぎないという。それどころか、20%は仕事を怠け、職場の雰囲気を悪くし、会社の評判を落としている。また142カ国で行った調査によれば、アメリカ以外の状況はもっと悪い。仕事に意欲的な労働者はわずか13%で、24%が怠けている。・・・経済のあり方はがらりと変わったにも関わらず、やる気のある社員の比率はほとんど変わっていないという。・・・部下が上司に不満をいだいていることだ。・・・2012年夏にパレード誌・・・アメリカ企業の被用者の35%が、直属の上司の解雇と引き換えなら昇給を諦めてもいいと答えている。

ビル・ジェントリー「リーダーやマネジャーの二人に一人は現時点での職務を十分に果たせていない。すなわち無能力か、不適任か、完全な失敗である」・・・別の報告も「組織の種類を問わず、管理者が無能力である比率は極めて高い」・・・2014年の人材開発調査・・・回答企業の66%がリーダー育成は不十分であり、しかもこの傾向は年々悪化していると認めた。

リーダーの行動と職場の結果の間には強い因果関係があるとの前提に立っているにもかかわらず、実際にリーダーは教わったことを実行しているのか、ほとんど実態調査は行われていないことだ。・・・リーダーシップ教育産業は怠慢・・・大量のプログラムやセミナーを提供して助言をするだけで、実践されたかどうか、事態が改善されたかどうか、改善されていないとすればそれはなぜか、といったことを突き止める努力もしていない。

リーダーをめぐる状況が改善されないもう一つの重大な理由は、リーダーシップを教えるのに知識も経験も資格も必要ないことだ。つまりリーダーシップ教育産業には参入障壁が全くない。・・・現在リーダー向けにコンサルティングサービスを提供している人の多くは、一度もリーダーの地位に就いたことがないか、就いたことがあっても不評または失敗した人間だという。・・・リーダーシップ教育産業に参入する連中の多くは、知識も経験もない上に、どうも興味もないようにみえる。付け焼き刃でも本を読むとか勉強をするいう気もないらしい。・・・ある会議でリーダーシップに関する講師を探していた企画担当者は、適任者を見つけたと嬉しそうに話してくれた。だが実は彼が講師を選んだ理由は、なんとイケメンだったことらしい。

<日本の経済学教育も似たような状況にある。リーダーシップと違って、経済学にはちゃんと博士号があるのだが・・・。

リーダーシップに限らず、何事もクオリティを高める原則の一つは、点検し計測することである。・・・リーダーシップ関連プログラムの評価方法として最も多用されているのは、参加者による満足度評価・・・最近行われた分析では、学生による評価と学習効果との間には統計的に有意な相関性は見られない。・・・学習効果の計測が客観的であるほど、学生による評価との相関性は薄れる。・・・学生による教員ランキングと学習効果の間には有意な相関性はない。・・・ウォートン・スクールのスコット・アームストロング「学習というものは変化を要求する。そしてこれは、辛いことだ。重要な振る舞いや態度の変化に関わる場合には、なおのことである。」・・・学生による評価はマイナス面が多い。学生が授業や教員を評価するとなれば、教員の方は多少手加減して評価を高めようとする。すると教育の効果は薄れてしまう。アームストロングが「教育評価は学生に不利益をもたらす」と断言する理由の一つは、ここにある。・・・間違ったものを計測するのは、何も計測しないより悪いことが多い。なぜなら、計測したものに囚われるようになるからだ。

多くの進化心理学の研究で明らかにされているように、自己欺瞞には利点がある。・・・自己欺瞞は、進化にとって有利に働く。自分自身を騙すことができれば、自身を持って容易に他の個体をだませるからだ。・・・トリヴァースとヒッペル「人間の近くにバイアスがかかっているという事実は、様々な方法で自己欺瞞が行われており、場合によって真実の無意識の近くさえできなくなる可能性があることを示唆する。」と指摘する。となればリーダーが語るストーリーは、もっと言えば誰が語っても、当人の自覚なしに事実と異なる可能性がある、ということだ。・・・こうした認知バイアスの存在が学問的にも確かめられているにも関わらず、私たちはリーダーシップ神話を受け入れやすい。・・・「世の中はうまく出来ている」と考えたがる私達の傾向・・・「世界は公正であり、善は報われ悪は罰される」・・・「公正世界仮説」・・・この誤謬に囚われると、「成功した人には成功するだけの理由があるのだ」ということになる。だからサクセスストーリーは無条件に支持される。

ハーバード・ビジネス・スクールのエミー・エドモンソンは、「医療過誤のニュースを多く耳にする割には、失敗から体系的に学習するシステムを整えている医療機関はあまりに少ない」・・・経営学の論文「自然界においても実業界においても、失敗は最終的な成功につながると言ってよい。生態系では、老化した生命体が死ぬことによって、活発な成長がもたらされる。ビジネスの世界では、非効率な活動を排除することが富の創造につながる」と指摘されている。

レアケースからの学習の有効性には疑問符・・・卓越したリーダーのスキルとパフォーマンスの相関性は、多くの場合に極めて弱いという。これは、卓越したリーダーの業績は、幸運や偶発的な要素に左右される部分が大きいからだ。

人々の行動を変えるには様々な方法があるが、感動は有効な手段ではない。・・・長続きしない。高揚感はあっという間にしぼんでしまう。・・・プライミング効果・・・あらかじめ果物の話をしてから連想ゲームをすると赤からイチゴやリンゴを連想しやすいというふうに、先行する刺激(プライム)が後続する刺激に対する反応に影響をあたえることを指す。・・・一過性の感動はプライムにはならない。プライミング効果を踏まえると、刺激となる情報を目に見える形で与えることが、自己変革や自己成長に効果的だと考えられる。・・・倫理規定に署名させることはよからぬ行為を減らす効果・・・ウォーキングをして体重を減らしたい人は、歩数計を買って毎日歩いた距離を計測することだ・・・行動を変えるためのこうした方法の大半は、「動かぬ証拠を突きつける」という単純かつ強力な原理に基づいている。だから他人の行動を変えたいなら、計測可能な目標を設定し、目標を約束させ、毎日の行動を計測して頻繁にフィードバックし、必要に応じてインセンティブを設けることが効果的である。

社会心理学者のベノワ・モナンとデール・ミラーがモラル・ライセンシングという興味深い現象・・・一度とても良いことをすると、それどころか、良いことをしようと思っただけでも、「自分は良いことをしたのだから、次はちょっとぐらい悪いことをしてもいいだろう」・・・という気持ちになることを指す。・・・倫理的正当化やメンタルアカウンティングの帳尻合わせ・・・最初の機会に自分が差別をしない公平な人間であることを示した人は、次の機会には差別的な意見を表明しがちだという。・・・このような心理がリーダーシップ教育産業にとって意味するものは明白である。たくさんの公演を聞き、研修を受けるうちには、自分のリーダーシップを褒められるなどして、成果が上がったと感じるだろう。そして自分は多くを学んだ、良きリーダーに近づいたと信じ込むと、その後のリーダーとしての自分の振る舞いに十分な注意を払わなくなってしまうのである。このことは、言行不一致が起きる原因を説明するだけでなく、自分は優れたリーダーだと感じること自体が言行不一致を招くことを示している。・・・ミッション・ステートメント問題・・・多くの企業を調査したところ、ミッション・ステートメントを決定し、オフィスの壁に張り出したり、カードに印刷して配ったりすると、もうそれが実行されているように思い込んでしまうことが判明した。・・・何かを言うことと、それをすることとは別物である。リーダーシップ教育産業で著名な講師やコンサルタントたちも同じ錯覚に陥っている。・・・意地悪く言えば、行動が感心できない人ほど熱く語る。ちょうど公害企業が環境維持に取り組む姿勢をさかんに宣伝するように。

 人生にはトレードオフがつきものである。リーダーシップ教育産業もそうだ。彼らは神話やサクセスストーリーや英雄譚を提供することにかけてはすぐれている。だが職場をより良いところにしたり、リーダーの寿命を伸ばしたり、と言ったことには、少なくともこれまでのところさしたる成果を上げていない。・・・教育よりも感動を、有用なデータよりも高揚感を求めるお客にそれを与えるのは、当然の成り行きとも言える。

 卓越したリーダーと他のリーダを分ける最大の特徴は、謙虚さだという。謙虚な人間は信頼され、部下は一丸となって目標達成に取り組むというのである。・・・スポットライトを浴びたがる目立ちたがり屋ではない。謙虚な人間は自分の能力の限界をわきまえているし、自分の弱点も承知している。どれほど優秀な人間も完全ではないのだから、大勢の知恵を募るほうが一人の頭脳を上回ると考えている。こうした考えに基づいて多くの社員を意思決定に参加させ、謙虚に意見を聞き、フィードバックを求める。・・・しつこく自己宣伝をする人は、他人からの評価が芳しくないことがわかっている。そのイップで、自分の能力や実績を控えめに語る人は、好感度が高い。別の調査では、自慢の多い人間ほど能力が低いという笑えない結果・・・一番有能なのは、ホドホドに謙虚な人間・・・ジム・コリンズ・・・自己顕示欲が強く、のべつメディアに露出して熱心に自己宣伝をするような輩は、その貴重な時間を無駄遣いしている。企業の戦略立案に投じるべき時間が失われてしまうというわけだ。

謙虚であれという教えには重大な問題点がある。第一に、謙虚な人は少ないし、事リーダーに関する限り極めて少ない。・・・それはすでに高い地位に就いているリーダーが対象になっている・・・発展途上のリーダーにとって重要な資質・・・出世の階段を登るときに謙虚さが役に立つとは思えない。・・・慣例を打ち破り、既存製品や産業やビジネスモデルのあり方を変えるような先駆的なイノベーションをもたらす人間には、制約や既成概念に対する軽蔑、逆境や拒絶反応に立ち向かう意志の強さが欠かせないと指摘する。そしてこれらは、自己中心的なナルシストに特徴的な資質・・・確証バイアス(confirmation bias)が効力を発揮する。確証バイアスとは、自分の先入観や価値観や期待と一致する証拠のみを探す傾向・・・要するに人間には、見たいものだけを見て聞きたいものだけを聞く傾向があるということだ。・・・単純接触効果・・・人間は、見慣れているもの、よく知っているもの、記憶に残るものを選ぶものであり、これが広告効果を高めるイロハのイである。・・・自分を売り込むには、謙虚さをかなぐり捨てて、自分の能力や過去の業績や未来の計画に人々を注目させ、自分はその地位にもその報酬にも相応しい人間だと思わせなければならない。・・・カリフォルニア大学バークレー校のキャメロン・アンダーソンらが行った調査では、自信があるどころか自信過剰な人物でさえ、高い社会的地位、尊敬、影響力を勝ち得ていることが判明した。・・・こうしたわけだか、自己卑下や控えめな自己表現は、すでに地位を確立し、立派な評判を獲得している人にとっては魅力になっても、まだそこまで到達していない人にとっては、不安や無能力の表れと受け取られかねない。・・・187のメタ分析・・・リーダーの有効性と結び付けられる資質は7つある・・・内4つは、エネルギー支配力、自信、カリスマ性である。・・・ナルシシズムがリーダーの選択と密接な関係にあることがうかがえる。研究者の多くは、一般の人々と同じく自己顕示欲の強いナルシスト・タイプが大嫌いであることを考え合わせると、こうした研究結果はなおのこと興味深い。・・・ナルシスト型の人間は外交的で自信に満ちており、潜在的なリーダーシップ能力を備えているとみなされるため、リーダーに選びやすい。・・・ナルシスト型の人は自分を目立たせ、さらには際立たせる行動をとるうえ、自分にはリーダーの資格十分だと自惚れ、自分に対する期待値が高い。そういう人間は自分の主張を強く押し出し、自分の利益になるように行動するので、集団をやすやすと支配するようになる。・・・ある調査によると、ナルシシズムは実は一時的に人に好かれる可能性が高い・・・ナルシストが発散する華やかさや外向性に周囲の人は幻惑されるからだ。・・・ナルシシズムがリーダーの地位獲得に役立つ理由として、ナルシスト的性格の特徴と、人々が優れたリーダーの典型的な属性(権威、自信、支配力、自尊心など)と考えるものに共通点や重なり合う部分が多いことを挙げている。・・・ナルシスト型人間はリーダーに選ばれやすい。そもそもこのタイプの人は、リーダーの地位を求めている。

女性や、アジア系アメリカ人などのマイノリティは、典型的な白人男性に比べると、概ね謙虚で控えめであり、自己中心的でない・・・男女の役割分担や文化的期待・・・女性は男性と比べ、いわゆる印象マネジメントにあまり注意を払わないことで損をしている・・・アメリカの企業文化では、自己主張や個人主義的な考え方が重んじられる。これは、アジアの電灯とは真っ向から対立する価値観だ・・・多くのアジア文化では慎み深く控えめであることが良しとされているが、これは現代の職場環境には全くそぐわない・・・リーダーシップ本などでどれほど謙虚さが重視されようと、現実の世界でキャリアアップに役立つのは自己宣伝や自己主張

謙虚なリーダーというものはめったにいない。・・・ナルシスト型の性格や自己宣伝、自己主張と言った行動は、リーダーの選抜や面接評価などで一貫して有利に働く・・・ナルシスト型のCEOは他の経営陣よりも報酬が高く、在任期間も長い。これはおそらく、ライバルを排除する意思があり、そのすべも心得ていることが一因だろう。・・・ビジョンやアイデアを売り込むのが巧いので、他人、とりわけ社外の他人からの支援を取り付けることに長けている。また、人々の注目を集めやすく、このタイプのリーダーがいるだけで物事が進むという面もある。

謙虚なリーダーを選びたいと考えるなら、それはむずかしくない。NPIテストはナルシスト度を計測する信頼の置ける方法・・・選抜時にこのテストを実施すればいい。・・・しかし多くの企業は、そうした選抜方式は採用していない。押し出しが良く、雄弁で、自己宣伝の巧いナルシスト型の人物を好んで採用している。これでは、望んでいることと正反対の結果になるのも当然と言えよう。

自分の気持ちに忠実に振る舞うことは、むしろリーダーが最もやってはならないことの一つである。リーダーは、その状況で求められる通りに、周囲の人が期待する通りに、振る舞わなければならない。

 あなたの実績や過去の貢献はまことにすばらしい。しかし年齢やキャリアを考えれば、あなたはすでに過去の人であって、未来の人ではない。どんな組織もそうだが、我々も未来の為に投資しなければならない。だから、限られた予算をそのために使う必要があるのだ。

日本の組織は・・・・・

自分は大いに会社に貢献した。だから会社は自分に感謝してしかるべきだと思っている人は、考えを改めたほうがよい。昇給をケチるのも、レイオフを繰り返すのも、あれこれt経費を節減するのも、企業が、いや企業だけでなく政府機関も非営利組織も、生き残ろいと将来の繁栄がかかっているからだ。つまり組織は自分の身を守り自己利益を追求している。

 自分の努力と勤勉は必ず認められ、評価され、報われると期待している人は、そろそろ自分で自分をだますのをやめなければならない。もし自分の功績と忠誠心に対して報酬や地位が約束されるという暗黙の契約が存在すると考えているなら、そういう暗黙の契約が存在すると考えているなら、そういう暗黙の契約は決して守られないと肝に銘じるべきだ。それどころか、雇用の約束すらおぼつかないのである。・・・回答者の55%が、採用面接やその後に会社がした暗黙の約束は守られなかったと答えている。・・・全米大学体育協会NCAA)・・・大学も企業と同じで、基調なリソースは、将来の成功に役立つ人間に使いたいのである。怪我をしてプレーできなくなった選手は、将来の役には立たないという冷徹な論理だ。・・・系統的なデータや大学、企業、プロスポーツなど様々な組織での事例を見れば、結論は明らかだ。組織の善意や寛容に期待するのは、端的に言って愚かなことである。

「持ちつ持たれつ」の原則は、他人から受けた親切や行為に対する道義的義務について述べたものである。・・・社会心理学者のロバート・チャルディーニ・・・雇用関係にそうした道義的異義務があるかどうかは、大いに疑問だ。なるほど、社員は会社のために熱心に働き、長い年月を会社の繁栄のために捧げるかもしれない。だが会社はそうした勤労と努力に対して報酬を払っている。となれば、会社としては社員に恩義を感じる謂れはなかろう。これはあくまで労働とお金の交換にすぎないことになる。

職場というのは計算高く、利益優先で、道義心とは無縁であり、さらに言えば通常の行動規範にさえ縛られない、ということである。要するに、あなたが将来役に立つともなされている間は、会社はあなたを厚遇する。だがこの先もうあまり役に立ちそうもないと判断した瞬間に、あなたの過去の貢献は無視されるのである。

社会では競争は一般に好ましいものとみなされているが、ここでもまた、企業の内部ではそうではない。そこでは互いに競争するよりも協力することを求められる。しかも、ここが重要だが、リーダーに協力することを求められるのである。より正確に言えば、リーダンーの利益を自主的に優先し、リーダーの命令にしたがうことを求められる。ッリーダーが部下の幸福を優先し、組織の繁栄のために尽くすのであれば、そのリーダーに協力することは大変結構だ。だが本書でさんざん見てきたように、リーダーは自分の利益を追求する。となれば、部下が同じことをせず、自分で自分の利益を守らないのは、全く理屈に合わない。

以下に優れたリーダーでも、人間である以上、完全ではない。だから、優れたリーダーに付き従うよう奨励するのは、欠陥のある人間を全面的に信頼するよう奨励することにほかならない。これでは、本来なら一人前の人間を、ある意味で幼児化させるようなものではないだろうか。

もしいま読者が、互いに助け合う職場環境と部下思いのリーダーに恵まれているなら、その貴重な瞬間を存分に謳歌してほしい。だが、どこもそうだと思ってはいけないし、現在の状況がずっと続くと期待すべきでもない。世界は往々にして公正ではないのであり、そうわきまえることだ。そして、自分の身は自分で守り、自分の利益は自分で確保する方が良い。他人もそうするなら、なおよい。しっかりと自分のことは自分で考え、リーダーシップ神話に頼るのをやめたら、あなたはもっとずっとうまくやれるはずだ。同時に、信頼に値しない人間を信頼して裏切られたり、失望したり、キャリアを台無しにしたりする危険性も大幅に減るはずである。

ジム・コリンズ・・・「最後には必ず勝つという確信を失ってはいけないが、自分が置かれている厳しい現実を直視する規律も失ってはいけない」・・・ストックデールの逆説・・・生還できなかった捕虜仲間は楽観主義者だった・・・楽観主義者は、現実を直視しようとしない。現実逃避をしたがるダチョウのように、砂の中に頭を突っ込んで災難が通り過ぎていくのを待とうとする。このような自己欺瞞で一時的に楽にはなるかもしれないが、最後は嫌でも現実と向き合わなければならない。そうなったとき、現実はあまりに過酷でもはや耐えられないのである。

グーグルで、「著名なCEOの名前+イヤなやつ」のAND検索をかけたのである。すると、スティーブ・ジョブズが、2位のオラクルのラリー・エリソンを遥かに引き離して1位・・・会議の際にエリソンが大爆発することは有名だ。しかも罵詈雑言を浴びせるだけでなく、長井。ときには延々一時間も吠えているという。・・・ジェフ・ベゾス・・・癇癪と罵倒でつとに有名だ。「この問題に今から知性というものを供給してやろう」・・・ポール・アレンは、ゲイツと働くのは「生きた心地がしない」・・・今挙げたリーダーたちは、長期にわたって巨額の報酬を手にし、権力を振るったけれども、謙虚だとか、誠実だとか、部下思いだといった理想のリーダー像からはどう見てもほど遠い。しかもそうしたリーダーは日々増えている。・・・大方の人が、彼らは本当に成功したわけじゃない、と反論する。・・・スティーブ・ジョブズも、一時期は誕生パーティに誰も来てくれなかったらしい。・・・これらのリーダーが本当に成功者なのかどうかを論じるのは勝手だが、彼らには否定できない共通点が一つある。・・・何はともあれ高みにのぼり詰め、権力を手にし、それなりに長い間その地位を維持したという事実である。だから、現実を公正世界仮説に当てはめようとするのは止め、理想とかけ離れた人たちが、なぜどうやって高みに上り詰めたのかを理解するほうが役に立つだろう。この手のリーダーが量産される現状を変えるためには、この理解が欠かせないと私は考えている。

現状は、誠実で謙虚で信用できて部下思いなどなど、多くの人がリーダーの資質と考えるものを待ち合わせていないリーダーが大勢成功しているだけではない。実態はもっと悪い。・・・理想のリーダーだと言われている人たちは、実際そのように見えてしまうのである。これは、人々がリーダーの発する自信満々な雰囲気やオーラに見せられてしまい、彼らが実際に何をしているかをチェックしようとせず、彼らの部下になることがどういうことかを考えようともしないからだ。おとぎ話を信じたがっている人々は、真実から目を逸らし、自分の価値観を覆すような証拠は積極的に見まいとする。こうしたわけで人々は、ほとんどの企業にも政府機関にも存在しないようなリーダーの行動モデルをありがたく信じている。・・・人々が授けられる「キャリアで成功するためのヒント」と言った者は、多くの場合、実際のリーダーの行動とはまるで一致していない。なぜこんなおとぎ話がいつまでも生き残っているのだろうか。・・・「真実に耐えれれない」・・・データによると、多くの人は、悪い情報が目に入らないよう積極的に試みているという。不愉快な真実を避けようとする人たちは、悩ましい症状が出ても医者にかかろうとしない。診断を聞きたくないからだ。言うまでもなく、そのような行動は自体を悪化させるだけである。治療を受けずに放置するほど、症状は深刻化するものだ。多くの人はハッピーな映画を見たがる。少なくともハッピーエンドになる映画、つまり善が悪を倒し、知恵が力に勝ち、正義が不正を打ち負かす映画である。・・・よいニュースや感動的な物語だけを聞きたがり、権力者や組織を批判することを恐れ、多くの職場が抱える問題を直視しようとしない――こうした姿勢がリーダーシップ教育産業を繁盛させ、誠実で謙虚で深思いのリーダーのハッピーな物語が語られるのである。彼らは、理想像に一致しないリーダーのことは語ろうとしない。理想のリーダーとそうでないリーダーの比率といったものも示されないし、リーダーたちがキャリアの最後にどうなったかということも語られない。

リーダーシップ教育産業は、未来のリーダーを育成することや現在リーダーの役割を果たしている人の一段の能力開発をすることが目的である。・・・この業界の多くの人にとっては、今のリーダーはこうだということよりもリーダはこうあるべきだということのほうが重要に・・・長年にわたってリーダーシップ教育が行われてきたにも関わらず悪いリーダーがこれほど多いのはなぜか、といった都合の悪い質問は巧みに回避される。・・・数十年に渡って、膨大な数の著者や講師やリーダーシップコーチが同じようなアドバイス・・・滅多にいないような実に立派なリーダーの研究ばかりが行われている・・・そうした例外的な人物を紹介すれば、他のリーダーも啓発ばかりが行われていることである。こうしたアプローチが成果を上げているという証拠は一つもない。そのことは、仕事満足度の低下、リーダーの在職期間の短縮、離職率の上昇、解雇されるリーダーの増加と言った客観的な数字が証明している。また、こうしたアプローチには理論的な裏付けもない。もちろん、信頼できて深思いの謙虚なリーダーは実在する。そうしたリーダーを私たちは尊敬し、賞賛すべきだ。だが同時に、そうしたリーダーがごく僅かであることも認めなければならない。さもないと、よきリーダーを目指すことの困難を過小評価することになる。

多くの人は、冷静かつ客観的にリーダーの行動に注意を払う代わりに、リーダーが自分の業績を語り、価値観を訴え、心地よい決まり文句を発するのを聞いて満足している。・・・賢いリーダーは、自分の行動が間近でつぶさに観察されないよう注意を払っているからだ。・・・たとえば、52人のマネジャーを対象に行われた3つの異なる調査で、マネジャーの成功と密接に関係する行動に挙げられたのは、人脈作りと政治的駆け引きだった。

良い結果を出すために良からぬことをせざるを得ない時もある。・・・決断する、実行する、改革する、競争環境で勝ち抜くと言ったことには、意志の力が必要であり、さらに、一部の人から反発されかねない行動をとり、反感を買いかねないような資質を発揮することが必要だ。・・・マキアヴェリの真実だ・・・偉大なことを成し遂げるためには、必要とあらばどんなことでもする意思を持たなければならない。困難な戦いを避けてはならないし、人気を失うことを恐れてもいけない。

アドバイスビジネスは、提供したアドバイスが実際に実行されるかどうかはあまり気にしていない。というのも彼らの利益はアドバイスを売った時点で得られるからだ。・・・良きリーダーになるためには、まずはその地位につくために、次に地位を維持するために、自分の置かれた環境で必要な能力や行動を示さなければならない。

勧善懲悪に代表されるように、白黒がはっきり・・・このような思考法は、複雑な現実を過度に単純化しがち・・・誤った確信が持てるので心地よいかもしれないが、何事も白黒をはっきりさせようとする姿勢で臨んでいたのでは、現実の複雑な世界の問題に取り組むのは一段と難しくなってしまう。・・・高い地位の人間ほど複雑な思考法をすることが明らかにされたが、このことは、複雑な問題に取り組むときには高度な評価・分析手法が役に立つことを示唆している。・・・アレクサンドル・ソルジェニーツィン「どこかに悪い人間がいて悪事ばかり働いているなら、彼らを隔離して絶滅させれば良い。だが善と悪を・・・境界線は、あらゆる人間の心の中にあるのだ。自分の心を隔離して破壊することを望む人間がいるだろうか。」

真実と早く向き合うほど、誰にとっても結果はよりよいものになる。 そのためには誰もが、そう、リーダーだけでなくすべての人が、頑張って続けなければならない。

悪いヤツほど出世する

悪いヤツほど出世する

 

 

興味のあることをすればいいのです。

ものすごく大きい、バカみたいな夢を見ることは成功するためのキーだと思います。バカなことを言っている、と思うでしょう? 夢が非現実的であればあるほど、競争者がいなくなる。今現在、私レベルにクレイジーな人は世の中に数えるほどしかいないので、彼らの名前を空(そら)で挙げられるくらいです。

クレイジーはクレイジー同士、惹かれあうものなのです。大きく成功する人は大きな挑戦をします。これはGoogleも同じです。私たちのミッションは世界中の情報を整理して、世界中の人々が整理された情報にアクセスできるようにすることです。こんな素晴らしいアイディアにわくわくしない人などいないでしょう?

みなさんは成功しないかもしれませんが、我々にも上手くいかなかったことはたくさんあったのです。Googleはたまたま上手くいっただけで、我々がやらなかったこともたくさんあります。しかし我々は多くのことに挑戦することを恐れはしませんでした。だからみなさんにはもう少しリスクを取って欲しいと思います。もしみなさんがリスクを取ることを十分に行えば、きっと上手くいくでしょう。

皆さんは、やりがいがあり活動的で、自分自身が興味のあるエリアを選択すべきです。私はリンクに興味があり、他人はそこに注目していませんでした。なので「これは何かできる」と考えたのです。
そしてそれは多くの人にもあてはまります。興味のあることをすればいいのです。我々にとってそれは重要なことでした。セルゲイを初め、相当なハードワークをこなす人たちがいましたし、それは目的を達成する上で非常に重要なことでした。 


Yコンビネーター シリコンバレー最強のスタートアップ養成スクール

 スタートアップを起業するのに最も適した年齢があるとするならカルビンたちがそれだった。学部学生よりは多少成熟しているものの、まだ家のローンや子育ての重荷を背負っていない。そういう年齢になってしまうと、給料の良い安定した大企業の職を捨てるのは非常に困難になる。・・・面接に当たったYCのパートナーたちが最も警戒するのは「檻に入れられたハッカー」と言う状況だった。つまりハッカーではない創業者が実験を握っていてハッカーたちを部下扱いするようなチームだ。

「君たちは3人のチームだったな。1万700ドルの投資で株式の7%をもらいたい。」出資の見返りとしてYコンビネータ―がスタートアップに要求する株式の割合はどんな場合でもほぼ同一だが、出資額は多少異なる。基本として全チームが1万100ドルを受け取る。これに二人目以降の創業者ひとり当たり3000ドルが追加される。ただし創業者4人以上の場合、2万ドルが上限だ。

グレアム「スタートアップを始めてもたぶん失敗するだろう。ほとんどのスタートアップは失敗する。それがベンチャー・ビジネスの本質だ。しかし、失敗を受け入れる余裕があるなら、失敗の確率が90%ある事業に取り組んでも判断ミスにはならない。40歳になって養わなければならない家族がある状態での失敗は深刻な事態になる。しかし君たちは22歳だ。しっぱいしてもそれがどうした?22歳で在学中にスタートアップに挑戦して失敗したとしても、23歳の一文無しになるだけだ。そして得難い経験を積み、ずっと賢くなっているだろう。これが我々の呼びかけている学生向けプログラムの概要だ。」

 創業者が最初、良くないアイデアを試み、2度めに得たアイデアで大成功をおさめるというのはよくある現象です。我々自身がそれを経験しています。ビル・ゲイツポール・アレンの場合でさえそうだった。彼らの最初の会社はマイクロソフトではなくトラフォデータという会社で、ほとんど利益を上げることが出来ませんでした。

「ピボット」というのはスタートアップの世界でよく使われる用語で、当初のアイデアや戦略を根本的に見直して新しいものを採用することを言う。スタートアップは頻繁にピボットするものだ。

若すぎる起業家の犯しがちな失敗は、誰も金を払おうとしないようなソーシャルななんとか を作ることだ。君たちには人が少しでも金を払うようなプロダクトを作ろうとしてみることがいい練習になる。企業というのはつらい仕事だ。インターネット版の風俗営業みたいなものだな。しかし決して虚業ではない。

32歳はおそらく25歳より優れたプログラマーだろうが、同時に生活コストが遥かに高くなっている。25歳はスタミナ、貧乏、根無し草性、同僚、無知といった企業に必要なあらゆる利点を備えている。・・・所有物が車1台分くらいしか無いか、あるいはそもそも持っていく価値が無いようなものばかりというのが「根無し草性」だ。

貧乏という鞭を当てられているのでなければスタートアップのストレスに耐える気にはなれないと分かっていたんだ。

われわれ、つまり30歳と29歳のコンビがこういう完璧に馬鹿げたアイデアに真剣に取り組んでいたことを考えれば、20歳を少し過ぎたばかりのハッカーたちが我々のところに来て、絶対にビジネスになるはずがないアイデアを得々と語るのに驚いてはなるまい。

われわれはきみたちをクビにはしない。しかし市場が君たちをクビにする。君たちの仕事がつまらなくても、私は君らの後を追いかけ回して、『こんなつまらん仕事、いい加減にしろ』と叱ったりはしない。

実は過去にはイライラして口うるさくしたことがないではない。しかし何の役にも立たなかった。まずい仕事をする人間はいつまでたってもまずい仕事をし続ける。泳ぎを覚えられるか、それとも溺れるか、だ。・・・これまでに成功したスタートアップは皆一切脇見をしないチームだった。寝る、食う、運動する以外はプログラミングしどうしだった。

ハッカーに占める女性の割合はたしかに少ない。しかしそこまで少ないわけではない。・・・これは成功するスタートアップは創業者同士が以前から親しい友人関係にある場合が多いという事実と関係がある。親友というのはたいていの場合、同性だ。元々女性の割合が少ないところに、さらに女性の親友のグループということなると確率は2乗されてさらに少なくなる。

つまりYCに女性創業者が少ないのは何らかの差別によるわけではなく、純然たる確率の問題なのだ。

パーティで出会った多くのコンサルタントたちが、ほとんど弁解するようにして、自分たちの仕事を説明するのを見て不思議な気持ちがした。我々が起業家になるという決心を說明してきたときと同様、彼らは、なぜ今コンサルタントをするのがよいのか様々に正当化していた彼らは起業家に対して引け目を感じているようだった。それを見るのはシュールな経験だった。私の経験から言って、イギリスでは、大学を出たらすぐに起業すると言えば変わり者として多少なりと仲間はずれにされるおそれがある。私は、すぐに起業することが自分自身への最高の投資なのだと何度も主張しなければならなかった。ここでは逆だ。皆が企業こそ普通の生き方だと考えている。そのことになれるのに少々時間がかかった。

<個人的な経験として、アカデミアも同様の傾向があるように思う。知り合いの研究者の多くは、テニュアをまだ取得していない博士課程の学生やポスドクに対して、極めて保守的でほとんどオリジナリティのない研究を薦める傾向がある。曰く、好きな(そして、オリジナリティのある)研究は博士号やテニュアを取ってから好きなだけやればいいという論理だ。しかし、僕が見る限りそう言っている研究者は博士号やテニュアを取得しているにも関わらず、好きでもなければオリジナリティもまるで感じられない研究を依然として続けているようにみえる。逆にオリジナリティを感じる研究を好きにやっている研究者は、残念ながら若いときから好きな研究をやっているのだ。彼らの脳機能が停止しているのは一向にかまわないのだが(納税者としてもの申したい気持ちが無いわけでもないが)、邪悪な病原菌を振りまくのはぜひとも止めていただきたいものだ。※もちろんこれは僕の勝手な意見で、本の内容とは何の関係もない。

 グレアム「いいか、アイデアを生み出すための3か条だ。

  1. 創業者自身が使いたいサービスであること
  2. 創業者以外が作り上げるのが難しいサービスであること
  3. 巨大に成長する可能性を秘めていることに人が気づいていないこと」

 <アカデミックイシューに落とし込めば、自分が好奇心のある分野で、自分以外が分析するのが難しく、巨大に成長する可能性のある分野の研究をしろ、ということだ。間違っても、自分の興味が無く、巨大なリテラチャーが既にあり(自分以外の人も分析可能)、すでに巨大に育っている分野の研究ではない。こう書いてみると、前述した脳機能停止状態の研究者が勧めてくる戦術は、アカデミアにおける大企業病と考えてもいいのかもしれない。

誰かが自分のためにスタートアップを作ってくれるとしたらどんなのがいいか自問してみる。次に、自分以外の誰かにとってどんな困った問題がありうるか考えてみるのも良い。・・・仕事をしていて、ここのところを誰かうまく解決してくれたらなあと思うようなことはなかったのかい?・・・いま解決されていない問題が、後になればニーズなんだ。私のマックブック・エアは起動するのに1分もかかる。・・・グレアムは優れたアイデアというのはいくらでもそのあたりに転がっていて、誰かが拾い上げるのを待っているのだと說明した。「そういう話はいくらでもあるんだ」と彼は締めくくった。

ベンチャーファンドの名門、セコイア・キャピタルがスタートアップの持ち込むアイデアを評価するのに使っているシステムだ。「彼らのシステムでは、『需要の緊急性』を重要な要素のひとつとしている。これはつまり新しいアイデアを見たら、まずその時点で他のグループがそのアイデアを追求しているかどうか調べるということなんだ。セコイアは『そのアイデアで、どんなつまらないソリューションでもいいから、今現に誰かが提供していないか?将来のユーザーを奪い合う事になりそうなライバルはいないのか?』と創業者に尋ねる。『いえ、誰もいません』というのが一番いい答えだと思うだろう?しかしそうではないんだ。それはそのアイデアにそれほど差し迫った需要がないことを意味する。」

間違っていても何らかの決断をするほうが、ずるずると決断を引き伸ばすよりずっといいんだ。自分が興味を持てることをやるのが重要なのははっきりしている。しかし、失敗のコストが最小であるようなアイデアを選ぶようにしなけりゃいけない。この場合のコストというのは君らがそれにかける時間だ

ポール・グレアムシリコンバレーで広く引用される格言が好きだー「数字で測れるものを作れ」数字で測ることは、プロダクトのパフォーマンスのある側面を注意深く観察することにつながる。それがプロダクトの改善をもたらす。・・・ある週に目標達成に失敗したら、次の週は二度と失敗しないようにする方法を考え続けろ。目標設定が効果があるのは、集中力が養われるからだ。スタートアップではやるべきことは毎日無数にある。・・・しかし毎週成長目標を決めたら、その目標を達成するのにどうしても必要な仕事はどれとどれなのか、適切な時間の使い方を必死で考え抜く必要がある。・・・数字で測れるものを作るということなのだ。

YCの3ヶ月を無駄にしてしまうやり方で一番よく見るのは、何もしないことだ。毎週なにか新しいことをやり遂げていかないのなら失敗は確実だ。そんなことがあるわけ無いと思うだろう?・・・ビールを飲んでプレイステーションで遊んで過ごしたりはしない。そういう意味で何もしないと言うんでは人だ。そうではなくて忙しく間違ったことをして過ごす人間が多いんだ。・・・新しいユーザーを獲得すると言ったほんとうに重要な目標を達成する役には立たないんだ。・・・君たちがなにか新しいことをやる。するとユーザーから『これは好きだ、これは嫌いだ』と反応が帰ってくる。それで君たちは次に何をやればよいのか、新たな情報を得ることになる。要するに新しいものを作り出さないことは何もしないということなんだ。そこに気をつけないといけない。

グレアムは「ハッカー向け投資ガイド」という記事の中で「真のリスクテイカー」として個人の「エンジェル投資家」を讃えた。・・・グーグルがクライナー・パーキンスとセコイアから投資を受けたことは誰でも知っている。しかし多くの人々はこのベンチャーキャピタリストの投資が非常に遅い段階で行われたことを知らない。・・・ベンチャーキャピタリストは「いち早く尻馬に乗る人種だ」・・・「多くのベンチャーキャピタリストは誰が勝つかあえて予想しようとはしない。彼らは誰かが勝ち始めればいち早く気づく。しかしエンジェル投資家は誰が勝ちそうか予想しなければならない」・・・セコイア・キャピタルから調達・・・YCは最初期のスタートアップに少額を投資するという点ではエンジェル投資家である一方、外部から集めた資金を投資するという点ではベンチャーキャピタリストでもあるような存在となった。

デビッド・リー・・・ 私が投資すべきかどうか判断する際に一番注目するのは創業者です。『私はこの創業者の下で働きたいと思うだろうか』と自問することにしています。・・・「創業者は私にその下で働いてみたいと思わせるような潜在能力を持つ必要があります。もちろんはじめからそんな能力がなくてもかまいません。・・・偉大さというのは最初からはっきり目に見えるものではないのです。だから私は優れたエンジニアである創業者たちが好きです。彼らは最初のアイデアがうまく行かなかったときに方向転換してやり直し、窮地から脱出することができるからです」

 グレアム「常に成長率に目を光らせ、なんとしても設定した目標成長率を達成しなくてはならない。ゲームだと思え。どうしても目標を達成しようと努力しているうちに何をしなければいけないのかが自然にわかってくる。集中が答えを与えてくれる。成長率は羅針盤だ。この次に成長率を聞かれたら即座に数字が答えられるようにしておくんだ。」

グーグルだ!IPOだ!シリコンバレーでは何もかもすごい!・・・キャンベルは、スタートアップライフに対するこの甘い認識に遭遇すると、声を大にしてこう言いたくなる。 「そうじゃない。君たちが自分で手を動かして仕事を終わらせなきゃならないんだ。あのレベルに行くためには、山ほどのきつい仕事や単調でうんざりする作業をする必要がある。自分たちがやらなきゃ、誰もやらない」。年配の応募者たちがスタートアップに必要な仕事について悲しいほど無知なのを見て、キャンベルは対象を最近の大卒に絞った。

ヴィドヤードみたいになるんだ。セールスアニマルに。もしきみたちがセールスアニマルでないなら、そうなるように自分を矯正するんだ。たとえそれがどんなに不快だったとしても。 

最高の人たちは自分のやっているビジネスが好きで好きで仕方がない。愛していると言ってもいい。そうだろう?だからもし君たちがこのNFCを愛しているなら、大きなビジネスになると信じているなら、わたしは真実の愛を求める君たちの邪魔をしたくないんだ。

一緒にブレーンストーミングをして、愚かな決断を辞めさせ、うまくいかないときには元気づけてくれる仲間が必要だ

創業者は必ず二人以上必要だが、多すぎてもいけない。・・・スタートアップを国連のようにはしたくないはずだ。あれは最小の物事を成し遂げるための一種の民主的プロセスだ。

我々は、世界征服計画をでっち上げる練習を何度も繰り返す・・・私達がどうやって勝つのかって?写真を預かるサービスは山ほどあります。そんなにたくさんあるということは、まだ勝てる余地があるという兆候です!まだ誰も正解に至ってないという意味なのです。・・・何をお考えなのかわかっています。なぜ私達なのか?ですね。・・・なぜ君たちなのかを説明することだ。

テクノロジーのハブを作るには2種類の人間さえいればよい。金持ちとハッカーだ。・・・スタートアップという存在を可能にするにはこれらの人々が必要だ。スタートアップが生まれる時にその場にいる必要があるの箱の2種類の人間だけだ。他の人間はどこにいてもよい。

失敗のリスクが許容できる人生の段階にいるなら、スタートアップで成功できるかどうかを知る唯一の方法は実際にやってみることだ

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