Depot

つれづれなるままに、日暮し、PCにむかひて、心にうつりゆくよしなしごとをそかはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

Curriculum Vitae

Yamanatan Kac

日本科学技術大学理学部物理学科(上田次郎ゼミ)

帝都大学大学院理工学部物理学科(湯川学ゼミ)

Ph.D.

專門:システム科学

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About #stars

  • ☆ (must read)
  • ☆☆☆ (nice read)
  • ☆☆☆ (partly interesting)

Favorite Food

  • Chocolate-mint ice cream
  • Gōngbǎo Jīdīng(宮保鶏丁)

What I don't like

  • 手段と目的が一致しないこと
  • 本質的でないこと
  • 無知なのに傲慢な人
  • 自己愛性パーソナリティ障害な方々

Favorite Drama

Favorite Movie

Favorite Anime

Dream

  • 黒猫を飼ってセーレムって名付けること
  • 図書館に住む(家を図書館にする)こと
  • フレンズみたいな友達関係を築くこと
  • ウィーン・フィルニューイヤーコンサートを生で聞きに行くこと
  • 出演者全員コスプレの結婚式をあげること

例えばこういうの

Dunafon Castle Wedding - Heather and Bobby — Philadelphia Wedding Photographers - The Willinghams

  • 全編オペラ(参加者も台本付きでガチで参加させる)の結婚式をあげること
  • イビサ島マヨルカ島に新婚旅行に行くこと。 

帝都大学の有名人について

  • 僕の指導教官でもある湯川学帝都大学物理学助教授(准教授)
  • 理工学部の名物教授といえば、渡来角之進教授。何言ってるかわからない講義で有名
  • 附属病院の下村教授。奥さんと娘さんが美人揃いであることでも有名。
  • UCLA元教授の国立笙一郎さんはうちの医学部出身。
  • 学生時代に文学部を主席で卒業され、現在は文学部で心理学を教えている秋山教授。よく一緒にいる女の人は奥様?
  • 同じく心理学専攻で帝都大学史上最年少で教授になった葛城リョウ先生。秋山さんと葛城さんは学生時代にライバルだったとかいう噂も・・・。
  • 今は刑事になったらしいですが、昔は動物生態学分野で有名だった都島さん。
  • 講義しに来ている推理作家の高村耕司さん。
  • 直森賞、菊川賞、国際文学芸術賞大賞受賞作家の宇佐見さんはうちの法学部OB。

漫画201801

犯人の犯沢さん☆☆☆☆

 トネガワ的なスピンオフ、二匹目のドジョウなんて・・・と思いきや、まさかの人選で意表を突かれて笑わせてもらいました。が、似たベクトルの笑いが少し多いので飽きるのも早いかな?という感想です。

中間管理録トネガワ(6) (ヤングマガジンコミックス)

中間管理録トネガワ(6) (ヤングマガジンコミックス)

 

サトコとナダ☆☆☆ 

1巻は手探り状態でしたが、2巻でしっかりパターンを掴んだ感じですね、ギャグと小ネタのバランスが絶妙でいいと思います。個人的にはキタキタ親父ネタ、食パン=日本限定、一夫多妻ネタ、コナンネタがお気に入り。政治ネタはありきたりでしたが、ボーナストラックは良かったです。あまり説教じみた方向に走らず(薄っぺらくて鼻につくようになるだけなので)、今の調子で頑張って欲しいです。

サトコとナダ(2) (星海社コミックス)

サトコとナダ(2) (星海社コミックス)

 
サトコとナダ(1) (星海社コミックス)

サトコとナダ(1) (星海社コミックス)

 

 無職転生☆☆☆

積読していたのでお正月に読破。転スラ、ダンまちとともに安定した出来。誰かと思ったらゼニスの若い頃か。

 7SEEDS☆☆☆

昨年の8月に完結した7SEEDS、今年の1月に外伝が発売されるとのことで改めて読み直していました。後半は少しダレてしまいましたが、足掛け16年で描かれた一大スペクタクルは圧巻、随所随所に既視感のある要素がありつつ、全体として破綻せずにしっかりとまとめ上げられたプロットは読み応え十分です。個人的には新巻=あゆペアが一番好きでした。外伝も楽しみです。

7SEEDS 35 (フラワーコミックスアルファ)

7SEEDS 35 (フラワーコミックスアルファ)

 
7SEEDS 35 ドラマCDつき限定特装版 (特品)

7SEEDS 35 ドラマCDつき限定特装版 (特品)

 
7SEEDS 外伝 (フラワーコミックスアルファ)

7SEEDS 外伝 (フラワーコミックスアルファ)

 

だがしかし☆☆☆

 脳天気なプロットにエグい三角関係ぶち込んでくるって、実はすごい発明なんじゃないかしら、と思い始めました。かなりのバランス感覚が試されるので、上級者向けのテクな気はしますけど。

 異世界居酒屋のぶ☆☆☆

 相変わらずヘルミーナちゃん可愛い。アニメも楽しみです。

異世界居酒屋「のぶ」(5) (角川コミックス・エース)

異世界居酒屋「のぶ」(5) (角川コミックス・エース)

 

殺せんせークエスト ☆☆☆

スピンオフでプロットはやや子供向けだけど、しっかり面白いです。実家のような安心感。

殺せんせーQ! 3 (ジャンプコミックス 最強ジャンプ)

殺せんせーQ! 3 (ジャンプコミックス 最強ジャンプ)

 

約束のネバーランド☆☆☆

 面白くないわけじゃないんだけどなぁ・・・。こういう展開にすると、どうしても焦点ぼやけてきちゃいますね。

死役所☆☆☆

日本人サラリーマンのテンプレみたいな岩清水君の今後に期待。実生活でこういう人間に囲まれているせいか、読んでてすごいムカつくけど笑。

死役所 10巻 (バンチコミックス)

死役所 10巻 (バンチコミックス)

 

七ツ屋志のぶの宝石匣☆☆☆

 平常運転です。

100万の命の上に俺は立っている☆

 どうしてこうなった・・・

マンガ家再入門☆☆☆

12月に完結したのでまとめ読み。バクマンでも分析されていましたが、論理型の人と直感型の人がいるなぁ。マンガ家に限らず、色んなクリエイターの生存戦略が垣間見えるのは面白いですね。

甘々と稲妻☆☆☆

 小鳥ちゃんが主役、あと2,3巻でラストかな?すき焼きと海鮮丼が美味しそうでした。

 

www.nicovideo.jp

響~小説家になる方法~☆☆

 明らかにプロットに勢いが無くなった。勢いのある内は闇雲に突っ走るのが正解だと思うけど、こうなってくると明確な着地点が欲しい。

斉木楠雄のΨ難☆☆

面白いけど、特筆すべきエピソードはなし。逆に言えばパターン化出来ていることの証左でもあるわけで、両さんの言うようにあと45年間書けばいいと思うよ(笑)。楽しみの照橋回も今回はヲチが弱かった。

よく宗教勧誘に来る人の家に生まれた子の話☆☆☆

 ツイッターで話題になったコミック。子供の信教の自由を実質的に担保しようと思うと色々難しいよね、と二世さんの話を見るたびに思います。この人は片親なので、まだ恵まれている方なのかもしれません。

異世界で黒の癒し手って呼ばれています☆☆☆

 もう少しのほほんと続けるかと思ったら、割りと詰め込み気味に急展開。

異世界で『黒の癒し手』って呼ばれています4 (レジーナCOMICS)

異世界で『黒の癒し手』って呼ばれています4 (レジーナCOMICS)

 

 LV999の村人☆☆

1巻だけではどうも乗り切れなかったな、という感想でした。これから面白くなるかも?という予感は少し感じましたので様子見。

LV999の村人(1) (角川コミックス・エース)

LV999の村人(1) (角川コミックス・エース)

 

モンキーピーク☆☆☆

 あまりグロが得意でなく、積ん読していたのをまとめ読み。それなりにハラハラするものの、やや一本調子な印象。短期速攻で終わらせるか、よほど意表を突いた展開にしないと厳しそう。

モンキーピーク 4

モンキーピーク 4

 
 

ノーベル生理学・医学賞受賞の大隅氏「視野の狭い研究者ほど客観指標に依存する」

newswitch.jp

  • 一方で、人間に結びつかない生物学を意味のない研究と考える人が研究者の中にもいる。好奇心に応えることだけでなく、科学の波及効果に対して長年『役に立つ』ことを求められてきた弊害が現れている。理学部はすぐには役に立たないことをやるから存在意義があったが、いまは学生から『役に立たないことをやっていていいのか』と問われる。科学が育たない状況が生まれている
  • M&Aベンチャーを買収しても、その技術を使う時に日本人研究者の基礎力が問われる。同じ科学技術立国を目指していても日本とドイツは違い、日本のイノベーション政策の中には科学はない。科学技術といっても、技術の基礎としての科学、役に立つ科学から抜け出せていない
  • 若手は論文の数や、雑誌のインパクトファクター(文献引用影響率)で研究テーマを選ぶようになってしまった。自分の好奇心ではなく、次のポジションを確保するための研究だ。自分の軸を持てないと研究者が客観指標に依存することになる。だが論文数などで新しい研究を評価できる訳ではない
  • 研究者にとってインパクトファクターの高い雑誌に論文を掲載することが研究の目的になってしまえばそれはもう科学ではないだろう
  • 視野の狭い研究者ほど客観指標に依存する。日本の研究者は日々忙しく異分野の論文を読み込む余裕を失っている面もある。だが異分野の研究を評価する能力が低くては、他の研究を追い掛けることはできても、新しい分野を拓いていけるだろうか。研究者は科学全体を見渡す能力を培わないとダメになる
  • 例えば地方大学で若手を公募すると100人、200人の応募がある。とても一人一人を審査しきれず、有名雑誌に掲載され論文数の多い人から選ばれることになる。だが東大や京大の大きな研究室で研究ができても、地方大の資金繰りの厳しい環境で知恵を絞る研究に向かない。2-3年、研究予算を確保できずに科学を諦める人もいる。そして予算申請に何年も『役に立つ』と作文を続けていると、その気になっていく。これを一概にけしからんとはいえない
  • 『役に立つ』とこじつけた研究や論文が増え、何年も継続して若い世代の視野を狭めている。若手が縮こまれば日本の将来はないだろう
  • 自分が何をやりたいのか一生懸命考え、恐れずやってみることだ。日本人にとって他人と違うことに挑戦することは怖い。ただ欧米は他と同じことやっていると埋もれてしまうという強迫観念があり、個性を示さないと生き残れない社会で競争している。業績づくりよりも自分のやりたいことが先にないと面白い研究はできない
  • 本来、一人の研究者が年間に10本も論文を書くことはおかしなことだ。3年に1本良い論文を出していれば十分良い研究ができている。また科学者は楽しい職業だと示せる人が増えないといけない。雑務に追われる大学教授を若手が見ている現状では難しいかもしれない。米国でも同様の危機意識があり、資産家がコンソーシアムを組んで、自由に基礎科学を研究させる例もある

専業主婦は2億円損をする

非婚化や少子化というのは、日本の社会が「結婚して子どもを産んでもロクなこと がない」という強烈なメッセージを、若い女性に送っているということです。

高齢社会とは 、高齢者の数が(ものすごく)増えて、若者の数が(ものすごく)少ない社会です。「若くてはたらける」女の子の価値はどんどん上がっていくのです。

専業主婦がカッコ悪いということは、「妻を専業主婦にしている男もカッコ悪い」ということです。こうして欧米では、夫が積極的に家事に参加するようになりました。ここ でのポイントは、彼らはべつにフェミニストではなく、”意識高い”系でもないことです。

女性の高学歴化と社会進出が当たり前になった先進国では、「はたらきながら子育てできる」環境を充実させないかぎり、 女性は子どもを産まないことをはっきりと示して います。せっかく大学まで出たのに、好きなことはなにもできず、子どもの世話をする だけの人生では、「そんなのバカバカしい」と思うのは当然ですよね。

日本はなぜ「男女格差の大きな国」に成り下がってしまったのでしょうか。それは、子どもを産んだとたんに女性を取り巻く環境が大きく変わるからです。

一見男女平等に見えても、「女性が子どもを産むと”差別”を実感する社会」なのです。

対等だったはずの夫との関係も、出産を機に変わってしまいます。日本の会社は長時間労働サービス残業によって社員を評価するので、子どもができたからといって、夫が育児休暇をとって「イクメン」になるのはかんたんではありません。その結果、「夫は外で働き、妻は家事をしながら子どもの面倒を見る」という古いタイプの夫婦関係にあっという間に戻ってしまうのです。

「幸福とは自由(自己決定権)のことであり、そのためには経済的に独立していなければならない」というのは、いまや〝世界の常識〟です。経済的独立を自分から捨ててしまう専業主婦は、「自由と幸福」からもっとも遠い生き方なのです。

日本はどうか知りませんが、世界のひとたちは、ほんとうの愛情や信頼は対等な関係からしか生まれないと考えているのです。

幸福についての調査では、「お金がない」と意識すると幸福感が大きく下がることがわかっています。貧しいひとが(一般に)不幸なのは、お金のことが気になっているからなのです。

たくさんのひとにお金について聞いてみて、「これ以上収入が増えてもうれしさはそんなに変わらないよ」という金額はいくらでしょうか。アメリカでは、それは7万5000ドル、日本では800万円とされています。・・・ようするに、「ひとなみの幸福」とされていることを、お金を気にせずにできる、ということです。そしていったんこの水準に達すると、近所のビストロをミシュランの星つきレストランに変えても、箱根への家族旅行をハワイにしても、幸福感はそれほど変わらないのです。ちなみに、収入と同じく資産にも慣れていくことがわかっています。日本の場合、その金額は1億円とされていますが、これは「老後の不安がなくなる金額」と考えると理解できます。

専業主婦志向の女子は婚活に必死になります。お金持ちの夫を手に入れるのは、いまや宝くじに当たるようなものなのです。というか、これは宝くじよりずっと確率の低いギャンブルです。高収入の男性はいくらでも若くてかわいい(専業主婦願望の)女の子がやってくるのですから、そもそも一人の女性と結婚する必要などありません。そのことがだんだんわかってきたので、いまや婚活は「当たりくじのない宝くじ」のようなものになってしまいました。

だとしたら、世帯年収1500万円を実現するためにはどうすればいいのでしょうか。じつは、ものすごくかんたんな方法があります。年収800万円の男女がカップルになって、共働きすればいいのです。・・・「お金と幸福の法則」から幸福な家庭をつくろうとすると、夫が一人で1500万円稼ぐ「専業主婦モデル」よりも、夫婦がちからを合わせて世帯収入1500万円を目指す「共働きモデル」のほうが、ずっと成功確率が高い。

就職したばかりで年収300万円だったとします。これを、「人的資本から(はたらくことで)300万円の利益が得られる」と考えます。これと同じことを「金融資本」(預金)でやろうとすると、いくらの元金が必要でしょうか。現在の普通預金金利0・001%で計算すると3000億円になります。

いまのような超低金利時代では、お金にはたらいてもらう(運用する)よりも、自分ではたらいたほうがはるかに有利です。金融資本を使って稼ぐことがむずかしくなればなるほど、人的資本の価値は大きくなっていきます。

ざっくりいうと、生涯年収2億円の場合、新卒で就職する時点で時価1億円以上の人的資本をもっていることはまちがいありません。

1億円の人的資本と比べれば金融資本(貯金)の額は象とノミくらいのちがいがあります。ノミをいくらはたらかせても、象のようなことはできません。「お金持ちになるのにもっとも重要なのは人的資本」なのです。

金融資本、人的資本のほかに、人生にはもうひとつ大切な「資本」があります。それが「社会資本」で、家族や恋人、友だちとの〝絆〟のことです。社会資本をたくさんもっていると、好きなひとから愛されたり、みんなから必要とされたりします。すなわち、「幸福は社会資本からやってくる」のです。

金融資本は「自由(経済的独立)」、人的資本は「自己実現(やりがい)」、社会資本は「愛情・友情」と結びついています。

金融資本がなく貯金はゼロで、人的資本がないのでパートやバイトなど時給の安い仕事をしていても、「人生には愛情と友情しかいらない!」というひとがいます。こういうひとは「プア充」で、家族や友だちに囲まれているので、プアでもその人生はけっこう充実しています。プア充の典型は、〝ジモティー〟や〝マイルドヤンキー〟と呼ばれる地方の若者たちで、中学・高校の同級生5~6人を「イツメン(いつものメンバー)」として、先輩・後輩などを加えた20~30人くらいの「仲間」で行動しています。

「仕事はできるけれど異性との交際にはあまり興味がない。友だちづきあいも苦手」というひとは「ソロ充」です。

まだ若いソロ充は金融資本(貯金)はそれほどもっておらず、田舎の友だちとは縁が切れて濃い人間関係もありませんが、大きな人的資本をもっているので仕事は充実しています。

「お金はもっているけれど、はたらいてもいないし友だちもいない」というタイプは、高齢者にはたくさんいます。それが、家族や友人のいない「孤独な年金生活者」です。このひとたちは、はたらいてお金を稼ぐことができないので人的資本はゼロで、一日じゅうだれとも会話しないので社会資本もありません。年金という「金融資本」だけをたよりに生活しています。若者だと特殊なケースですが、「裕福な引きこもり」がこのパターンです。

リア充のイメージは、東京生まれで私立の中高一貫校から有名大学に入り、一流企業に勤めているバリキャリの女性でしょうか。彼女たちは、まだ若いので大きな金融資本はもっていませんが、人的資本で仕事が充実すると同時に、学生時代の友だちとも縁が切れていないので、そのネットワークからいろいろな出会いのチャンスが生まれるのです。

大きな人的資本をもっていると高い給料(収入)を得ることができますから、だんだんと貯金(金融資本)もできてきます。こうして、社会資本(恋人や友だち)がないまま人的資本と金融資本の充実したひとが「ソロリッチ」です。

幸福な専業主婦は、夫の稼ぎを金融資本に、「ママ友」を社会資本にして充実した生活をしています。とはいえ、これが「宝くじに当たるような」幸運だというのは、先に説明したとおりです。

貧困」を定義するならば、「金融資本、人的資本、社会資本のすべてを失った状態」ということになります。

「貧困」とは逆に、「金融資本、人的資本、社会資本のすべてをもっている状態」を考えてみましょう。こういうひとの人生は超充実しているでしょうから、これを「超充」と名づけます。超充はすべてのひとの目標でしょうが、これはものすごくむずかしいので、実現しているケースはあまりありません。でも2人でちからを合わせれば、超充にちかい「ニューリッチ」になれるという話をあとでしましょう。

同じ創造的な仕事に従事するクリエイティブクラスのなかでも、クリエイターとスペシャリストはどこがちがうのでしょうか。それは”拡張性”があるかどうかです。

どれだけ人気のある劇団でも、出演者の収入は、劇場の大きさ、1年間の公演回数、観客が支払える料金などによって決まってきます。こうした要素には明らかな上限があり、それが役者の仕事の富の限界になっています(拡張性がない)。映画は、大ヒットすれば世界じゅうの映画館で上映され、DVDで販売・レンタルされ、テレビで放映されます。映画スターにはそのたびに利益が分配されますから、その仕事には富の限界がありません(拡張性がある)。

成功した映画俳優が大富豪の仲間入りをするのは、テクノロジーの進歩によって、きわめて安価に(ほぼゼロコストで)コンテンツを複製できるようになったからです。いまやいったん映画が大ヒットすれば世界じゅうで販売されて、巨額の富を生み出すようになりました。映画と同様に、本(ハリー・ポッター)や音楽(ジャスティン・ビーバー)、ファッション(シャネル、グッチ)やプログラム(マイクロソフト)も同じです。クリエイターは「拡張性のある仕事」にチャレンジするひとたちで、一攫千金と世界的な名声を目指しているのです。

スペシャリストとマックジョブ(バックオフィス)はどちらも「拡張性のない仕事」ですが、このふたつはなにがちがうのでしょう。それは、責任の所在です。

  • マックジョブはマニュアル化された拡張不可能な仕事で、達成感はないが責任もない
  • スペシャリストは、クリエイティブクラスのなかで拡張不可能な仕事に従事するひとたちで、大きな責任を担うかわりに平均して高い収入を期待できる
  • クリエイターはクリエイティブクラスのなかで拡張可能な仕事に挑戦するひとたちで、いちど大当たりすれば信じられないような富を手にすることができるが、ほとんどは名前を知られないまま消えていく

日本でも海外でも、クリエイターはサラリーマンにならないことです。「拡張性のある仕事」のいちばんの魅力は成功したときに青天井の報酬が支払われることですから、すこしぐらいボーナスを増やしてもらってもぜんぜん割に合いません。会社としても、クリエイターのほとんどは泣かず飛ばずなのですから、全員に給料を払うわけにはいきません。

スペシャリストには、自営業者と会社に所属するひとがいます。医者の場合なら開業医は自営業者で、勤務医は会社(病院)に所属しています。そして、開業医はともかく、勤務医のはたらき方は日本と世界でまったく異なります。欧米では勤務医は病院の設備・看護師・事務などの機能と看板を借りた自営業者で、患者は病院ではなく医者を指名し、病院は医者に支払われた報酬から“家賃(テナント料)”を徴収します。医者が病院のサービスに不満だったり、家賃が高すぎたりすると別の病院に移りますが、そのときは患者もいっしょについていきます。患者は自分が選んだ医師から治療を受けているのですから、これは当然のことです。
ところが日本の病院では、医者は出身大学の医局の都合で病院を変わり、患者はそのまま同じ病院に残るので、患者の意思とは無関係に主治医が変わってしまいます。日本人は「病院にかかる」のを当たり前と思っていますが、欧米の患者がこのことを知ったら腰を抜かすでしょう。自分の病気の治療にベストと考えて医者を選んだのに、なんの相談もなく勝手に治療を放棄するのでは、医療倫理にもとるばかりか人権侵害にもなりかねません。

欧米ではスペシャリストは「会社の看板を借りた自営業者」で、日本では「会社に所属するサラリーマン」なのです。

バックオフィスは「オフィス(会社)」の仕事なのですから、全員が「会社員」のはずです。ところが日本では、ここに「正規(正社員)」と「非正規」という区別が入ってきます。「非正規」のはたらき方は、次の3つのいずれかに該当します。(1)パートタイムではたらいている(2)契約期間が定められている(3)派遣社員のように、会社に直接雇用されていない

日本の正社員はこのどれにも属さない、「フルタイムの無期雇用で、会社に直接雇用された労働者」ということになります。

日本では、「正規」と「非正規」ははたらき方のちがいではなく、「身分」のちがいです。「正社員」というのはその名のとおり、会社という共同体の「正メンバー」で、「非正規」は会社共同体のよそ者(二級社員)なのです。

海外では日本のような「身分」のちがいがないので、パートタイムからフルタイムになったり、出産や親の介護のためにフルタイムからパートタイムに変わったりすることがよくあります。

なぜ「非正規」が日本で大きな社会問題になるかがわかります。「正規」か「非正規」かで人間を区別するのは、世界では日本にしか存在しない〝身分差別〟なのです。

日本の会社のいちばんの問題は、サラリーマン(正社員)のなかにスペシャリストとバックオフィスという異なる種類の仕事をするひとが混在していて、それを無理矢理平等に扱おうとすることにあります。

混乱を収拾するには、「サラリーマン」のなかからスペシャリストを切り離さなくてはなりません。これが「高度プロフェッショナル制度」で、会社に所属するスペシャリストを欧米のように「会社の看板を借りた自営業者」にしようとしていますが、”残業代ゼロ”のレッテルを貼ってこの法案に大反対するひとたちがいます。

その理由は、「高度プロフェッショナル(スペシャリスト)」ではないサラリーマンはバックオフィスになってしまうからです。この制度が導入されると、なにひとつ”スペシャルなもの”がないのに「正社員」というだけで優遇されていたひとたちが、「同一労働同一賃金」の原則で非正規と統合されてしまいます

バックオフィスの仕事をしていた「正社員」は、この”改革”をぜったいに認めません。自分たちがこれまでバカにしていた「非正規」になってしまうのですから。

現実には、経営者は正社員の既得権に手をつけることを恐れ、バックオフィスの仕事をすこしずつ非正規で代替させようとしています。こうして日本では正社員が減って非正規が増えていくのですが、彼らの労働条件は先進国では考えられないほど劣悪です。日本では正社員は終身雇用で、よほどのことがなければ定年まではたらきつづけることが保証されています。それに対して非正規は有期雇用なので、契約期間が終了すれば問答無用で解雇されてしまいます。それ以外でも、正社員は社宅を提供されたり、家族手当などを受け取れますが、同じ仕事をしていても非正規にはなにもありません。これほどまで極端な〝差別〟は、世界のなかで日本にしか見られません

正社員と非正規が一体化すれば、正社員の法外な既得権が非正規に分配され、賃金格差もなくなり、フルタイムとパートタイムを自由に行き来できる〝グローバルスタンダード〟のはたらき方が日本でもようやく可能になるでしょう。それとともに、会社のなかで専門的な仕事をしているひとは、「高度プロフェッショナル」として時給仕事から成果報酬に移行していくはずです。

これまで「日本人(男性)は会社が大好き」といわれてきましたが、最近になって、社員の会社への忠誠心を示す「従業員エンゲイジメント」指数が日本は先進国中もっとも低く、「サラリーマンの3人に1人が会社に反感をもっている」とか、「日本人は世界でもっとも自分のはたらく会社を信用していない」などの調査結果が続々と出てきました。仕事にやりがいもなく、安定も期待できないとすれば、そうなるのは当たり前です。それ以外の調査でも、世界的にみても日本のサラリーマンの幸福度が低いことがわかっています。年功序列・終身雇用」の日本的なはたらき方を「世界でいちばん幸せ」と主張するひとがかつてはたくさんいましたが、それはすべてウソだったのです。
ベストセラーになった『置かれた場所で咲きなさい』という本は、サラリーマン人生を見事に象徴しています。新卒でたまたま入った会社で、たまたま天職に出合って「自己実現」できる可能性は宝くじに当たるようなものです。40代になれば転職もかなわず、ひたすら会社にしがみついて「置かれた場所」で苦行に耐えるのが日本人の労働観なのです。

「クリエイターで成功を目指すのは無理だけど、やりがいのない仕事もイヤだ」というひとは、医者や弁護士などのスペシャリストを目指します。これらの仕事に人気があるのは、高い収入とやりがいを両立できるからです(かならず、というわけではありませんが)。しかしそのためには、むずかしい試験に合格しなければなりません。

女性には、医者や弁護士ほど難易度が高くなく、やりがいと収入、おまけに安定も兼ね備えたスペシャリストの仕事があります。それが看護師です。

転職を繰り返せば自分に向いた仕事に出合う確率が上がり、スペシャリストとしての経験値も高くなっていきます。これもアメリカの調査ですが、15年以上のキャリアがある管理職で、転職2回のひとが役員になる確率は2%ですが、転職が5回以上だと18%に上がるそうです。転職は〝天職〟へとつながっているのです。

日本人の労働生産性(仕事で利益を稼ぐちから)はOECD34カ国中21位、先進7カ国のなかではずっと最下位です。日本のサラリーマンは過労死するほどはたらいていますが、一人あたりの労働者が生み出す富(付加価値)は7万2994ドル(約800万円)で、アメリカの労働者(11万6817ドル/約1280万円)の7割以下しかありません(2014年)。これは、日本人の能力がアメリカ人より3割も劣っているか、そうでなければ「はたらき方」の仕組みがまちがっているのです。

少子化の影響がはっきりしてきたことで、いまや新卒の就職率は98%になりました。大学を出たらほぼ全員が仕事に就けるような国は、先進国のなかでは日本くらいしかありません。15~24歳の失業率はスペインで53・2%、イタリアが35・3%、フランスでも23・8%もあり(2015年)、ドロップアウトしたまま社会復帰できない若者たちが大きな社会問題になっています。そんな国と比べれば、日本の若者はものすごく恵まれています。

「すこししかいない若者は価値が高い」という市場原理です。超高齢社会では、(優秀な)若者の値段が高騰するのです。

いろんな仕事を経験しながら「好き」を見つけたら、あとはそこに全力投球して、できれば20代で、おそくとも30代のうちに”スペシャルなもの”がもてるようにがんばります。そうしたら、あとは転職してもキャリアを切らさず、「生涯現役」で好きな仕事をやりつづける、というのが新しい時代のはたらき方なのです。

「好き」と「できる」を一致させていくのです。「自分のことは自分ではわからない」を前提とすれば、まわりのひとたちからできるだけ多くの評価=フィードバックを集め、自分に向いた仕事を探していくのが(おそらくは)唯一の方法です。

キャリアアップというのは、「好き」のなかから「できる」を絞り込んでいくことです。面接で大事なのは、その過程をきちんと説明できることです。中途採用では必要な人材をスポット的にさがしているのですから、適性と能力をはっきり伝えられる候補者のなかから選ぶしかありません。

  1. 男性の正社員はどの業種でもまんべんなく結婚している
  2. 女性の正社員のうち、マスコミ、広告、IT系は生涯未婚率が高い。電力・ガスなど給与が高く安定している会社の女性も3人に1人は結婚しない
  3. 男性の非正規社員は、4割が結婚していない
  4. 女性の非正規社員は、ほとんどの業種で10人のうち9人以上が結婚している

「貧乏な女」の多くはじつは主婦だとわかります。夫の収入だけで生活できても、最近は子育てが一段落すればパートや非正規ではたらくことも多いので、彼女たちの世帯年収は高いかもしれません。「非正規の女性は結婚している」というのも原因と結果が逆で、これは「主婦が非正規の仕事ではたらいている」からでしょう。

女性の未婚率は年収1000万円以上でいきなり跳ね上がりますが、ここから「ハイスペック女子は結婚できない」ということもできません。独身のまま仕事をつづけることを選び、がんばったからこそ年収が高くなったと考えるのが自然です。

興味深いのは年収600万円を境に女性の未婚率が下がっていることで、年収900万円代では未婚率16%と、年収200万円代の女性と変わりません。いまの日本では、10世帯に1世帯は世帯年収1000万円以上、100世帯に3~4世帯は1500万円以上です。サラリーマンの給与そのものは上がっていないのですから、これは高収入の共働き家庭が増えているからでしょう。こうしたデータを見ると、「年収の高い女は結婚できない」というのが事実ではないことがわかります。ハイスペック女子の多くは結婚して、経済的にも恵まれた家庭をつくっているのです。

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女性が自分より学歴が高く、収入も多い男性を好む「上方婚」志向で、男性は自分より学歴が低く、収入の少ない女性を好む「下方婚」志向なのはさまざまな調査で報告されています。

しかし荒川和久さんは『超ソロ社会』で、「年収の低い男は結婚できない」説は根拠のない都市伝説の類だと述べています。年収200万円以下の男性が結婚しないのは、自分ひとりが食べていくのに精いっぱいだからです。しかし、男性の年代別年収分布で既婚か未婚かを見ると、30代以上では年収300万円を超えると既婚者が一気に増えています。そして既婚者の割合は、年収が増えてもほとんど変わらないのです。荒川さんはこの理由を、「経済的な余裕ができれば結婚したい男は結婚するし、経済的な余裕があっても結婚しない男は結婚しない」からだと説明します。

「年収の低い男は結婚できない」説は、彼女のいない男性の自己正当化らしいことが見えてきます。「モテないのは自分に魅力がないからだ」という現実を直視するよりも、「世の中の女がカネにしか興味がないからだ」と決めつけたほうが、ずっと気が楽でしょうから。

女性にとっての結婚(およびそれにつづく出産)とは、

  1. 自由を失い、
  2. 友人と疎遠になり、
  3. 家族とのつき合いが減り、
  4. 仕事ができなくなる、

という「四重の損失」なのです。そしてこの損失は、たんに「家族がもてる」ということだけで埋め合わせることができません。そこで、「経済的余裕」が結婚の条件として浮上してくるのです。これで、高収入でやりがいのある仕事をしている女性が結婚しない理由もわかります。いまの時代は「自由」や「自己実現」がとても大切な価値になったので、経済的な不安のない”ハイスペック女子”にとっては、結婚・出産による損失が大きすぎてとうてい割が合わないのです。

男性にとっての「結婚の利点」は、「社会的な信用や対等な関係が得られる」と「生活上便利になる」の2つが主ですが、これが時代とともに大きく減っているのが目立ちます。・・・これに「精神的安らぎの場が得られる」「性的な充足感が得られる」を加えた4つが、男性が結婚に期待することです。

それに対して、独身男性の利点は「家族扶養の責任がなく気楽」「金銭的に裕福」の2つがダントツで、「金銭的に裕福」は時代とともに大きく伸びています。「異性との交際が自由」というのもありますが、こちらはその重要度が下がっています。ここから、男性がなぜ結婚に躊躇するのか、その理由がわかります。それは、「妻や子どもを扶養する経済的な責任が重く、自分のお金が自由に使えなくなるから」なのです。

なぜ未婚率が急上昇しているか、その理由は明らかでしょう。独身女性は、結婚によって失うもの(自由、キャリア、友だちなど)が大きすぎるため、経済的な安定という代償がなければ割が合わないと考えています。独身男性は、家族を扶養する重い責任を負って、わずかなこづかいで暮らすようになるのなら、このまま独身生活をつづけたほうがいいと思っています。男と女の利害がこれほどまでに食いちがっているのですから、そもそも結婚する男女がいるほうが不思議なくらいです。時代とともに、結婚はますます「コスパ」が悪くなっているのです。

男子と結婚するためには、「共働きでわたしの収入も加えれば、いまよりずっと楽しく暮らせるよ!」と提案しなければなりません。

憧れの女の子と結婚したい男性は、「仕事だってつづけられるし、家事もちゃんと分担するから、結婚や出産で失うものよりも楽しいことのほうがぜったい多いよ!」と提案しなくてはなりません。これからは、こういう賢い男女がカップルになって、幸福な家庭をつくっていくのでしょう。

男性が、自分よりも学歴や収入の低い女性との「下方婚」を好むのはまちがいありません。しかしこれは、「バカでかわいい女がモテる」ということではありません。「賢い」というのは「ずる賢い」ということでもあります(もっともこれは、女性も同じでしょうけど)。「賢い男子」は、自分がはたらいて2億円よぶんに稼ぐよりも、「2億円のお金持ちチケット」をもった女性と結婚したほうが、はるかに手っ取り早く“お金持ち”になれることをちゃんとわかっていますから、「バカでかわいいだけの女」をセフレとして使い倒すことはあっても、結婚しようとは思わないのです。しかし、「おバカな女子」が選ばれない理由はこれだけではありません。いちばんは「話が合わなくてつまらない」ことです。

高学歴で一流企業に勤める〝ハイスペック男子〟は、家に帰って、ワイドショーでやっていた芸能人の不倫騒動について妻と話したいなんてぜんぜん思っていません。政治や経済の高尚な議論をしたいわけではないでしょうが、自分が興味や関心のある話題で、お互いの意見が一致していることを確認したり、「えっ、そんな考え方をするんだ」と驚いたりするやりとりが楽しいのです。──これを「同類婚」といいます。

そんな相手として相応しいのは、自分と同じ学歴か、ちょっと低いくらいの女性です。学歴の高い女性を避けることはあるでしょうが(男はプライドの生き物なのです)、それよりもっと避けるのは、趣味も興味もぜんぜんちがう「おバカな女」です。ついでにいっておくと、「エリートの夫が会社のキャリアウーマンと不倫する」という定番のパターンは、これが理由です。家に帰っても子どもとママ友と芸能人の話ではぜんぜん楽しくありませんが、会社のハイスペック女子とは共通の話題がいろいろあるのでずっと面白いのです(これはエリートの妻と男性の同僚でも同じでしょう)。

大卒の白人男性は高卒の白人女性とは結婚しません(たとえ元チアガールでも)。それよりも、自分と同じくらいの大学を出た、黒人やアジア系の女性と結婚しているのです。これは女性も同じで、人種より学歴を優先するのは、「これからずっといっしょに暮らすことを考えれば、趣味や話が合うのがいちばん」と思っているからです。

脳には右半球と左半球があって、「右脳型」は直感的(感覚的)、「左脳型」は論理的という話は聞いたことがあるでしょう。実際にはそう単純ではありませんが、右脳と左脳に役割のちがいがあるのはたしかです。

脳卒中は脳の血管がつまる病気で、それによって脳の機能の一部が壊れてしまいます。脳の左半球に卒中を起こした男性は言葉がうまくしゃべれなくなりますが、右半球に卒中を起こした場合は言語能力にほとんど変化はありません。これは、左脳が言語能力を担当しているからです。

ここまではよく知られていましたが、脳科学者が女性の脳卒中患者を調べてみると奇妙なことに気づきました。脳の左半球に卒中を起こした女性は、やはり言葉をうまくしゃべることができなくなりますが、その程度は男性よりひどくありません。ところが右半球に卒中を起こしても、(男性の場合はなんの変化もないのに)やはり同じくらいうまく話せなくなってしまうのです。

なぜこんなことになるのでしょうか。それは、男性の場合、言葉を話す能力が左脳に偏っているのに対して、女性は両方の脳に分散しているからです。男と女で脳の仕組みがちがっているのなら、考え方や感じ方がちがっているのは当たり前ですよね。

愛し合うというのは、お互いにわかりあえないという前提で、それでもわかりあおうとすることなのでしょう。

ドラマチックなカップルは、高い確率で破綻していました。だったらどういうカップルがうまくいくかというと、「親や友だちに紹介された」ケースです。これは、適職を探すのと同じ話です。そのポイントは、「自分では自分のことはわからない」でした。適職(天職)というのは、まわりのひとたちが「スゴいね」とか「君がいてくれて助かったよ」とほめてくれる仕事で、だからこそ好きになるのです。恋愛もそれと同じで、あなたひとりが「運命のひとと出会った」と盛り上がっていても、まわりのみんなは「なんであんなダメ男に引っかかったの?」と思っているかもしれません。そしてほとんど場合、友人たちの評価のほうが正しいのです。

アメリカなど欧米の企業では、役職と学歴はリンクしているといいます。移民国家であるアメリカでは、人種や宗教、年齢や性別でひとを差別してはいけないというルールが徹底していますから、会社が採用や昇進・昇給を決める基準は①仕事の成果、②学歴や資格、③仕事の経験、の3つしか認められていません。「能力」というのは、この3つで評価できるものです。

当然、管理職の比率は大卒が多く、高卒が少なくなります。これはアメリカだけでなく、世界じゅうがそうなっています。学歴社会なのだから当たり前だと思うでしょうが、山口さんは世界にひとつだけ、この原則が通用しない国があることを発見しました。それが日本です。

日本の会社の特徴は、次の3つです。

  1. 大卒の男性と、高卒の男性が課長になる割合は、40代半ばまではほとんど変わらない
  2. 大卒の女性は高卒の女性より早く課長になるが、最終的にはその割合はあまり変わらない
  3. 高卒の男性は、大卒の女性よりも、はるかに高い割合で課長になる

問題なのは、大卒(総合職)の女性よりも、高卒の男性のほうがはるかに早く課長に昇進することです。60歳時点では高卒男性の7割が課長以上になっているのに、大卒女性は2割強と半分にも満たないのです。身分や性別のような生まれもった属性ではなく、学歴や資格、業績など個人の努力によって収入が決まる社会が「近代」です。そして近代的な社会では、このようなことが起こるはずはないと山口さんはいいます

日本の会社ではずっと長時間の残業やサービス残業が問題になっていますが、一向にあらたまりません。なぜこんなかんたんなことができないのでしょうか。それは、「日本の会社は残業時間で社員の昇進を決めている」からです。

「そんなバカな!」と思うかもしれません。でも就業時間を揃えると、大卒女性は男性社員と同じように昇進しているのです。これは、「日本の会社は社員に〝滅私奉公〟を求めていて、社員は忠誠の証として残業している」ということです。

近代社会では、労働者は会社と契約を結び、労働を提供するのと引き換えに報酬を受け取ります。日本の会社も形式的にはそうなっていますが、実態は江戸時代の「イエ」にちかい組織で、いったん正社員になれば人生のすべてを会社に捧げ、会社はそれにこたえて、生涯にわたって社員と家族の生活の面倒をみる、という関係になっているのです。正社員(イエの一員)はかつては男性だけでしたが、いまでは女性も加わることができるようになりました。これはたしかに進歩ですが、しかし女性がイエの一員として認められるには、無制限の残業によって滅私奉公し、僻地や海外への転勤も喜んで受け入れ、会社への忠誠を示さなければならないのです。そしてこれが、「子どもが生まれてもはたらきたい」と思っていた女性が、出産を機に退職していく理由になっています。

出産を機に会社を辞めた女性に理由を訊くと、第一位は「子育てに専念したいから」ではありません。「仕事への不満」や「行き詰まり感」です。なぜそうなるかというと、日本の会社は、形式的には男女平等でも、滅私奉公できない女性社員を「差別」しているからです。彼女たちは、望んで専業主婦になったわけではないのです。

彼氏とラブホテルに行って、セックスのあとに「これ、プレゼント」といっておしゃれな指輪をもらったらものすごくうれしいでしょう。そのかわりに、「はい」と1万円札を3枚差し出されたら、ものすごく怒りますよね。しかし、よく考えるとこれはヘンです。3万円の指輪と3万円の現金は同じ価値ですし、好きなものをなんでも買える現金のほうが使い勝手がいいともいえます。だとしたら、1万円札3枚差し出されたときも、指輪をもらったのと同じくらい喜ばないとおかしい……。経済学者というのはこういうことばかり考えているひとたちで、それで評判が悪いのですが、この理屈はまちがっているわけではありません。だったらなぜ、指輪はうれしくて、現金はものすごく腹が立つのか?それは、「プライスレス」なものを「プライサブル」にしているからです。値段のわからない指輪は、(あまりに安物でないかぎり)プライスレスな愛情を象徴しています。ところがそれに3万円という値段をつけると、「お金のためにセックスする女」つまりは売春婦になってしまうのです。

家事を「ワーク」としてお金に換算することは、夫婦関係に破壊的な結果をもたらします。「プライスレス」だったはずのものを、「プライサブル」にしてしまうからです。夫の給料の半分が妻の貢献だとして、それを計算したら時給2000円になったとしましょう。こうして、妻のシャドーワークを「見える化」することができました。でもそれを聞いた夫は、これからは妻との関係を平等にしようと思うでしょうか。そんなことはありません。「だったら、時給1000円の家政婦を雇えば自分の取り分が多くなるじゃないか」と考えるのです。シャドーワークは専業主婦を「奴隷」の立場から解放するかもしれませんが、その代わり「家政婦」にしてしまったのです。このようにして欧米では、夫婦が対等になるには妻もはたらくべきだ、ということになりました。妻に収入がないと、プライスレスなはずの関係が、プライサブルになってしまうのです。

世界的にも日本の主婦の幸福度が低いのは、出産にともなって家庭に「プライス」が入り込んでくるからです。

「わたしは子育てをがんばってやっている」というでしょうが、これは「シャドーワーク」の主張なので、夫にますます「プライス」を意識させるだけです。

はたらく主婦は「時間の奪い合い」でも夫を優先しなければならず、ますます自分の時間がなくなっていきます。このようにして、「プライスレス」だったはずの2人の関係は、「プライス」だらけになってしまうのです。

日本の女性の人生を大きく変えるのは「結婚」ではなく、「出産」だということがわかります。妻の役割を放棄してもたんなる笑い話ですみますが、母親の役割を放棄することはぜったいに許されないのです。

日本では、核家族化がすすむなかで、「賢母」への圧力がますます強くなっています。そしてこれが、子どもへの責任を一身に担わされる母親を追い詰めるのです。

子育ては「失敗の許されないプロジェクト」になりました。しかし問題は、がんばったからといって、むくわれるとはかぎらないことにあります。なぜなら、「子どもは親のいうことをきくようになっていない」のですから。これはカナダの発達心理学者ジュディス・リッチ・ハリスの『子育ての大誤解』(ハヤカワ文庫NF)を読んでもらうのがいちばん

子育ての大誤解〔新版〕上――重要なのは親じゃない (ハヤカワ文庫NF)

子育ての大誤解〔新版〕上――重要なのは親じゃない (ハヤカワ文庫NF)

 
子育ての大誤解〔新版〕下――重要なのは親じゃない (ハヤカワ文庫NF)

子育ての大誤解〔新版〕下――重要なのは親じゃない (ハヤカワ文庫NF)

 

 両親は、母語を話そうが話すまいが、食事や寝る場所などを提供してくれます。子どもにとってほんとうに大事なのは、親との会話ではなく、(自分の面倒を見てくれる)年上の子どもたちとのつき合いなのです。なぜなら、友だちグループからのけ者にされると「死んでしまう」のですから。

ほとんどの場合、両親の言葉と子どもたちの言葉は同じですから問題は起きませんが、移民のような環境では家庭の内と外で言葉が異なるということが生じます。そのとき移民の子どもは、なんの躊躇もなく、生き延びるために、親の言葉を捨てて子ども集団の言葉を選択するのです。

子どものいる家庭には、リセットボタンがないのです。

そもそも、母親と子どもが一対一で、閉鎖された空間に長時間いっしょにいるというのは、人類の子育ての歴史のなかではものすごく「異常」なことです。子どもはそんな子育てに適応するように「プログラム」されていませんから、”愛情たっぷり”に育てても、それにこたえてくれるかどうかはわかりません。

だったらどうすればいいの?この問いに対するもっともシンプルな回答は、「子どもを産まなければいい」でしょう。

この「ソロ充」→「ソロリッチ」が、大きな人的資本をもつ女性にとって(もちろん男性にとっても)日本の社会で幸福になる有力な人生戦略であることはまちがいありません。これから、「ソロ」で「お金持ち」というひとはどんどん増えていくでしょう。欧米や日本のようなゆたかな社会で、ソロリッチが「親友」や「パートナー」という社会資本をもつことができれば、人類の歴史上もっとも幸福な人生が手に入ります。しかしそこには、たったひとつ足りないものがあります。それは「子ども」です。

優等生の回答は、日本を「女性が活躍できる社会」にすればいい、というものでしょう。これはとても大切なことですが、しかし、日本の「男女格差」がアメリカ並み(45位)になったり、アイスランド(1位)、フィンランド(2位)、ノルウェー(3位)といった北欧の国と肩を並べるようになるまでには、まだまだ時間がかかりそうです。

この問題は「子育てを外注する」ことで解決します。

「ルールどおりやっていてはヒドい目にあうだけ」ということです。だとすれば、自分にとっていちばん都合のいいようにルール(制度)を使うのは当然のことです。

日本の社会では、子どもを育てながらはたらこうすると、女性は「罠」にはまってしまいます。それは日本の会社が、人生すべてを仕事に捧げる「滅私奉公」を社員に求めるからでした。その結果、優秀な女性たちが仕事に行き詰まって、専業主婦というもうひとつの「罠」にはまってしまうのです。

この「罠」から逃れる方法はものすごくかんたんです。問題の根源が「会社」なら、会社ではたらかなければいいのです。これが、「フリーエージェント戦略」です。

人間関係のストレスはうつ病の最大の原因ですが、そうならないためのもっとも効果的な方法は、「人間関係を選択可能にする」ことです。といっても、これは「好きなひととしかつき合わない」ということではありません。「イヤなひととのつき合いを断る」選択ができるだけで、気分はものすごくちがいます。

こうした人間関係では「ハラスメント」は起こりません。いじめっ子は、なにをしても相手が逃げられないと知っているからこそ、いじめるのです。

日本の会社では「伝染病」のようにうつが蔓延しています。その原因が長時間労働だとして、官民あげて「時短」の掛け声をあげていますが、なかなか残業時間は減りません。その理由は残業代が生活給になっているからで、時短で給料が減ると生活が苦しくなるので、サラリーマンの多くが残業代がつくかぎり会社にいようとするからだといいます。これはたしかに歪んだはたらき方ですが、それを無理矢理やめさせれば、うつ病は減るのでしょうか。

多くのサラリーマンを診察してきたメンズヘルスの専門医は、そうは考えていません。サラリーマンが出社拒否になる理由は、長時間労働で燃え尽きるからではなく、仕事が要求するレベルに自分のスキル(専門性)が届かず、行き詰まってしまうからだというのです。

なぜこんなことになるかというと、日本の会社がスペシャリストを養成せず、いろんな部門をそこそこ任せられるゼネラリストばかりを揃えようとしてきたからです。その結果、それぞれの分野が専門化するにつれて、自分のスキルが追いつかなくなってしまったのです。

それに対してフリーエージェントは、ひとつのこと(好きなこと/得意なこと)にすべての時間を投入することができますから、専門化する分野にもついていくことができます。こうしてあちこちで、仕事を発注する会社と、下請けであるフリーエージェントの関係が逆転するという現象が起こるようになりました。

フリーエージェントは、「好きなこと」に人的資本のすべてを投資するクリエイティブクラスです。彼ら/彼女たちは大きな人的資本をもっているので、「ソロ充」からやがて「ソロリッチ」になっていきます。もちろんこのままずっと「ソロ」でもいいのですが、「ソロリッチ」同士がカップルになると「ニューリッチ」になります。ニューリッチは経済的に恵まれていますが、高級ブランドや高級車、豪邸や別荘には興味がありません。アルマーニを着て三ツ星レストランに行くよりも、ユニクロで近所のビストロに行って夫婦でおいしいワインを飲むとか、豪華クルーズよりも子どもたちと山に登って自然に触れるほうがいい、というひとたちです。

ニューリッチのライフスタイルが、アメリカではいまいちばんカッコいいとされています。──ブルジョア(Bourgeois)とボヘミアン(Bohemian)を組み合わせて「BOBOS(ボボズ)」と呼ばれます。〝リベラルでカジュアルなお金持ち〟という感じの言葉です。クリエイターやスペシャリストの仕事は定年がありませんから、ニューリッチはいつまでもはたらこうと思っています。お金が貯まったら悠々自適の生活を楽しむのではなく、好きな仕事を通じてずっと社会にかかわっているほうがカッコいいのです。

 人生100年時代の人生戦略は、いかに人的資本を長く維持するかにかかっています。そのためには、「好きを仕事にする」ことが唯一の選択肢なのです。

テクノロジーが進歩すればするほど、共感能力が高く、真面目で優秀な女性の価値はどんどん上がっていくはずです。そんな未来が待っているのに、専業主婦になってせっかくの「人的資本(2億円のお金持ちチケット)」を捨ててしまうのは、あまりにももったいないと思いませんか。

  • これからは、専業主婦はなにひとついいことがなくなる
  • 好きな仕事を見つけて、それを”スペシャルな仕事”にする
  • スペシャルな仕事をずっとつづけて「生涯現役」になる
  • 独身ならソロリッチ、結婚するならダブルインカムの「ニューリッチ」を目指す
  • フリーエージェント戦略で、カッコいいファミリーをつくる

夫が生命保険に加入していれば、死亡によって保険金が支払われます。生命保険金の平均額は2000万円程度です。しかし、妻にとって夫が死ぬことのメリットはこれだけではありません。まず、夫がサラリーマンで18歳以下の子どもがいる場合、遺族基礎年金と遺族厚生年金が支給されます。子どもが2人いる場合は基礎年金で年120万円、厚生年金を加えれば年200万円ちかくになります。それに加えて、住宅ローンを借りてマイホームを購入していた場合、自動的に団体信用保険に加入することになるので、夫が死亡してローンの返済ができなくなったときは、保険会社が代わりにローン残高を全額払ってくれます。これをかんたんにいうと、夫が死ぬことによって①住宅ローンのないマイホームが自分のものになる、②子ども2人なら年200万円の年金が受け取れる、③平均して2000万円程度の生命保険金が下りる、ということになります。

日本の会社は子育て中のシングルマザーを正社員として採用しませんから、パートや非正規といった条件の悪い仕事に就くしかありません。「だったら生活保護を受ければいいじゃないか」と思うでしょうが、日本は生活保護の利用率が人口比で1・6%ときわだって低い国でもあります。ドイツやイギリスの生活保護利用率は約10%、スウェーデンでも4・5%ですから、こうした国では(いいか悪いかは別にして)生活保護で暮らすのは特別なことではありません。ところが日本では、「あそこは生活保護だ」という噂がたつと子どもがいじめられるので、たとえ生活保護の受給資格があってもシングルマザーははたらこうとします。これが、高い就業率と低い収入の理由になっています。

母子家庭になるのは離婚したからで、貧困に陥るのは別れた夫(父親)が養育費を払わないからです。責任は男にありますが、なぜか日本では、養育費の不払いはほとんど問題にならず(収入がないのだからしかたがない、と思われている)、母子家庭の生活保護不正受給だけがバッシングされます。こうした日本社会の現状を見れば、賢い女子が出す結論はひとつです。「結婚して子どもを産むと、なにひとついいことがない

逆境の経験がもっとも多いひとたちは、うつ状態になることが多く、健康上の問題を抱え、人生に対する満足度も低いことがわかりました。これは当たり前ですが、しかし、同じように幸福度の低いグループがもうひとつありました。それは、「逆境を経験していない」恵まれたひとたちだったのです。うつ病のリスクが低く、健康上の問題が少なく、人生に対する満足度がもっとも高いのは、逆境を経験した数が中程度のひとたちでした。幸福になるには、つらい体験が必要なのです。

専業主婦は2億円損をする

専業主婦は2億円損をする

 

 

野依良治の視点

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  • 日本の教育研究の不振の原因が問われて久しい。大学教員や研究者がこれほど勤勉に働くにもかかわらず、成果が思わしくない。日本経済における最大の問題点である労働生産性の低さと軌を一にしないか。先進7カ国の中で最低で、労働者一人当たりの付加価値が、米国の7割以下に過ぎないのは、多くが真面目な勤労者の能力が原因ではなく、経済界全体、企業経営の仕組み自体に問題があるとされる。

http://www.jst.go.jp/crds/about/director-general-room/column04.html

  • 通常、PIは大学院生RAに対して労働対価(旧来の学術には馴染まないが、一般社会通念として理解願いたい)として研究費から生活費相当の給与(日本なら年額二百数十万円)を支払う。なお、研究には参加せず、学科の学生実験指導等の補助にあたる大学院生は、Teaching Assistant (TA) Fellowとしての給与を受ける。大学院生は同時に、被教育者としての立場にあるが、たとえ授業料が有償であっても、給付制奨学金を受けて相殺されることが多い。従って、諸外国では国籍を問わず、入学試験に合格し資格さえ得れば、経済支援を受けて学位取得に向けた勉学に打ちこむことができる。国公私立の大学体制の如何を問わず、これがほとんどの国の標準モデルである。
  • RAないしTAとして適正額の給与を受ける者はごく限られ、大多数の大学院生は世界に例をみない貧しい環境下にある。教授の学位授与権を背景とした低賃金の徒弟制度は、「ブラック企業」にも過ぎる。外国人には理解不能なこの不公正は、労働法違反を問われても仕方ない。実際に研究はPIと大学院生の共同作業であるため、もしPIの研究費が途中で途切れれば、大学院生も研究を中断せざるをえない。カナダに実例があるが、この状況を打開するため、PIは辛くとも自らの俸給を割いて、若き研究協力者たちの献身に報いることが求められる。直接研究費と人件費を求めての資金獲得競争は何処も熾烈であるが、大学は優秀なPI 、RAの確保のためにも適切な救済措置を講ずるべきである。外国の実状を経験、つぶさに見聞してきたはずのわが国の多くの大学人、行政官は、この大学院の惨状になぜ沈黙を守るのか。
  • 人口100万人当たりの学位取得者数は、かねてから独英米の40~50%で少なく、博士号取得者数は主要国で唯一日本だけが減少傾向にある。

http://www.jst.go.jp/crds/about/director-general-room/column07.html

  • 多くの国の大学がテニュア(終身在職権)制度をとる。例えば米国では、教授(Professor)と相当割合の准教授(Associate Professor)にテニュアが与えられるが、30歳前後の新採用の助教授(Assistant Professor)に、いきなりテニュアが与えられることはほとんどない。独立裁量権をもつPIとしてテニュア・トラックに乗り5~7年後に業績審査を受ける(有能者には途中で外部招聘がかかる)。審査後の処遇は「Up or Out」で、合格すればテニュア付きの准教授、時には一挙に教授に昇格し、不合格ならば転出する。問題先送りの助教授留任はない。もとより外部の評価意見も含め判断は主観であり、不合格は決して失格を意味しない。創造的であれば、他大学に転じて成功する機会は少なくない。また教育重視の小規模大学への転職を望む人も多く、大学も当人の意向を支援する。まことに明快な制度ではないか。

  • 研究社会は基本的に競争的である。わが国でも、若者は自立して自らの活動に責任を取らねばならない。テニュア・トラック制度は、適切な条件のもと評価を経た上で、内部昇格を認めるものである。公正かつ躍動感あるこの制度を全国的に徹底させるべきである。

  • 新しい遺伝子編集技術CRISPR-Cas9システムの発見者の一人として注目されるエマニュエル・シャルペンテイエ女史(現マックスプランク感染生物学研究所長)が、25年間にわたり5カ国9機関移動してきたことが話題になっている。
  • 近年の米国では、環境工学が最も競争が厳しく19人に一人、多くの人数を抱える生物医学系では、6分の1以下しかテニュア・トラック雇用の機会はない。通常の工学分野では2分の1以下程度とされるが、MIT(マサチューセッツ工科大学)の助教授職には400名の応募者が殺到する。日本の自然科学分野においては、約15,000名の博士研究員、ほぼ同数の新規博士号取得者たち、そして潜在的には相当数の海外研究者を候補者として、年間推定8,000程度の大学・公的機関雇用のポストが用意される。うち、テニュア職は3,000程度にとどまる。
  • アカデミアに留まる者がごく少数派であることを再認識のうえ、採用時から責任をもって指導し、有為の人材として社会に送り出す義務を負う。「学学流動性」だけでなく、より開かれた「社会流動性」の実現が待たれよう。もとより、先立つ大学院教育は分割細分化を避け、彼らの幅広い社会適応能力を培わねばならない。

http://www.jst.go.jp/crds/about/director-general-room/column08.html

  • わが国の研究投資総額は対GDP比3.76%で、韓国の4.15%、イスラエルの4.09%には及ばないものの、ドイツの2.83%や米国の2.74%に比べて、相当に高い。問題は民間の投資負担額が71%以上で、公的資金が18%程度と低いことである。
  • 2003年から2013年における中国の伸長が555%、ドイツが48%、米国が15%であるのに比し、わが国はわずか0.3%に過ぎず、これでは低迷やむなしとの意見もある。しかし、現状でも公的資金の絶対額は、370億ドルに達し、米国の1,325億ドル、中国の998億ドルには及ばないまでも、好調のドイツ(337億ドル)をしのぎ、フランス(199億ドル)、英国(156億ドル)に比べれば、遥かに大きい。しかし、なぜ論文生産量が世界5位に過ぎず、さらに高被引用論文数については、これらの有力国のみならず、さらに少人口、低投資額のカナダ、オーストラリア、イタリーの後塵を拝するのか。
  • わが国には86の国立大学、91の公立大学、600の私立大学が存在するが、科学研究費補助金科研費)を始めとする多くの競争的研究資金の約90%を10校程度のみで受けている。また、この間の格差も峻厳で、例えば科研費において10位の慶應義塾大学の獲得額は、首位東京大学の16%に止まる(教員一人当たりの金額も約2倍の開きがある)。この首位と10位の落差は、ドイツの79%、米国の74%、さらに格差国と言われる英国の40%に比べても、あまりに大きい。
  • 年配の識者たちの現時点の価値観に基づく「選択と集中」は、不確定性極まりない科学の将来を約束するものではない。まだ無名の若者たちが未来の設計者である。夢多き若者を信じる器量が必要ではないか。彼らは同世代のアジアの人々と共に道を切り開かねばならない。独立した若手研究者育成のあり方については、元AAAS会長のアリス・ファン博士の助言(Science , 329, 1471 (2010))も参考にしてはどうか。

http://www.jst.go.jp/crds/about/director-general-room/column14.html

  • 有機合成化学で用いる3万種以上にのぼる化学薬品、多様な触媒や酵素類は特定の外国企業の寡占状態にあり、商品カタログを比較すると数十%から2倍の価格の違いがある。ビーカーさえ2倍の値段である。
  • 分析機器市場は、機器販売(50%)、消耗品販売などのアフターマーケット(37%)、保守サービス(13%)の3事業からなる。購入価格はほぼ輸入代理企業の言いなりであり、たとえばDNA解析装置では、付随して必要な高額の試薬の購入も同時に強いられる。さらに、パッケージ化された機器は、購入後も自ら保守、内部検査、故障修繕することも許されない。技術の高度化とともに研究費の高騰が続く中、彼我の差は開く一方である。
  • 海外製品依存のわが国の生命科学研究は、個人的に聞いた話では、米国に比べて3倍程度は費用がかかるという。さらに研究の競争激化と商業化の流れが、研究費格差拡大の連鎖を招く結果となり、今や少し大掛かりな生物医学系の研究は、もはや特定の重装備研究室でなければできないとも聞く。
  • 沖縄科学技術大学院大学(OIST)などの海外経験のあるPIたちは、価格の内外格差の理不尽を着任後に直ちに認識するものの、外国情勢に疎い一般の大学人には、危機意識がほとんどない。そして最高性能の機器を購入し続ける結果、多大の科研費が海外垂れ流し状態になっている。ときには国内経済活性化に充てられるべき政府補正予算さえ、外国製品購入に使われるという。
  • もとより科学研究には独自性が求められる。しかし、国際的に論文誌審査員が機器、材料、消耗品を問わず、もはや泥臭い手作りは認めず、特定の規格市販品の使用を求めるという。しかし、データ信頼性のためとするこのような動きは、画一化した後追い研究を促す結果になりはしないか。

http://www.jst.go.jp/crds/about/director-general-room/column15.html

  • わが国は、研究費総額18.9兆円(うち国費は3.5兆円で19%、民間資金が72%)、研究人口68万人(うち大学教員18万人で、民間が7割を超す)を投入する。生産性の一指標である科学論文数約7万5千本は世界5位であるが、残念ながら、被引用数トップ10%論文が10位、トップ1%論文は12位と低調で、ここ10年間、全分野について下振れ傾向にある。米国、中国など大国のみならず、研究開発費、研究人口の少ない国々の後塵を拝する惨状にある。

http://www.jst.go.jp/crds/about/director-general-room/column16.html

  • 研究には知性と感性が求められるが、業績評価にはおそらくその人の個性も反映されるであろう。アカデミアの研究の多くは計画立案から、論文発表まで全て研究者に任されるため、主観的評価はつまるところ、自らに委ねられる。若い研究者には、人生に一編でいい、「これこそ自分である」の想いのこもった作品をつくるべく、気概をもって歩んで欲しい。ならば悔いは残らないであろう。

http://www.jst.go.jp/crds/about/director-general-room/column17.html

  • 「評価は主観である」とする私の主張に対して、客観的な数値をもってなすべきとする人がいる。そこで力を得るのが「論文至上主義」で、かつては発表論文数、近年では「論文被引用数」の比較である。しかし、マックス・ウェーバーが唱えたように「科学は進歩し続ける宿命にある」。従って、成果の評価にあたっては、まだ見ぬ将来への波及可能性が最重要な視点となる。論文が全てではないことは当然であるが、ましてや認識論や総合的批判による洞察を避けて、過去の成果発表の分析の一軸に過ぎない論文被引用数を唯一の評価手段として用いることは、あまりに安易である。運動競技とは異なり、むしろ芸術におけると同じく、まずは創造性を尊ぶべきであり、個人の論文生産能力、優勝劣敗を決めることではない。論文指標偏重の評価システムは明らかに不見識、かつ若い世代の価値観を拘束し、生き方を誤った方向に導くため、強く再考を求めたい。全体統計的にも、また個々の評価についてはなおさら問題は大きい。実は、研究社会が自らの見識をもって評価することを怠ってきたことが、規格化された評価制度への過度な依存を引き起こし、その結果、自らを疲弊に追い込んでいる
  • 優れた研究者を効率的な論文製造機と定義することは不適切である。科学的批判力をもって断固対峙すべき学術会議、学協会、大学や公的研究機関などの甚だしい怠慢、無責任は目に余る。営利目的の商業出版社が由々しき論文引用数至上主義を喧伝し続ける結果、有力ジャーナルのImpact Factor(IF)神話が、若い研究者に学問の本来の価値を見失わせ、せっかくの精神高揚の機会を損なわせていることは、甚だ残念である。
  • 国民の問うところは、分かり易い論文被引用数などの数値の大小ではなく、わが国の研究活動全体の質である。
  • 第5期科学技術基本計画は問題を棚上げした上で、論文数と被引用回数上位10%論文の増加を目標に掲げた。いかなる権力であれ自らの責任説明のために研究現場の組織や個人に数値向上の努力を強いれば、大きな負の効果を生む。この便宜的手段が目的化することは明らかで、恣意的な数値操作がまん延、アカデミアが本質にもとる「衆愚(ポピュリズム)研究の府」と化すことは必定である
  • 良い論文とは、読者にとって読み応えがあり、腑に落ちるものである。その上で研究の礎のなった先行論文こそが、高く評価されるべきである。被引用数は各分野における発表論文のいわばエコー(反響)の度合いにすぎず、決して科学的創造や進歩への貢献を反映しない。視聴率の高いテレビ番組、入場者の多い催し物、人が溢れる喧騒の都市繁華街が他に比べて質が高いとは限らない。

  • 統計によれば、記録が維持されている5,800万論文のうち、44%が一度も引用されず、32%が9回以下であり、1,000回以上引用されるのは、僅か0.025%の1万4千論文に過ぎないという。しかし、この「民主平等的」研究社会では、この大多数を占める「低評価論文」にもやはり対等の引用権利が与えられ、その反映が被引用総数として現れる。被引用数評価の信奉者たちは、ここに自己矛盾、この増幅の仕組みを負のスパイラルとは認識しないのだろうか。逆にトップ0.1%被引用論文の特別扱いも価値偏向を助長し、好ましくないことは当然である。

  • 世界中で年間220万報以上の科学論文が発表され、さらに毎年累積していく。誠実な著者たちは、この溢れる情報の渦の中で、いかに適切に先行文献を選択しているのだろうか。最近米国では一人の研究者が年間に読む論文は、平均して264報に過ぎず、一報に費やす時間は32分という。進展著しい分野では、5年前の論文はすでに古くて役に立たないので読まないというが、それでも結構引用されている。ならば引用文献の選択を他人に、あるいは機械に託しているのではないかと懸念している。一般に英文読書速度が低く、また多忙で自由時間に乏しいとされる日本人研究者たちの現状はどうであろうか。
  • 引用数を評価指標にするならば、実際に比較対象となる具体的数値には公平性が担保されなければならない。まずは「早すぎた発見」は無視されがちで、「眠れる美女」が少なくないことである。1906年発表のH.Freundlichによる溶液中の吸着の研究は、96年後の2002年に初めて日の目を見たし、1935年の有名なEinstein-Podolsky-Rosen論文も2003年頃にようやく広く認知されたという。私は過去を振り返りながら「事実の発見」はもちろん大事だが「価値の発見」がさらに大切としてきた。科学的事実の発見の本当の意義は、当事者によってさえ認識されないこともある。創造性を洞察する目利きが必要な所以でもある。
  • 幸いにも、私は「フロンティア分子軌道論」を創始し1981年にノーベル化学賞を受けられた福井謙一先生から「論文が引用されているうちは本物ではない」と習い、さすがと感心した覚えがある

http://www.jst.go.jp/crds/about/director-general-room/column18.html

  • 数値偏重が研究評価における問題の原点ともいえるが、その病理の根底には、現世代の多数決民主主義、なぜか意味を問うことなく、一票でも多い方が正しいとの信仰がある。わが国の悪名高い入学試験の呪縛のまん延が、主観を疎み、一点刻み、総点の0.1%程度に過ぎない無効数字であっても、客観比較こそが最も公平とする価値観を醸成している。

  • 18歳時の入試勝者たちは、総じてスコア化を好み、この「厳密かつ公正な」仕分け判定で、人生が決定、安定した地位を得たとの勘違いさえする大学入試が青年たちの将来性を占う仕組みであれば、1、2割の違いがあってもほぼ同等であろう。かつての勝者の集団たる教員組織は後継者の選抜に多大のエネルギーを傾注するが、その分解能はいかほどのものか。もっと人事専門家の力を借りて教科以外の要素を十分勘案すべきであろうが、あるいは「松竹梅」と格付けした上で、「竹」をくじ引きして合否決定してはどうか。悲しいかな、100点満点と0点の間の規格化された、あるいは秀才にとっては100点と80点位の狭い評価空間を右往左往する習性のために、世界の桁違いの存在、ましてや「負の存在」に出合う機会に乏しく、価値の相対化能力を喪失する結果となっている。

  • この傲慢が、長じて科学社会における他を顧みない「勝者総取り(winner-takes-all)」文化を醸成することにもなる。競争的資金の獲得はたまさか幸運であっても、最高の研究を意味するとは限らない。過去の採択課題を追跡すれば明白である。米国ではトップ20%を選び、あとはくじ引きにする方が合理的との主張もある

  • 近年、行政は何の目的か、おそらく「自己責任説明」担保のためと推察するが、獲得研究費(しばしば使途目的同定が不適切)や論文引用数値の経年変化をもとに、特定個人の研究活動の消長を測り、研究費配分施策の合理性を論じる。社会が受容しやすいとして「客観的データ」を偏重し、あえて研究の経緯を唯一把握する研究者自身との直接対話を避けようとしているようにさえ見える。まだ評価手法の研究中というのであろうが、この無神経な行為と経緯実態の乖離が、しばしば研究者の誇りを損なう。研究の意義は時代背景や人間社会とは隔絶した公的研究費投入や論文成果だけでは理解できない。創造への動機、伏線、流れを多次元的に理解しないために実態把握を歪め、むしろ研究現場、若者たちへ誤ったメッセージを発することになる。
  • 行政はなぜか自らがつくった研究体制の有効性を顧みることなく、様々な関係職種の中から研究者だけ、また論文成果に限って評価対象とするのだろうか。是非彼らの立場に立ち、誠意をもってその意図をくみ取るべきである。特に若い人の置かれた状況には特段の配慮が必要である。創造の担い手の多くはか弱い人間であり、寛容と忍耐をもって育てなければならない。

http://www.jst.go.jp/crds/about/director-general-room/column20.html

  • 論文至上主義を懸念する筆者であるが、科学研究者は何のために論文を発表するのか。元来、精神の高揚を旨とし、実利には距離を置く学術共同体の中で、同好者たちが互いに思想、知見、意見を交換し合い、いわば自己表現する手段であった。加えて、時を経た現代では、社会が多大な公的財政支援による成果の証として論文発表を求めるためとされる。研究者にとっては評価対象ともなるが、さらに競争的に職業的地位と生活の糧の獲得、名誉栄達のための利己手段でもあることも否めないその結果である過剰な論文偏重主義とそれを助長する科学論文出版の商業化が、アカデミアのみならず周辺社会にも深刻な歪みをもたらしている
  • 「XX大学のYY教授によるこの研究成果は、最近Nature誌に発表されて高い評価を受けた非常に優れたものです」。昨今、学術賞選考会や研究費審査会でしばしば耳にするこの発言には、大きな違和感を覚える。むしろ絶対的な禁句ではないか。審査の過程と結果は研究社会に受容されるものでなければならないが、定められた目的に関し評価を委嘱された委員には、研究者の職歴や論文の外観ではなく、研究内容と質を自らの専門的見識で精査、説明して欲しい。研究の本質は国籍、所属機関、職位や論文誌に依存しないはずではないか。人については出自や資産、容姿ではなく、「人物本位」で評価する。街の建造物に例えれば、美しいタイル張りの斬新な外装に見とれることなく、構造の強靭性や内部の居住性、機能性を吟味することが求められる。
  • 読者が目にする科学論文は研究者と査読者、出版組織の共同作品である。科学研究は主に公的資金に支えられるが、成果発信の相当部分は民間が担う。伝統を誇る英国Nature誌は、現在ドイツ商業出版社Springerの傘下にある。広い科学分野を取り扱うが、進展する専門分野に特化した多くの姉妹誌をもつ。Cell誌は世界最大のオランダ出版社エルゼビアが発行する生物医学専門誌である。ちなみに、広く社会的影響力をもつScience誌は、2万人の会員を擁する米国の非営利団体AAASが発行するが、相当の収益事業という。

  • 科学技術政策や大学組織の経営方針は、断固として自らの理念に基づく主体性を堅持すべきである。しかし、いまや出版界は研究者の人事、研究費のみならず、いくつかの分野では科学の行方にまでに影響力をもつに至っている。最近の商業誌には、本来の出版使命を超えて自ら科学賞を設置する動きさえある。実際、シドニー・ブレナー(2002年ノーベル生理学医学賞受賞者)は、「学界はすでに科学誌の要求に応える成果を生むよう仕向けられており、制度的に腐敗しきっている」と断罪している。研究者の隷属はあってはならないはずである。

  • 果たしてこの種の有名ブランド誌への掲載が、研究者はさまざまな機会に科学的真価の基準を示す絶対的権威として機能する根拠は何だろうか。まずは、採択障壁の高さであり、それを律する特別の審査基準ではなかろうか。例えばNature誌の現在は採択率が5%以下。採択数が少ないからこそ、研究者はあえて希少性に挑む。

  • 投稿論文は担当編集者の責任のもと、見識あるとされる数名の外部専門家による匿名査読(peer review)に供される。採否の裁断には膨大な時間と労力がかかる。意見を受けて、しばしば修正作業ののち、編集者が最終判断する。通常はアカデミア有力者が編集に責任をもつが、Nature誌やScience誌においては社内の専属編集者を中心とする会議の判断が重要と聞く。この誇り高き編集者たちの広い視点での熟議は高く評価できるが、彼らの主観的判断は商業誌ゆえの基準に則ると推察され、一般学会誌のものとは異なっても不思議はない

  • 決して霊験あらたかな、総じて水準の高いとされる科学誌を一方的に非難するつもりはない。むしろ、それをあたかも聖断と崇める研究社会の風潮こそを懸念するのである。

  • ブランド誌掲載が目的化すれば,真理追究を目指す研究者の規範は揺らぐ。中国では、Nature に掲載されれば最高16万5千ドル、米国科学アカデミー紀要(PNAS)なら3,513ドルの報奨金制度があるそうであるが、良質な研究のための適切な動機付けと言えるであろうか。
  • 学術論文は、市場性ある派手な流行語を冠した押し付け商品ではなく、内省的で静謐なたたずまいに特徴があった。しかし、近年の風潮は大衆迎合と言わざるをえず極めて嘆かわしい。多くの論文が喧伝するように、本当にその成果は格段に革新的であろうか。しかし、近年の論文の題名や抄録にはnovel, amazing, innovative, creative, astonishing, groundbreaking, remarkableなどの眩い形容詞が並ぶ。この大げさな非科学的な語句は、30数年間で2%から17.5%に伸び、さらに増加、感染の傾向にある
  • 高級ブランド誌の平均被引用数指標(英語では大げさにjournal impact factor(JIF)と称する)は大きい。いやJIFが高いからブランド誌とよばれる。しかし、元来Nature、Science両誌ともに高いJIF値を支える論文は全体の25%に過ぎない

  • 高いJIFを記録する論文の大半が、昨今爆発的な発展を見せる生命科学、医療関連分野から生まれる。残念ながら、ここに虚偽を含む様々な不都合による研究論文の撤回の頻発が話題を呼ぶ結果となっている。有名なEMBOジャーナルによると、すでに公表済みの論文の写真図面の20%に改ざんの跡があるという。

  • さらに驚くべきことは、不名誉な論文撤回のワースト10にはJournal of Biological Chemistryを筆頭に、Science、PNAS、Nature、Cellなど高いJIF値を誇る最有力誌が軒並み名を連ねていることである。一部の有力研究者たちの倫理の欠如は明白である。すでに地位を確立し、若者を導くはずのこのような研究者たちはいったい論文掲載に何を求めているのだろうか

  • 商業出版社には、多少の危険を犯しても、見栄えのする論文をライバル誌に奪われまいと、自らに囲い込む意図が働くのであろうか。加えて、自らの営業利益のために「Publish or Perish」「Impact or Perish」と論文至上主義をあおる出版社の責任はどう問われるべきか。ブランド誌よりも注目度が低い一般専門誌の実情はいかがであろうか。
  • 実は医療研究論文の65%が再現できないとされる。また不適切な計画実験により、全研究費の約80%に相当する2,000億ドルの膨大な額が恒常的に浪費されているとの批判もある。2012年、米国のベンチャー企業Amgenの研究者は、がん研究の主要53論文を追試の結果、わずか6論文しか再現できないと問題提起して衝撃を与えた。

http://www.jst.go.jp/crds/about/director-general-room/column21.html

  • Outsell’s Information Industry Database, 2014によると科学技術医学(STM)分野の世界の市場規模は252億ドルという。2,000誌以上を発行し10%強の最大シェアを誇るオランダのエルゼビア社の総収入は33億ドルである。最近、英国ネイチャー誌を併合したドイツのシュプリンガー社、化学分野でも有名なワイリー社、トムソン・ロイターズ(現クラリベイト・アナリティック社)が3%程度のシェアでこれに続く。日本発の研究論文の世界シェアは低迷しながらも世界5位で、6%程度を保つ。従って、本来2,000億円近くの国際誌事業があってしかるべきであるが、実態は200億円程度に過ぎないと言われる。年間官民合わせ18.9兆円の研究開発費、科学研究費補助金だけでも2,300億円を投入して得られる成果の80%以上が海外の論文誌へ垂れ流し状態で、一方的に外国出版社だけを利する現状は、看過できない。同じ割合の論文を呼び込み積極的に海外出版することなく、経済的均衡は得られないではないか。
  • 日本国民の立場では、現状はこうみえる。公的資金投入により自国生産した製品を、「有料で」外国に依頼して品質管理、さらに見栄えよく商品化してもらい、再び高価格で国内に買い戻すことを余儀なくされている。たしかにこの商品規格化を経て日本製品の国外流通性は高まるが、決して製品内容が本質的に変わるわけではない。論文誌の商品価格は主として購読料によって支えられるが、発表論文一編あたりの費用は平均して約50万円という、有名ブランド誌では、おそらくその地位を保つための戦略経費がかさむためであろう、100万円超と言われる(対抗策のオープン・アクセスについては別稿で述べる)。国家はこの不可思議な外国の搾取の仕組み受容しつつ公的支援を続けるが、経常的負荷は過大であり、国民への経済的、非経済的な対価還元の説明はまったく不十分である。
  • Nature誌は1869年の創刊で、南方熊楠も生涯51本の論文を発表したという非学会誌の草分けであるが、20世紀後半には名編集長ジョン・マドックスが高い科学的視点に立って名声を築いた。現在の商業モデルの市場席巻の歴史は決して古くはなく、20世紀半ばに「科学市場の拡張性」に着目したメディア王ロバート・マクスウェルが英国パーガモン社において確立したとされる。まだ学会誌が主流の時代に、彼らは科学論文出版事業は公益に資すると言い張り続け、近年は電子化技術の特徴を縦横に駆使して発信受信を著しく効率化し、事業性をあげてきた。中でも経営戦略に長けた上記エルゼビア社(のちにパーガモン社も吸収)は成長を遂げ続け、利益率は実に40%に上り、グーグルやアマゾンさえも凌ぐ。

http://www.jst.go.jp/crds/about/director-general-room/column22.html

  • 決して著名誌が全てではない。ノーベル化学賞をもたらす本当の端緒となった発見の多くは、地味な専門誌に、特に飾ることなく誠実かつ謙虚な形で、時には英語でない母国語でさえ発表されてきた真の科学的価値は論文誌名や、前述の被引用数とは無関係である。

  • おそらく誠実ではあろうが尊大に見えるブランド誌の編集者の指図や、時間のかかる煩雑な交渉を避けて、あくまで自らの主張を貫くべく地道な専門誌に発表したい研究者は少なくない。これこそがごく自然かつ健全な傾向でないか。より緩やかな時代に研究生活を過ごした私の友人科学者たちにとっても現在の有名誌は決して第一選択肢ではなかった。ちなみに、私自身も化学専門誌への投稿を習慣とした。Science誌には僅か3編、Nature誌には1編しか発表していないので、昨今の生命科学分野なら国立大学教授職に不適格であったかもしれない。

  • 昨年、わが国が初めて元素名命名権を得た113番元素ニホニウムの合成の成果は、森田浩介博士はじめ理化学研究所の研究者たちの思い入れもあり、当初から日本物理学会の英文誌(Journal of the Physical Society of Japan)に発表された。

  • まず、わが国の出版界は学界と協力して、高等教育にもっと責任を果たすべきである。海外に通じる英語版教科書の出版が望ましいが、まずは日本語版であろう。学生は大学に入ると授業で「将来、教科書に一行でも載るような研究をしろ」と喝を入れられる。ところが、わが国の大学や大学院教科書の製作能力が極めて弱く、少なくとも化学分野では海外依存が甚だしく、一般評価の高い外国製教科書ないしその訳書を使用する傾向にある。記述内容は当然、欧米の歴史観や言い伝えに従い、著者の意図の有無に関わらず、わが国先達の独自性ある科学的貢献の記述を避けがちとなる。もとより高等教育は初等、中等教育とは異なり、また科学に国境はないが、学生が最初に接する知識体系であるがゆえに、訳書依存の授業が引き起こす教育的不都合は明白である。

  • 優れた教科書は大半の論文誌よりは、より広く次世代育成に益するところが多いはずである。かつては先輩諸氏による名著もいくつかあり、私自身も大学院生のための有機化学の教科書づくりに深くかかわった。しかし残念ながら、後継の教員たちの教科書執筆意欲は低い。分野細分化傾向と共に、評価制度が「研究成果」を偏重し、「教育奉仕」を軽んずる結果、彼らの行動規範が変わったのではないかと憂慮している。

 

 

What Can We Learn from Experiments? Understanding the Threats to the Scalability of Experimental Results

Omar Al-Ubaydli & John A. List & Dana L. Suskind, 2017. "What Can We Learn from Experiments? Understanding the Threats to the Scalability of Experimental Results," American Economic Review, American Economic Association, vol. 107(5), pages 282-286, May.

 

  • Unscrupulous researchers might cherry pick certain results or data, or interpret ambiguous findings in favor of significant results, for example by not sharing the results of initial trials (Babcock and Loewenstein 1997).
  • Publication bias, ofren characterized by editors favoring studies that report significant results, worsens these problems by providing researchers with an added incentive to conduct suspect inference (Young, Ionnidis, and Al-Ubaydli 2008).
  • false positives lead to vast amounts of wasted public resources
  • There are also a wide variety of best practices that should be adopted by journal editors to combat publication bias, such as guaranteering journal space for replication studies and for studies that yield statistically insignificant results... (Yound, Ionnidis, and Al-Ubaydli 2008)
  • There exists a lively debate over the relative merits of the aforementioned data types (naturally-pccurring data/field experimental data/laboratory experimental data) in forming the basis of more general inference (Levitt/List 2007, Al-Ubaydli/List 2015, Deaton/Cartwright 2016)
  • adverse heterogeneity... the participants' attributes make them systematically predisposed to exhibiting a stronger relationship than in the population at large.
  •  Most of the experimental studies published in the economics literature are administered by the principal investigators, or their lieutenants,... They have a strong incentive to comply with whatever protocol they are investigating, as they seek to maximize the scientific value of their projected discoveries,... When such insights are scaled up, however, it is no longer practically possible ... Many medical trials do not anticipatie such scaling problems (Bonell, Hargreaves, and Rees 2006).
  • Problems stemming from inadvertently chaotic implementation of the original protocol are compounded by those relating to conflicts of interest, especially when rolling out revolutionary ideas, as these often challenge the power and established practives of incumbent organizations.
  • Speaking to policymakers has been a major goal of economists for centuries... the scholar must backward induct when setting up the original research plan to ensure swift transference of programs to scale.

The science that’s never been cited

  • Many scientists harbour false impressions about uncited research - both its extent and its impact on scholarship.
  • the database doesn't track many regional-language journals that, if taken into consideration, would narrow the gap
  • rates of uncitedness are falling because scientists ublish a larger volume of papers and stuff more references into their articles....I would not tend to interpret these figures as reassurance that more of our scientific work is providing a useful purpose.
  • many citations are quite superficial or perfunctory...they could be a sign of academics scratching each other's backs
  • Even highly cited research could be a game that academics play together that serves no one's interest
  • Academics are influenced by many more papers than they actually cite
  • uncited articles are still being read.
  • The goald of the article was to improve public-health practice, not really to move a scientific field
  • other articles might remain uncited because they close off unproductive avenues of research,.... We set out to show the something was not worth doing... I am quite proud of this as a fully uncitable paper

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